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日記の続け方について
十〇(月)
とにかくまず等しくなるというのをやめよう。ふさいだ蓋のむこうからそう声がする。やめる、すると、うるさい声がでたり、おだやかな声がでたりするようになる(か)。
とりのからあげは、星にしては、ちさく、ごつごつとして、住みにくかろう。そとみよりも、なかみに、みりょくや、しさ(示唆)がとりわけ詰まっているのだな。
十一(火)
七にちあるのをしゅう(週)とよぶ。そののこりをかぞえるのは、はやめるのとおなじだ。そのときでる声が(あれ)である。あれ、あれー、あれれ。あれといえば、こじき、というにっぽんのふるい、れきしのほんをつくるとき、てつだったという、(ひえだのあれ)というひとがいる。たくさんのものがたりをおぼえ、それをもじにおこさせたらしい。時有舎人。姓稗田、名阿禮、年是廿八。爲人聰明、度目誦口、拂耳勒心。即、勅語阿禮、令誦習帝皇日繼及先代舊辭。(『古事記』序)そのときひとりのとねりがいた(らしかった)。
あるひとにメールをかいたらメールをかえしてくれた。いつもかえしてくれるし、いつもおもしろいが、これはとくにおもしろい。ぼくのともだちがほめられている箇所もあった。(すさまじい)ということばでだった。
十二(水)
すごくわかるなあ、というのはきぶん(気分)で、わかる程度というのは、そんなのではわからない。わかるということばでわからなくなる事柄がおおい。しのほんの、ばつ(跋)にかいてあることはさまざまだが、それぞれのみちくさをしめすことで、このことをおしえようというのが、おおいようだ。あとがきは、待っていてもやってこない。
いまのわがやでは、ごきぶりとさくらんぼとぶどうのぐみとが、なかよく絡まりあっている。
十三(木)
(さて、あそぼう)といったら、(では、いまからねる)とかえってきた。そのちょうしが、じつにじゅんせつ(順接)であったので、きぶんがよくなった。そう、ねむったあと、かれはうちへとやってきた。いつもほどにはおそくならなかったので、おどろいた。おどろいたので、きぶんがよくなった。
われわれはえいがをみた。きぐるい/きちがいピエロという、五十七ねんまえの、ふらんすといたりあでつくられた、あい(愛)のとうひこう(逃避行)のえいがだ。せれぶばかりのいる、ふらんすからいたりあへとにげるために、くるまをぬすんで、すてて、ぬすむ。くるまが、ぬすまれて、くさはらにもやされた。くるまが、あらうためのだい(台)のうえでくるくるとまわって、おろされて、ぬすまれた。くるまをあらうしごとをするおとこのこは、おかねをにぎらされて、それをみていた。くるまが、すなはまをつきぬけて、うみへとはいっていった。くるまは、それまでのっていたふたりに、ついにいちどもふりかえられなかった。
くさはらにもやされるくるまは、the end of the fun***in worldという、七ねんまえの、いぎりすでつくられた、おなじくとうひこう(逃避行)のドラマでも、えがかれていたことに、いま、きづいた。そういうのをオマージュというのだ、ということを、おもいだしもした。このえいがのおんなのこは、いらいらしていて、さみしくて、ごきげんで、とてもすてきだった。さいていなことがおこると、さいてい、といえるし、拗ねることができる、すてきなおんなのこだった。とうひこうがシーズン1でおわって、2で、しんせきがやっているやまのなかのしょくどう(食堂)で、つまらなさそうに、はこんだり、あらったりするかのじょをみていて、むねがきゅうとなった。けいむしょ(刑務所)をでたあとのはなしだ。そこにけっこんあいて、つまらないおとこがあらわれて、さらにむねがきゅうとなる。みすぼらしいきもちや、けしきがずうっとつづいていく、きょうみたえいがとははんたいの、とてもいとしいドラマだ。
十四(金)
ちゅうがくのころのわたしは、いまよりずっとちくちくだった。あらためて、といういきづかいで、そのころのこいびとがおしえてくれた。それというのも、かのじょも、ちくちくのわたしをしか、しらないひとにおしえられて、おもいだし、おどろいたので、わたしにおしえたのだった。
こうこう(高校)のころのともだちともはなした。かれはそのころ、ぼくが、ちくちくとして、いきどおりをはきだすのを、たのしそうにきいた。ぼくのいきどおりが、いろいろなものに、ひとに、(かれをふくめて)とんでいくのを、おもしろがってくれた。かれとはなしながら、そういうじぶんが、もういちどじぶんに宿るのをかんじた。ぼくは、いきどおりによっていきるのを支えている。いきどおりによって、くるしみからにげることと、くるしみにおぼれることの、あいだを縫っている。おおきなことをおもいだしたとおもった。
15(土)
りょうりというおこないをしばらくわすれていた。しつねん。
ぼうぎゃくの、はむ、ちーず、とまと。はさむというのはひとつのよろこび。さんどいっちをつくろう。ちいさなくるまをわきにとめて、ちいさなへやにふたり、すんでいたころのミッキーとミニーのように。
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について・その5
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