国語の先生
本を読むようになった私が、文章を書きたいと思うようになったのは小学校の高学年くらいだったと思います。
はやみねかおる先生の夢水清志郎シリーズの本編は、ヒロインの亜衣ちゃんが書いている仕立てになっています。
愉快な毎日を愉快な言葉で綴る亜衣ちゃんと同じことがしたい、と自然に思うようになりました。
家のノートパソコンでWordが使えると分かった時は任天堂DSでおいでよどうぶつの森(当時共通言語並に流行ってた)をプレイできた時と同じくらい、気持ちが昂ったのを今でも覚えています(笑)
そこから、完成しない物語りを書いては辞めを繰り返していましたが、文章を書くことが大好きでたまりませんでした。
なので、小学校の卒業文集?的なものには「物書きになる!」という、超絶渋い表現の仕方で小説家になりたいという夢を書きました。(当時の私に小説家というボキャブラリーはなかったのでしょうか、、)
そして、ただ好きなだけだった書くことに、少し自信がついたのは、国語の先生の目にとまるようになったからです。
と、言っても校内の読書感想文で賞を貰うとかその程度で、応募した作文で賞をもらったとかではありません。
でも、中学生、高校生と1、2回選んでもらうことを経験するうちに、好きだし、得意なことって言っていいのかな?と思うようになりました。
運動は、まぁ、運動音痴じゃない程度
音楽も好きだけど、別に何かを習ってる訳ではない
勉強も親に怒られない、ギリギリのライン
そんな私が、自信を持てることが、文章で表現することだったんです。
先生って、本当に子どものことをよく見てくれているな〜と、今になって思います。
人は絶対に何か得意なこととか、輝けるものを持っています。
何もない、なんて人は絶対にいません。
あなたの笑顔を見るだけで、気持ちが楽になる人だっている。
自分の得意を忘れかけていた人が偉そうなことは言えませんが、好きなことを表現するって、自分を生きる上で凄く大事なことだと思います。
世界は、縦社会から、個が重んじられる風潮になりつつあります。
つまり、個人が輝いて活躍できる時代なんです。それってとっても素敵ですよね。
私も、先生達が大切に育ててくれた個性を発揮して、私らしい人生を切り開いて行こうと思います。