私はここにいる。

私の夢は「ありがとう」を届けること伝えること



このnoteでも少し書いたのですが、私は高校時代、母と二人で認知症の祖母の介護をしました。

認知症の状態は人それぞれかと思いますが、祖母がなった症状は最近の出来事から、どんどん忘れていくというものでした。

そして、それが重症化すると、寝て起きた時に、最近の出来事をすべて忘れ数十年前の自分になります。
どういう事態になるかというと、上手く言葉で説明できなくて申し訳ないのですが、例えば、上京して結婚して子供を生んで暮らしてた人が、朝起きたら、上京して結婚して子供を産んだ記憶を全て忘れ、上京する前の記憶しか持ってなかったら、どうなると思いますか?
「私は家で寝たはずなのに、ここはどこ?あなたは誰?この子供は?私の夫?子供?私は結婚すらしてないのに?もしかして誘拐された?!」
と、パニックを起こして本気で暴れます。
そして、「お前なんか知らない!近付くな!」と、周りの人を本気で拒絶してきます。
実の親に、本気で拒絶された子供はどんな顔をすると思いますか?
私は自分の母親が祖母から

「お前に親と言われる筋合いはない!お前を産んだ覚えはない!」
と私の目の前で言われました。

その時の母の顔を今でも覚えています。


しばらくすると、落ち着いてくれますが、記憶は忘れたままです。
朝にパニックを起こすならましな方で、時には夜中の3時にパニックを起こし、家を飛び出して「助けて!私はこの家の人たちに閉じこめられている!助けて!」と、叫びます。
パニックを起こして本気で暴れる人間の力は物凄く、何の武術の心得もない当時高校生だった私なんて軽く、ぶっ飛ばします。
夜中にパニックを起こされて暴れられた日は、寝ることが出来ませんでした。
当時、一週間の合計睡眠時間が6時間なんてザラで、1日30分寝れれば良い方でした。

そんなのが高校時代毎日でした。

そんな毎日でも、人間は慣れる生き物です。どんな地獄でも人は慣れます。

でもそれでも、慣れないほどきつかったのは、3ヶ月くらいに一度のペース、時間にして10分間くらい、全てを思い出した元の状態に戻ること。
ある日、家に帰ったら祖母から
「和久、おかえり」と名前を言われ、私は祖母が治ったと勘違いし、涙を流しながら、祖母に思い切り抱きついた。
祖母は何も言わずに抱きしめてくれました。
でも、10分くらいしたら
「何だお前は!抱きついて気持ち悪い!離せ!」
と、突き飛ばされた。一瞬何が起きたのか、理解できなくて暫く動くことが出来なかった。


そして、さらにキツいのは、忘れて馬鹿をやった事を覚えてる状態で元に戻ること。
母と祖母の会話で

「礼子(母の名前です)どうした?私のことを名前で、さん付けで呼んで、ああ、そうか、私、お前のことも分からないほど、馬鹿になってたんだな。ごんめなー。
礼子、もういいぞー。自分の生んだ子供の顔を忘れて、孫の顔を忘れて生きるくらいだったらもういいから、もう十分だから」

「母さんを独りで逝かせられないから、私も一緒に逝くよ」

「礼子それだけはやめろ、お前には子供がいるだろう?残された子供は子供はどうなる?それだけは絶対にやめろ」

そして泣きながら抱き合う二人の様子を私は影で見ていました。
それすらも祖母は忘れていきました。


私は何度も何度も自殺しようとおもった。
でも、私が死んでしまったら何のために母は祖母と心中することに耐えた?それを考えたら出来ませんでした。


でも、それでも一度だけやばかったときがあります。
認知症は現代医学では治らない。進行を遅らせることは出来るけど、治すことは出来ない
その事実を何かの形で知ってしまうんですよね。
いつかきっと良くなる。あけない夜はない。そういうのを信じて耐えてきたのに。何もかも崩れていくのがよく分かった。
「目の前の光景がガラガラと音を立てて崩れていくのがよくわかった。」
よく、小説などで使われる表現だけど、この表現は自分の心が崩れていく光景で、自分の心が崩れていく音の表現なのをその時に知った。
何もかも崩れて視界がブラックアウトして、次の瞬間私は無意識でカッターを取り出し手首に当ててました。
人間は普段、湯沸かし器の蛇口から熱湯が出てきたら「熱い!」と手引っ込めますし、蚊などが腕に止まったら無意識で叩きます。それは脳が生きるために身体を守るための防衛本能で、意識しなくても身体が勝手に動きます。
でも、その脳が、もう生きれないと判断したら、その防衛本能は全く逆に、死ぬために働きます。もう本人の意思とは関係なく、無意識で死ぬ行動をとります。
私が実際に経験したのでよく分かります。
当時、猫を2匹飼っていたのですが、無意識でカッターを手首に当ててる私の腕にしがみついて、今まできいたことがない鳴き声で必死で私を止めてくれました。
それで私は戻ってこれて、死なずにすみました。猫がいなければ私は確実に手首を切っていたでしょう。




認知症が一般の人にも知られるようになったのはつい最近のことで、少なくても20年前は、一般にはまだまだ知られてなく、市の福祉は何もしてくれませんでした。
認知症の人は第三者の人が家にくると、今までパニックを起こして暴れてても途端に行儀良く振る舞うんですよ。
お金が無かったため市の福祉に助けを求めても
「なんだ、寝たきりでもないし、ちゃんと会話も出来るじゃないか、甘えじゃないんですか?」
みたいな感じでろくに相手にしてもらえませんでした。

何回も市の福祉に頼っても何にもならないと悟った母は民間の施設に助けを求めました。
民間の施設の方はすぐに私の家庭の状態を察してくれて、「お金なんていいから!」と、すぐに助けてくれました。
それで祖母を民間の施設に入れることによって私達家族は助かりました。
ですが、その時にすでに私の心はモノクロになっていました。


それから暫くして、本当に人を好きにれて、私は笑顔を取り戻すことが出来て、本当どれほど、私が感謝しているか。
絶対にありがとうを届ける。そのために、今私はここにいる。私はここにいる。

貴方にも「ありがとう」を届けられますように。