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くびになった社員が、退職勧奨を受け入れるときに会社に送った鬼・長文(17000字)メール、全文

【はじめに】


12月28日、会社をくびになりました。人生二回目のくびです。

いらすとやで「首」で検索したら出てきたイラスト。かわいい。ヘッダーもそうです。
ヘッダーに関してはfire感もあって良い。

正確に言えば、12月27日にくびを言い渡され、28日に話し合いをして、30日に退職勧奨を受け入れ、31日付で退職をしました。2019年の夏にアルバイトとして入社し、その後正社員になって12月末まで在職していたので、3年半勤めたことになります。

そしてこの記事は、くびになったのち、退職する際に送ったメール全文(ほぼ原文)です。こうして公開することを友だちに話したら「本当に狂人だと思われるからやめなさい」と助言がありましたが、しかし二十八歳の段階で二回くびになった者になにを恐れることがありましょうか……

どこが友だちのいう「狂人」ポイントかというと、まずメールが17000文字あるところ。そしてそれだけの長文を使って、わたしが職場内の話し合いで一度呑んだ合意を取り下げているところです。
合意を取り下げるためには、どのようにして合意に至ったかを振り返って検討する必要があると思いました。さらには3年半勤めたわけですから、多少積年のものもあり、エモーショナルな部分も混じってきます。そうしたら、すごい長さになってしまいました。

(余談ですが、前述のとおり12月27日にくびの宣告、12月28日に話し合いを行い、そこでした合意を取り下げるのに17000字書き、12月末には退職している……というその、スピード感。よく見てもらいたいところです)


ばか正直なところがあって、一応事前に(元)雇用元に「このメールを公表してもいいですか?」と訊ねてみたのですが、「認識が違うことが書かれているので公表しないでほしい」ならびに「事実を曲解して書いてあるので公開しないでほしい」といわれました。その後、「認識が違う部分があれば、削除したり、改訂したりすることも検討できます。どこが違うのか詳細に教えていただいてもいいですか」と送り、一ヶ月待ってもみたのですが、お返事はありませんでした。

そりゃそうといえばそりゃそうか、ということで、この記事はメールを元にして多少改訂を加え、小見出しをつけてより読みやすくしたバージョンになっています。そしてもちろん、わたし個人の認識に基づき、事実を解釈して書いてあります。ご了承の上でお読みください。

あとどうでもいいところですが、元のメールでは「首になる」と漢字で表記していたところを、この記事では「くびになる」と開いてあります。見栄え以外の意味はないです。


【くびになった経緯】

前提として、くびになるまでの経緯を説明します。

「くびにする/なる」というのが解雇のことを指すのか、退職勧奨のことを指すのかは分かりません。このようなあいまいな言葉では、意味するところが分かりづらくなるかもしれません。そしてまさに、わたしをくびにすることがそのどちらにあたるのかが、わたしたちの争点であったのです。
けれども、話し合いでわたしが労働基準法のことを話題に出すたび、雇用側はどこか抵抗感を示していました。「ここまで自分たちは、契約よりも互いの信頼に基づいたゆるいつながりを作ってきたのであって、法律がどうと言い出すのはおかしい」というのが、その主たる主張でした。
ですからここでは(メールでは)法律上どちらともつかない、それでいてわたしの体感にもしっくりくる、「くびにする/なる」という表現を使うことにしています。


わたしをくびにする決定は、12月28日の話し合いによって行われました。話し合いは傍観者のいないオフィス(これは単に小規模な会社だからです)で、5、6時間に及びました。

問題だったのは、主にはわたしをどのようにくびにするか、ということでした。記録によれば、わたしの知っている範囲でわたしの雇用についての検討が始まったのは10月です。わたしから、月給制から、時給制での勤務に変更させてもらえないか、と相談したのがきっかけでした。会社でやっている仕事と個人でやっている仕事のバランスを考えたいと思ったのがその理由です(個人の仕事をすることはもともと認められていました)。

そのあとしばらくして、わたしには「相談をした結果、あなたには離職をしてもらい、業務委託での契約に変更することにした」と通達がなされました。わたしはそれには承諾できず雇用の継続を求めましたが、受け入れられませんでした。最終的に雇い止めの旨がメールで伝えられたのは、話し合いの前日、12月27日です。

その際の要求は、4日後の12月末付でわたしが退職をすること。メールにはさらに、「解雇予告手当はありません」と書かれていました。それで、12月28日の話し合いの段階でのわたしからの要求は、当初の要求に加えて、雇用の継続が困難であるならせめて、正式な解雇の手続きを行ってほしいということでした。


