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文章における、画家の「デッサン 」とは

「美術館の回り方ひとつとっても、そのひとの好き嫌いってわかる」

と思った。そもそも、美術館とは、なんだか高尚な響きがする場所で、美術館にいくことが嫌いな人もいるが、この「回り方」というのは、実はそのひとの好き嫌いがよくでるものだ。

たとえば海外旅行。食べ物を中心にプランを組み立てる人もいれば、名所をとにかくたくさん回る人もいる。あるいは、気に入った国の、好きな場所になんども訪れるひともいる。同じ国に行くといっても、どちらかというとその「回り方」で、その人の好き嫌いがよくでるものだ。

僕自身は、美術館が好きで、フランスやオランダ、ドイツなどにいったときも美術館を中心にプランを組み立てていた。ただ、その目的はおそらく、他の人とは少しだけ違い、「佳作」や「デッサンを見るため」というのが大きい。もちろん、代表作もみるが、それ以上にこれらを見るのが好きだ。

というのも、なぜその画家が「その代表作を書くことができたのか?」を理解するためには、そのプロセスにある、佳作の狙いを理解した方がより凄みがわかるし、もっと楽しくなるからだ。

たとえば、わかりやすく、モネやゴッホにしても、同じテーマの作品を何回も何回も書いている。普通のひとからすると、「飽きないのかな?」というぐらいに同じテーマばかり書いている。それでも、画家がなぜ、そのテーマを書き続けるかというと、画家の中では「もっとうまく一つのテーマを描ける」と思っているからだ。そのビジョンに自分の実力が追いつていないから、要素を分解して、技術を高めようとしているのだろう。

では、「文章を書くひと」における、デッサンとはなんだろうか?
(その仮説を先日書いた)

そもそもだが、よく「文章を書くには、文章をたくさん書くしかない」と言われることがある。これは僕はかなりの側面で、嘘だと思っている。

いや、正確にいうならば「適切なテーマと、フィードバックがあった状態で、たくさん書くしかない」と思っている。なぜなら、もし文章をたくさん書くことだけで、文章がうまくなるとしたら、ほぼ全ての人が大人になった時点で文章がうまくなっているはずだからだ。
(だって、僕たちは若い頃から相当の量の文章を書かされている。。。!)

前述のとおり、たとえば、僕らが美術館にいき、画家のデッサンや佳作を見ればわかるが、それは明らかに「ある目的を持って」その佳作を書いている。たとえば、「今回は赤色を使ってみよう」とか、「構図を変えて書くとどうなるだろうか?」とか、画家の明らかに「もっとうまくなるために、必要な要素」を模索しているのがみて取れる。

ただ、僕も含めて、多くの文章を書く人は、この「何を目的にして、佳作を書いているのか」という視点を忘れがちになる。というか、それを習わないし、わからない。美術の世界では、当然な、このトレーニングが、文章の世界は特におろそかになりがちになりえるということだろう。

①解説できる力:
具体例を使ったり、論理的で、平易な表現を使うことで、相手に新しい知識や情報を伝える力。「なるほど!」と思ってもらう技術
②決められる技術:
タイトルや、決め台詞や、決定的な一行を書く力。相手の「記憶」にへばりつける技術。いわゆるコピーライティングの力
③詳しく描く力:
風景描写や、人物の描写など、ディテールを描くことで、文章に「客観的な説得力」を持たせるための技術。
④啓蒙させる技術:
心理描写や、適切な問いかけなどによって、相手に「これは自分ごとである」と思ってもらうための技術。
⑤構成力:
情報を出す順番や、文章構造を整えることで、読者が、最後まで脱線することなく、読んでもらうための技術。 
※覚えやすいので「かきくけこ」でまとめて見た。

先日書いたnoteには、文章がうまくなるとはなにか、という視点を5つの観点でまとめた。そして、今の自分にとって、それは間違いなく「ディテールまで描くこと」、とくに「景色が浮かぶディテール」を書くことにある。これを練習するために、この年末年始にnoteを書いた。

何が言いたいか?

ようは、消費者の観点からすると、間違いなく、「代表作」の方が見るに値するが、作り手の観点からすると、美術館はむしろ、「デッサンや佳作」の方が価値があるわけだ。そして、これはビジネスにおいても全く同じである。完成したプロダクトをみても、そのプロセスまでは理解することはできない。重要なのは、その過程であり、「デッサンや佳作」の方なのだ。

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