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愛するとは切ないこと〜悲しみと愛しみと慈しみ

あるとき悲しみは人生の錘(おもり)だった。地底に引き連れていく避けがたい重石だった。だが今は、悲しみを知らなかった方がよいとは思わない。歩くこともままならないほどの私を、もう一度人生の現場に引き上げてくれたのも愛(かな)しみだったからである。悲しみと愛しみは同じ感情の異名である。

若松英輔


さきほど、若松さんのつぶやきに、心掴まれた。

「悲しみと愛しみは同じ感情の異名である」
なるほどそうかもしれないと思った。

元夫が、結婚したばかりのころ言った。
「愛するとは切ないということだ」    

すぐにピンとこなくて、そうなのかなと思った記憶がある。  
愛するとは幸せな気持ちじゃないの?

切ない気持ちになるのは、なんとなく
胸を締めつけられる感情で、
心地いいか心地よくないかと言われれば
比較的ネガティブよりな感覚かもしれない。

かなしいという言葉を辞書で引くと、
1、心に沁みていとおしい
という意味と、
2、心が痛んで泣けてくるような気持ち
という意味がある。

漢字がちがっても、音が同じなのは、もともと一つの言葉に複数の意味を含んでいたということだ。

愛するという言葉に、日本語として最もしっくりくるのは、「慈しむ」

いとしいと思う感情が、愛するということ。

悲しいと、心がキュッとなって、泣きそうになる。それが切なさ。思うようにいかなくて、心が動く。そうすると、落ちた分だけ、振り子の法則で上がるしかない。

高く高く飛翔するために、私たちはどん底に突き落とされることがあるのかもしれない。

なぜなら、底が深ければ深いほど、次に上がれる幅は広がっているから。そして、執着しないで流れに乗れば、目に見えないものたちが上の高みへと連れて行ってくれる。

#愛するということ
#愛する



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