幸せになっていいんだよ。

鏡を千枚用意してどれだけ写して写しまくったとしても、一ミクロンも掠らないほど正反対の友人がいる。それほど完全に異生物なのに、私は彼女が好きで堪らないのだ。そうとしか言えない、一人の友人がいる。

どれだけ違うかというと、きっと私が会いたいときは彼女は会いたくないようだし、彼女が頻繁に誘ってくれるときは私が乗り気じゃなかったりする。とことん違う。ひどい。


あのときだって、彼女が飲みに誘ってくれたのに、私は正直乗り気ではなくて、生まれて初めてナチュラルに乗り換えをミスって約束の時間に遅れたのだ。3分くらいだけど。いつもなら私が早く着いて40分くらい彼女を待つのが普通なのに。

二人で飲み屋をハシゴしまくって、酒の弱い私は完全に潰れた。学生街の水っぽいビールではなく、その日はイイやつを飲んでいたのだ。最初のビール三センチで充分心地いいのに、エゲツないペースでワイン2杯だの何だの飲んじゃいけなかった。苦手なウイスキーも飲んだ。

5杯で動けなくなった。代わりに涙が出た。止まらなかった。人間が理性的動物だとするなら、私は単なる獣にすらなれていなかっただろう。気づいたら涙で視界が消えた。

私は友人に見捨てられるかと思った。余りの情けなさで。

そうしたら、友人も泣いていた。実際はよく見えなかったけれど、泣いているらしかった。
私は嗚咽してぶっ壊れた。体はまるっきり自分のものではないのに、熱く燃えていた。病み上がりにプールを50往復する気怠さで支配された。そこに快い風なんて吹かない。


「なんで泣いてるの?」

彼女が涙声で問う。

理由なんて、ない。生きているだけで、大変なんだ。苦しいんだ。怖いのだ。
全く声にならない。言ってもどうしようもないから何を言う気もない。思考回路は破壊されている。

私は答えなかった。答えられなかった。


空衣は、幸せになっていいんだよ

今まで頑張ってきたんだから」



彼女が断言した。

そのまま私は太平洋に沈み込んだ。ぬるい液体が顔を覆う。奇妙なあたたかさ。


幸せになって、
いいんだよ。

今まで頑張ってきたんだから。


「私も幸せになるよ」
彼女は強かった。


制御できず泣き続けた。

彼女が言ってくれたのだ。彼女しか言えない台詞だった。他の誰にも言えない言葉だった。

私と彼女は全然違う。だから彼女の発言だって、お互いの人生における文脈は全然違うし、彼女は私が悩んでいることを推し量れるはずがないし、私だって彼女を理解できない。

それなのに、そうだった。彼女は、私が今すぐ誰かに言われなきゃもうこれ以上生きていけないような、死にたいような衝動で詰まっているときに、最も必要な言葉を放った。それだけで私は、生きることも死ぬこともできた。最も理解し合えないはずなのに、最奥の魂が通じていた。


別の意味で涙が止まらなくなった。私は友人をどうしようもなく好きなのだった。彼女は最低で最高なんだ。私を生かしも殺しもする。私は彼女に対して何もできない。もどかしい。好きと言うことも叶わない。嫌いなのも含めて全部好きだ。

幸せになっていいんだよ。


今まで誰もそんなこと言わなかった。言ってはくれなかった。

自分は幸福に慣れていない。幸福になる覚悟がない。幸せだと感じるときどうしようもなく不安で、いつ消えるのかわからない。消えてやりたくなる。幸せになんて、なりたくない。そう洗脳する方が楽だった。

それを、そんな私を、友人はたった一言で完全にすべて、包み込んでぎゅっと抱きしめて、反論する余地なく私に押し付けてくれた。他の言葉なんていらなかった。ただあの一瞬の言葉と、側にいてくれたことだけで、私は生きていけた。終わることのない絶頂の夜だった。

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