結局、甘えているだけの自分

衝撃だった。小学校からの同級生が来年結婚するかもしれないと言うのだ。

その友達は小学校の時からよく遊んだ友達の一人で、今考えるととんでもない悪ふざけをやり合っていた。道ばたに落ちていた犬やネコの糞を投げ合ったり、お互いに小便を掛け合ったり、ここでは到底書けないようなそれ以上のことを数多くやり合って来た。そんな友達が、である。

そんな彼も立派に成長し、高校卒業後に誰もが知る大手食品メーカーに勤め、自分用の車を買い、親の援助を一切受けず見事に独り立ちしている。
そして、年下の彼女と約4ヶ月もの間同棲をして、向こうが高校を卒業するタイミングで結婚をしたいと言い放った。何なら子育ての計画も綿密に行っていると言う。

金曜の昼下がり、90年代のJ-POPを流している車中でそれを聞かされた。私はとても複雑な感情になった。結婚を素直に祝福する自分。結婚も身近になるほど年をとった自分に対する焦り。それでもやっぱり早過ぎはしないかという懸念。しかし、あらゆる感情よりも、社会を舐め腐っている自分に対する自戒の念が一番強かった。

たまたま勉強が得意で、世間でも一流大学と呼ばれるところに入学し、不自由な暮らしはしていないが、所詮親の援助を受けて生活している自分。反対に、地元に就職し、親の援助も受けず、社会人の一人として立派に働きながらも、自分のしたいことを成し遂げようとする彼。社会に対する責任感が完成し、時間通りに出社し、基本的な報連相をきっちりこなす彼。上司からの叱責も受けながら、会社に関わる問題であれば相手の気持ちに寄り添いながら注意を喚起する彼。

これが、大学生と社会人の圧倒的な差である。高校を卒業してたった1年間でここまで差があるのかと驚嘆し、同時に落胆した。

どうせ自分も3年後にはいい会社に入ってそのぐらいのことは自動的に出来るようになるだろうとおごり高ぶってはいけない。

19歳となった今でも守れるはずがない時間に予定を入れることがあるし、約束した時間を守れないときもあるし、予定の変更を自分の優先順位に基づいて自分勝手にすることもある。周りにいたっては、バイトとして採用されるも数週間で行くのをやめるやつだっている。
報連相に関してもそうだ。かつて勤めていたインターン先の企業の全体のスラック上で、報告に怠りがあることを何度指摘されてきたか。わからない人もいるかもしれないが、報連相はとても難しい。自分では必要がないと思った情報でも上司に報告をしなかったことで不満を買い、必要以上に報連相をしてしまうと「仕事が出来ない奴」というレッテルを貼られ、上司の信用を失う。


社会人になったらなんとかなるなんてものは幻想である。これらのことは急に出来るようになることはまず無い。

そのような事態にならないためには、まず社会を舐めることをやめることが必要である。
そして、社会を舐めないようにする第一歩としては、親のすねをかじりすぎないことだと思う。
大学生の間だし親の援助を受けて楽しみたいという考えも十分理解できる。また、私のような地方出身者は親の援助がないと生きていくことが出来ない。


だから、今一度自分に問いかけたいと思う。「そのかじったすねは自分への先行投資になっているのか。今まで育ててくれた周りの人にいつか貢献するための基盤になったのか。」

ここまで偉そうに書き綴ってはみたものの、とても苦しかった。なぜなら私は現在、親のすねをかじりまくっているからである。ここまで偉そうに書いておきながら、自分が口だけの人間であることに腹が立つ。私は結局、自分に、親に、甘えているだけなのである。

私は果たして彼のような立派な存在になれる日が来るのだろうか。そんなことを考えながら親から買ってもらったパソコンでこの文を打つ。

家まで車で送ってもらった。最後に聞いた曲はWOW WAR TONIGHT。次会うときはその彼女も紹介してもらうことになった。
「そうしてたまには肩を並べて飲もうよ」
ご祝儀はいくら包もうかな。

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