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願っても結果に執着しない

ひとの願いとは何だろう。
そう思ったきっかけは、
まだ若いころ、たった一つだけ
願いを叶えてくれるというお地蔵さんに
お参りしたことだったと思う。

わらじを履いたお地蔵さんが、
ひとつだけ願いを叶えに来てくださるという
鈴虫寺が京都にある。

うら若き乙女が願うことは、恋愛成就。
いいなと思っているひととつきあえますように
とか、結婚できますようにとか、
そういう願いだったと思う。

願いが叶えば御礼参りをするのだけれど、
叶わない。
叶わなかったけれど、
別の人とおつきあいすることになったり……。

そのとき、
「ああ、あのとき願いが叶わなくてよかったんだ」
と思ったら、
人の願いって何なんだろう?
と考えさせられた。

そのとき思った願いが叶わなかったほうがよかった
なんて、人の願いなんてとてもちっぽけなものかもしれない
と思った。

そのときの自分の願いは、
未来の自分の願いではないのかもしれない。

じゃあ、願いって何だろう?


先日、英語落語をされている
桂三輝(サンシャイン)さんのお話を伺った。
カナダのトロント出身の上方で初の外国人落語家。
その三輝(サンシャイン)さんは、
落語をするために日本に来たわけではないという。

驚いた。
落語家をめざして弟子入りするなんて、
日本人であってもかなりの覚悟がいる。
外国人ならなおさら、難しい敬語という日本語の壁や、
日本文化を知らないというハンデばかりで
ますますハードルが上がる。

三輝(サンシャイン)さんは、
トロントで古典ギリシア演劇を学び、
劇作家をして、ブロードウェイをめざしていた。

そんなとき、現存する世界で最も古い舞台芸術
と言われている能楽を知り、観てみたいと思って
日本に来たという。

能や歌舞伎を観るだけで、
落語というものを知らなかったけれど、
人に誘われて行った落語の席で
「これをするために私は生まれた」
と思うほどの衝撃を受けたという。

桂三枝師匠(今の六代桂文枝師匠)と出逢い、
弟子入りする。
厳しい修行を乗り越えて、
2019年9月には落語界初となる
ニューヨーク・オフブロードウェイにてロングラン公演を開始、
2019年9月から6ヶ月間のロングランを達成し、
コロナによる中止を経て2022年3月に再スタート。
現在、ニューヨーク、ロンドンの二大拠点にて
世界同時ロングラン上演を行っているという。

西洋の演劇ではなかったけれど、
しかも、能楽でもなかったけれど、
落語で世界をまたにかけてロングラン公演をしている。
夢が叶った。

ギリシア演劇から落語への方向転換は、
まったく異なる世界に飛び込む勇気が必要だっただろうけれど、
これだ! というインスピレーションに従っていけば
結局は大きくみれば夢が叶っている。
しかも、劇作家という裏方ではなく
スポットライトを浴びて舞台に立つ立場で。

まったく話が変わるが、
作家たちが愛した山の上ホテルが
休館するというニュースを知った。

ヴォーリズが建築した、素敵な洋館の建物は、
ホテルのために建てられた建物ではなかった。
もともとは佐藤新興生活館として
1937年に建てられてという。
佐藤新興生活館は、婦人養成のための
生活訓練所として、調理と被服を中心に、
食物、住居、育児、家政、体育、修身、生活芸術などを学ぶ
生徒たちが起居を共にしていたという。

その設計者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズは、
建築の学問を大学で修めたわけではないという。
アメリカで生まれ育ち、建築家をめざしていたヴォーリズは、
ある日、カナダのトロントであった海外宣教学生奉仕団の世界大会に
コロラド州代表として参加した。
そのときに聞いた婦人の講演に激しく心を揺さぶられたという。
婦人は問いかけた。
「自ら喜んで一切を投げ出すことを妨げているものは何なのか」

建築家になりたいという自分の望みが、本来自分が担うべき道を
妨げていると思ったのだ。
そして、ヴォーリズは、建築家の夢を捨てて、哲学コースに文転した。

キリスト教青年会=YMCAにつとめていたとき、
日本の学校が英語教師を求めているという通知をもらって、
日本行きが決まった。
日本の滋賀県近江八幡市の商業高校だった。
日本人ですら、近江八幡という名前を皆が知っている
というような都市ではない。
日本に行きたかったわけでもないし、近江八幡なんて聞いたこともない。
でも、求められて行った近江八幡の学校で、
授業以外に家で夜にバイブルを教えたりすると、
50人ほども集まったという。

それでも、仏教信仰の根強い田舎の土地で、
キリスト教を教えるのは地元の反感をかい、
英語教師をやめざるをえなくなった。

そんなとき、建築に関心があることを知っていた知人から、
京都YMCA会館新築工事の監督を依頼された。
建築家への夢をあきらめ来日したヴォーリズは、
くしくも宣教活動を続けるための経済基盤として、
建築設計事務所を始めることになった。

建築をしようと来日したわけでもなく、
キリスト教を伝えることもできなくなったヴォーリズは、
求められる仕事にこたえていくなかで、
数多くの建物を建て、
神の愛をいろんなかたちで伝えようとした。

メンソレータムなどを製造販売する近江兄弟社を経営するほか、
近江サナトリアム(現ヴォーリズ記念病院)
近江兄弟社学園など医療・教育にもかかわった。

その建物に住まう人、つかう人たちのことを第一に考え、
人が幸せに生活できることを常にめざしていた。

ヴォーリズの愛は、近江八幡の人たちや
日本人に大きく影響を与えたといえると思う。

結果的に、ヴォーリズは建築という目に見えるものを通して、
神の愛という目に見えないものを
日本の地に伝えることができた。

夢というのは、
結果に執着しないで、
素直に直感にしたがって
目の前の流れに乗るといい。

それが、大きな視点からみれば
夢が叶う道なのだろう。

メリークリスマス

世界中のすべてのひとが
幸せに包まれますように


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