その話し合いの最後に、わたしたちはある合意をしました。話し合いの間、わたしは何度も「この場では合意をしたくない」「持ち帰って考える時間が欲しい、書面でやりとりをさせてもらえないか」とお願いをしましたが、「それは甘い考えである」「自分たちも時間とお金を浪費している、これ以上はそうしたくない」と言われ、最終的にはその日のうちに、口頭で合意をする運びとなりました。

ここで確認すると、わたしが最終的に合意をした地点は、話し合いの中で雇用側から要求された「雇用を継続し、1月末での退職とする。ただしこれまでにやらせていた仕事は(ミスが多いために)やらせられない。これまではリモートであったが、1月はなるべく多くオフィスへ出勤し、オフィスの掃除をすること。どうしても出社できない日はリモートで仕事をしてもかまわないが、その内容は自分で考えること」という条件を受け入れることでした。

ですが冒頭に書いた通り、わたしはその後、12月28日にしたこの合意を取り下げることにしました。代わりに、12月末で退職をすることにし、「ありません」といわれた解雇予告手当、そして正当な解雇の手続きを行ってもらうことについては、もう諦めることにしました。

以上が、大まかな顛末です。
そういうわけで、12月末をもってわたしは会社を退職し、もともとしていた個人の仕事だけという状態になりました。もはやそれはそれでよいのですが、ともかく退職にかかるやりとりのごたごたは、わたしが考え、長い文章を書くに値する示唆に富んでいました。メールを送ったときにはすでに、この文章は会社内のメールボックスにしまっておいてはならない、人目に晒されるために存在しているのだ、という気持ちでいました。


ここからいよいよそのメール本文に入っていくのですが、以降は有料記事になります。さすがにプライベートなことが入ってくるのと、一応あからさまな特定を避ける意味も含んでいます。公開の是非に関しては、まだ返事待ち状態なわけですし。(あと、お察しいただけるとおり、生計の大半を失っている状態なので……)

メールは主に、12月28日に行われた話し合いを振り返る形で進行します。
はじめにくびにしたい意思を伝えられたときに示された理由は、「これからは雇用、被雇用ということにとらわれないフェアーな関係で仕事をしたい」ということでした。そして話し合い自体もまた、できるだけ「フェアー」であることをそれぞれが目指すように行われたと思っています。だからこそ合意に至ったときには、みんな安心していました。ああ、これでようやく、お互いに納得ができた。これ以上時間やお金を無駄にしなくてもすむ。

ところがのちに、(すでに皆さんがご存知の通り)わたしは17000字のメールを送り、その合意を取り下げることになります。
ですから、その話し合いを振り返ることは、わたしがどのように合意に至り、そしてどのようにそれを取り下げるに至ったのか、ということを振り返っていくことになります。
そのために本文では、この「フェアー」さを重要なキーワードとしています。話し合いの場で「フェアー」さがなぜ重視され、どのように目指されて、どのような道筋でどのような結果に至ったか。わたしたちがそこを重要視してきたからこそ、それを検討することが、話し合いの場で起きたこと、ひいてはわたしの勤めてきた三年半で起こってきたことを考えるにあたって、有用であると思われるためです。

書きながら、ひりひりと胸が痛んだことを覚えています。比喩ではなく、外傷的な痛みを錯覚しました。わたしは、この文章を通して、誰よりもまず自分自身を糾弾しているのだ、ということが、書いているうちにわかってきました。本文でもふれますが、脅されたり殴られたりして無理やり合意させられたわけではなく、わたしが、合意をしたのです。それは第一に、わたしの失敗でした。

以下、目次です(なお、構成は多少note用に入れ替えています。例えばここまでの前書きも、メールの文章を下敷きにしています。重複しているところもありますし、前書きに載せるために以下に続く本文からは削除したところもあります。内容は変わりません)。
退職するメールになんだその目次は、という感じだと思いますが、元のメールには小見出しはついていないです(念のため)。大体こんなような内容です。

参考文献:森本あんり『反知性主義 アメリカが産んだ「熱病」の正体』(新潮社)


はじめに - 謝らないといけないことがあります


2022/12/30 22:56、向坂くじら<kujira@xxxxxxxxxxxxxx.jp>のメール:

◯◯さん
■■さん
××さん

謝らないといけないことがあります。そのための、とても長く、とても個人的な文章です。途中、この文章はいったい誰に向けて書かれているのだろう、と疑問に思うこともあるかもしれません。その疑問はきわめて正しいです。

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