初恋の人と12年ぶりに会ったら悟り開いた

note初投稿がまさかこんな臭いタイトルになるとは自分でも思わなかったが、ほろ酔いだしもうどうにでもなれ。あとこれからの文は真面目も真面目、大真面目。

よほど特殊な環境で育った人間を除けば、誰しも初恋をしたことがあるはずだ。初恋の定義は人それぞれではあるが、これは自分の日記代わりみたいなものなので割愛する。

私の初恋は小学校1年生の時だった。それまで特定の女の子を可愛いと思ったことがあったが、それ以上の感情は抱いたことが無かった。しかしある日、ある女の子に好きだと言われ、単純な僕はその瞬間からその子のことしか考えられないくらい夢中になった。1年生の間はお互いが好きなことを確かめ合い、掃除場所も二人で同じところを選び、そこまでおんぶして送ってあげるほど仲が良かった。
しかし、小1の両想いなんてそこから深い関係に発展するわけがない。学年が上がりクラスが変わるに従い、お互い別の恋を追いかけてすっかり疎遠になってしまった。そのまま中学校を卒業するまで話すことすらなかったと記憶する。

そして私が大学生になって9ヶ月が経ち、ひょんなことからその子とLINEをするようになった。他愛もない会話をするようになったころ、私に一つの感情が生まれた。
「今、初恋の人と会ったら自分はどうなってしまうのだろう」
昔から危ない橋は是が非でも渡りたい性格の自分にとって、このミッションは久々に胸が躍るものであった。

帰省の時に会う約束をして、今日はその当日。想像外のことであったが、朝起きてから彼女と会うまで、私は後悔の念に駆られることになった。
「何を話せばいい?」
二人の間には12年間の空白がある。お互いについて知らないことがほとんどだし、下手したら向こうが私のことに関する記憶が無い可能性すらある。(昔から無作為に特定されたものに関してはサヴァン症候群並に記憶がある私は、友人と思い出を語っているときに私しか覚えておらず、話が噛み合わないことがよくある。)
他人と話すことに関しては人並み以上に得意だと自負する私でも、今回の戦いは戦利品が足りなすぎると思った。

そして、会うときのお互いのモチベーションがわからない。下心などはっきりしたものがあれば逆に助かるが、今回の相手は初恋の人。そんなものを持つと過去の自分の逆鱗に触れ自我を保てなくなるだろう。もっと難しいのは相手の方だ。いきなりかすかに記憶があるくらいの男と一緒にご飯に行く。そのときの感情は想像しがたいものである。

時は出発時刻の直前。普段は服装にこだわらない自分が8500円のニットを着て、3万5000円のアウターに袖を通す。自分の雄としての自信のなさが服装に顕著に出てしまった。
そして、たばこを携帯しようとしたところで躊躇した。もしかしたら相手に引かれるかもしれない。小学校の同級生がたばこを吸っていたらショックを受けるだろう。置いていこうか悩んだ末に、自分に嘘はつけないと思い持って行くことにした。(私は気になっている人が喘息持ちのため、たばこをやめようと努力したが、結局辞められなかったほどの愛煙家である。)

意を決して出発。17時半に天神のソラリアプラザ。しかも彼女の携帯が壊れていて直接会うまで連絡が取れないという状況だ。神様のいたずらに翻弄されると同時に、携帯の無い時代のデートの待ち合わせはこんなに緊張していたのかと、古き良き時代に思いを馳せていた。
プラザに到着し周りを見渡す。そこである疑問が湧いた。12年もの間会っていない人の顔を識別できるのか、と。周りには女子大学生らしき人であふれている。もしかしたら新手のナンパみたいに「◯◯さんですか?」と一人ずつ確認しなければならない可能性すらある。俺は帰省してまで何をしているのか。

しかし、次の瞬間その憂鬱は一瞬にして吹き飛ばされた。見覚えある顔立ちだが、色気とも訳が違う大人なオーラを漂わせた女性。間違いなく彼女である。向こうは私を見て微笑みかけてくれたが、私は頭が真っ白になった。その後、店の開店時間までプラザ内を物色したのだが、その辺の記憶は曖昧である。

そして、二人でエスカレーターを昇り、福岡で1,2を争うパスタのあるイタリアンへ。それぞれキティとオペレーターを頼み乾杯。緊張からかすぐに酔ってしまい、パスタの味も鮮明には思い出せない。そこでは彼女と小学校や中学校、お互いの高校や大学生活について話した。私が記憶していた話は半分忘れて半分うろ覚えのような様子だった。地元の話では共感し合って、お互いが知らない時の話は、驚いたり驚かせたりした。

二杯目の赤ワインを飲み干した後、自然な流れで二軒目へ。先述したイタリアンが少し格式高いところだったので、地鶏の炭火焼きや和牛が揃うアットホームな鉄板焼き屋を選んだ。
飲み物と食べ物を注文し、二人で話し込む。彼女が教職員を目指していることから、今まで受けてきた教育を振り返ったり、お互いの教育論について話し合ったりした。そして理想の夫婦像や、なりたい将来像について。
ここまで話し込んだのに、まだ心の落ち着きが取り戻せない。しゃべっている内容は確かに本音なのだが、別の自分を演じているかのような錯覚に見舞われ、頭の中が少し混乱した。

二軒目を出た後に警固公園に向かったのだが、そこで私は自分が思ってもみないことを言った。
「今からベイサイド行こうよ」
ベイサイドとは文字通り博多埠頭にある複合施設で、昼は船が、夜は夜景がきれいに見える福岡の穴場スポットである。そして、ベイサイドが私にとって何を意味するのかというと、高校時代や大学の帰省時などに、本当に気心の知れた特別な人しか連れてこない、いわば「勝負の場所」なのである。
自分でもこの彼女を連れて行こうとしていることに驚いたし、夜中にもかかわらず彼女が快諾してくれたことも驚いた。
道中、まだ自分ではない自分に支配されている感覚に見舞われながらも、自分にとってベイサイドがいかに特別な場所であるかを彼女に伝えた。彼女も家族で来たことがあったらしく、二人でベイサイドの思い出を語り合った。

到着。夜景が見えるベンチに二人で座る。落ち着いた空気が流れる。一本のたばこを吸う。普段の自分ならここでいろいろ誘っていたのかもしれない。しかし、私はなんの言葉も出なかった。というか、出さなかった。そのまま静かに手をつなぎ、二人でバスに乗ってそれぞれの家へと帰った。また次に会うことを約束して。

彼女に会ってから家に帰るまでの約5時間、私は常に浮遊した感覚に襲われていた。こんな感覚を今まで経験したことがなく、なぜこうなったのかを考えていた。おそらく僕は二度目の初恋をしたのだろう。あらゆる種類の原体験は長い間強烈な印象を残し、そのトリガーとなったものを目の前にすると一瞬にしてその過去まで戻ってしまう。そして、今までだらしない女性関係を結んだであろう自分に対する、過去の純粋な自分からの警鐘なのかもしれない。初恋という要素を含めて偶像化された彼女の存在はとても大きく、今回は衝撃的な再会であった。

結局何が言いたいかというと、私は初恋の人と会うことをおすすめしたい。会った瞬間これまで身につけた小手先だけの武器がなくなり、丸腰で戦場に向かうことになる。そして、忘れていた感情を取り戻しながら、今の自分と当時を照らし合わせることが出来る。そのときの恐ろしく爽快で脱皮したような感覚はなんとも形容しがたい。

つたない文で申し訳ない。最後の部分は分かる人には分かるはずだ。まあいい。今から3本目の山田錦を空けにかかろう。

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