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「辛い」は「辛い」んですけどね。

今まで当たり前だと思ってきたその起こりが
不思議で奇跡に思えるとき

例えば「辛さ」も奇跡なんだと知る。

もちろん、辛いことは辛いのだけど。
のたうち回る時はのたうち回るんだけど、

その起こりしかなく
そこで完結してることを知ってる。

そしてそれは、

〇〇のせいで
△△が原因で
××が⬜︎⬜︎だから
「私は辛いんだ」
というのとは、

同じように見えるかもしれないが
違うよね。

そのうち、
どうしようもなく沸くこの「辛さ」が

奇跡だったという思いが起きたとき、

実はずっと、
ずっと「このもの(自分自身)」が奇跡だったことにも気がつく。

そしてまた
当たり前の日常を「生きていく」

なのではないでしょうか。

夢わたのセッション達

「夢みる私じゃいられない」スタエフ♪

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