070 あすなひろし、フォーエバー

誰、それ?と思ったアナタ、ここから先は読まなくて結構です。

いや、ぜひ読んで、あすなひろしファンになってください。地球上のすべての人をあすなひろしファンにすれば、いま地球上で起きているあらゆる諍いは消え去るのではないか、ボクは本気でそう思っています。

いっそ九条Tokyoで、「あすなひろし愛」読書会でも立ち上げようかなぁ。。。

あすなひろしは1941年、東京都生まれ、広島県育ちですが、呉市に引っ越したのは6歳の時といいますから、原爆が投下されて多大な犠牲のもとに戦争が終わったあとですね。とはいっても、多感な幼少期を広島で送ったわけですから、多大な影響を与えたと思われます。

あすなひろしが漫画家としてデビューしたのは1961年、「まぼろしの騎手」(少女クラブ)。少女漫画家としてのスタートでした。多いですね、少女漫画がスタートだった漫画家って。手塚治虫は有名ですが、楳図かずお「へび少女」、赤塚不二夫「ひみつのアッコちゃん」、横山光輝「魔法使いサリー」に、松本零士もそうです。当時、漫画は女・子どものものだったのでしょうか。

ボクが漫画に目覚めたのは、大学に入ってから。クラブの部室の隣が柔道部で、棚には所狭しと漫画が積み上げられていました。なぜ柔道部の部室と親しくなったのか思い出せませんが、およそボクには似つかわしくないですね。漫画が取り持つ縁だとはいえ、どうしてそこにあると知ったんだか。ま、「紙」さまのお導きってことで。

昼間は誰かいるとノックして借りていたのですが、夜になって誰もいなくなると鍵がかかってしまいます。でも、続きが読みたーい。我慢できないボクは窓ガラス沿いに隣の部室に忍び入って、勝手に続きを借りていました。

部室は2階にありましたが、軽度の高所恐怖症とはいえ、読みたい一心で壁伝いに出入りする恐怖は感じていませんでした。心は漫画のことだけ。そういや、昔から思いつめると一心になっちゃう。でも、いま考えたら犯罪ですね。おすすめできません。

翌日、訳を言って返しに行くと、大笑いされて、今夜から鍵を開けておこうかと言われたものです。今思えば、長閑な時代すね。

当時、どんな漫画にハマっていたかというと、「あぶさん」「浮浪雲」「三丁目の夕日」など。いずれも『ビッグ コミック オリジナル』という漫画誌に連載されていました。

スポーツ漫画は、漫画史に残る不朽の最高傑作『あしたのジョー』で始まり、終わったというのがボクの結論ですが、「あぶさん」は野球漫画というよりは大人の人情物語ですね。今思えば、「浮浪雲」も「三丁目の夕日」も、大人の機微を描いた物語かもしれません。

きっと、田舎から東京に出てきて、いっぱしの大人になったつもりだったのでしょう。いきがって、背伸びしていただけかも。 

同じ頃、「ドカベン」で一世を風靡した『週刊少年チャンピオン』に時折連載されていたのが、あすなひろしの『青い空を白い雲がかけてった』シリーズでした。連載スタートが1976年8月30日号ですから、ちょうど多感な(?)ボクが大学に受かって東京に出てきた年に重なります。

本来は多作な作家ですが、『青い空を白い雲がかけてった』シリーズの2作目は翌年の1月と間が空いて、2月の次には8月。その間、ボクがどれだけこのシリーズの再開を心待ちにしていたことか。一作目を読んだ途端、あすなひろし=ボクの漫画と雷に打たれたようなビリビリがやってきたのです。

なかでも「日だまりの中で」は、ボクの中では漫画史の中でも金字塔的な作品です。たかが漫画が、名だたる短編小説の名作を超えたんじゃないかと思ったくらい。文学部国文科に入ったボクですが、漫画科や映画科があれば、そちらに進んでいたことでしょう。

短い作品ですから、ぜひ探して読んでみてください。九条Tokyoのミニ図書館にも置いてあります。『青い空を白い雲がかけてった』第1巻の最終話です。

その頃、漫画が単に子どもの読み物ではないと震撼させられたのは、手塚治虫の『火の鳥』を読んだことも関係していると思います。あれは、ちょっとした衝撃でした。

その10年後、アニメ映画『風の谷のナウシカ』を観て再び衝撃を受けるわけですが、あすなひろしへの思いは、そういうのとはちょっと違います。ごくありふれた日常の中にある、ぼやーっとしていたら気づけないけど、その人の人生を変えてしまうような、奇跡のようなもの。そう、本人さえ気づければ、奇跡なんてどこにでも転がってるんだ。それを教えてくれたのが、あすなひろしの『青い空を白い雲がかけてった』でした。

なーんだ、この連載と同じテーマじゃーん。つまり、ボクは18歳からちっとも成長していないってこと?

『哀しい人々』という短編集(1977年、1778年)も結構いいです。社会の片隅に生きる人々の愛と優しさと悲しみを切り取った珠玉のドラマが全2巻15話。

なかでも、「歌を消す者」という話が好きです。ちょっと、というか、とても暗い話が多いんですが、でも、あすなひろしの日陰に対する優しいまなざしを感じてしまいます。そう、ほんとの優しさって、太陽に向けられた時に浮かび上がるものじゃなくて、月に向かった時にあるものだと気づかされたのも、あすなひろしを知ってからかもしれません。

これがハリウッドの映画で「歌を消す者」と同じようなテーマになると、スティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』になるから不思議。ボクはどっちも好きですが。

さて、なぜ今日はあすなひろしの話を書いているかというと、今年、ボクの好きな人の話が3つも映画化(or 上映)されるからです。

土方歳三。
ご存じ新選組の副長ですが、江戸で負けて函館に逃げていくときの話が好きです。松本良順に、榎本武揚に一緒に函館まで行って新しい日本をつくろうと誘われたかもしれないけど、いっちゃいけない。先生は日本を代表する蘭学者だから、函館で賊軍として死んじゃいけない。きっと新政府が許して先生を迎えに来るから、新政府に投降しろと土方歳三は松本良順を説得します。この話は『燃えよ剣』ではなく、同じ司馬遼太郎の『胡蝶の夢』に記載されています。
それに、榎本武揚と違って、土方歳三は今を生きているところがカッコいい。彼は自分の理想のために闘い、死んでいきます。榎本武揚とはまるで違う世界観に生きて死にました。それって、若者の特権だと思うんです。コロナ「渦」に飲まれている若い人たちに是非見てほしい&読んでほしい。

河井継之助。
この人に明治維新や近代化をまかせたかったなぁ。竜馬と継之助がいなかったことが、この国の未来(つまり明治から現在まで)を悲惨で不幸なものにしてしまった気がします。

島田叡。
戦前、最後の沖縄県知事。

この映画3作すべて、見たーい。待てないよ~。それまでは生きていなくちゃ。

あと、誰か、あすなひろしの作品を映画化してくれないかなぁ。そんな話が決まったら、その完成までを楽しみにして生きていけるのに。

というわけで、ボクのココロの声が届くことを願って、今日はあすなひろし愛を打ち明けてみました

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