莫大な感謝を捧げます。

シーソーが二人乗りであることを、清々しい狂気で自然に、己は忘れてしまいます。ひとりで行ったり来たり。疑っては信じて。あなたにはあなたの考えがあり、人生があり、夢がある。恋人だっていて、忘れられない過去も、あるのでしょう。だから邪魔しないように、けれど己がいなくなることであなたに絶望を与えられるくらい側で、呼吸をしておりました。時には己を忍んだ毒蛇の如く薄気味悪く感じ、あなたの素直さの前に恥じました。あなたはいただきますとごちそうさまをするときに、きちんと手を合わせてそう言うような人物ですから。

こんなことはあり得ないはずなのに、己は己の存在やあなたへの想いを常に正しくないものと感じ、伸ばした手を引っ込める臆病者でありました。此処にいていいのだろうかという違和感は、何処に行けど付き纏うのですから、結局は逃げたい自分を肯定する、エゴイストの仕打ちなのかもしれません。自己愛の欠如をもって、自己を肯定しようとするのは、卑怯でしょう。

あなたが己とたったふたりのとき揺れる船の上で強く抱きしめて告げてくれた言葉さえ、天秤にかけては不安になって、ギリギリの橋の上を渡って、微風に震えるほどなのです。己は、それほどの弱虫なのです。あなたに幸せになって欲しい。

あなたと共に幸せになりたい、と願えるほど、己は幸福への耐性を持ち得ません。けれど、充分過ぎるほど、与えられたものを全うしました。何者も己をどうすることも出来ないし、それはあなたも同じです。慎重深く無邪気な子どもが風船を膨らませたとしましょう、彼は思い切って夢を与えた後、張り裂ける前に口を閉じる術を、自明の理として心得ているように見えます。有益なファンタジーでさえ、重過ぎては飛べないのです。生物の進化に従うまでです。その中でどれほど闘い、愛し、許したか、それは己の知るところではございません。

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