文章をうまくする、とはなにか?【相手の想像力をうまく借りる力】
「卒業文集を読んだけど」
と突然、言われた。母からだ。新大阪から40分。兵庫県のベットタウンに、実家はある。2019年から2020年にかけての年末年始は、実家に帰って、とにかく原稿を書き続けていた。
「文章がうまいとはどういうことか?」と思うことがあった。そのきっかけは、先日、コルクの佐渡島さんとYoutubeで対談した際に「北野さんは、相当文章うまいですよ」と突然言っていただけたことにある。
「文章がうまいってなに?」
と僕はそのとき思った。というのも、振り返ってみると、この「文章がうまい」という言葉は、思い返せば、小さい頃から言われてきたが、人生で最も「ピンときていない言葉」の1つだったからだ。これは誇張ではなく、僕はもともと理系出身で、数学と物理、そして美術だけが抜群にできた。一方で、国語は壊滅的にできなかった。その結果、自分は文章が下手だ、と思っていたからだ。
しかし、佐渡島さんはいわずもがな、平野啓一郎氏など、芥川賞作家の作家エージェントもつとめている。彼がいう「文章がうまい」。いったい、それはどういう意味なのだろうか? そこで僕は聞いた。すると彼は全く嫌な顔せずに、こう教えてくれた。
「難しいことを、短く、わかりやすく書けること」
あぁ、なんとシンプルな定義だろうか、と僕は思った。でも疑問も浮かぶ。じゃあ、果たして、わかりやすいことだけが文章がうまい、ということなのだろうか。言い換えれば
「文章がうまくなる」
とは一体どういう状態を指すのだろうか?ということだ。考えるに5つの方向性がある。
①解説できる力:
具体例を使ったり、論理的で、平易な表現を使うことで、相手に新しい知識や情報を伝える力。「なるほど!」と思ってもらう技術
②決められる技術:
タイトルや、決め台詞や、決定的な一行を書く力。相手の「記憶」にへばりつける技術。いわゆるコピーライティングの力
③詳しく描く力:
風景描写や、人物の描写など、ディテールを描くことで、文章に「客観的な説得力」を持たせるための技術。
④啓蒙させる技術:
心理描写や、適切な問いかけなどによって、相手に「これは自分ごとである」と思ってもらうための技術。
⑤構成力:
情報を出す順番や、文章構造を整えることで、読者が、最後まで脱線することなく、読んでもらうための技術。
※覚えやすいので「かきくけこ」でまとめて見た。
新刊の『分断を生むエジソン』(講談社)は評価が分かれているが、最初はその理由が全くわからなかった。だが、発売して1ヶ月たち、感想をたくさん見るに、その理由がわかってきた。その理由は「相手の想像力を考慮しなかったから」に尽きる。
まず、分断を生むエジソン、この作品の最大の特徴は、主人公が天才であることだ。普通、物語というのは、天才を主人公にしてしまうと、売れづらくなる。なぜなら、共感できないからだ。というよりも、正確にいうと「ついて来れない」からだ。したがって作家は、少しでも読者が共感しやすいように「苦悩する天才」を主人公にせざるを得なくなる。(ちなみにこれを防ぐために、転職の思考法も、天才を殺す凡人もあえて、主人公を普通の人にしている)
特に、エジソンの場合、言語的な感覚を持つ天才を主人公にしたのが、脆さでもあり、反対に、最大の魅力でもある。才能には明らかにいくつかの種類があるが、エジソンに出てくる主人公たちは「言語的な感覚」において天才的にある。したがって、同様の力を持ち、同様に世界を理解してきた人には、その世界観が瞬間的に理解できるが、そうでない限り、「意味がわからない」で終わるのだ。そして「自分が意味がわからない=文章が下手」という解釈になる。それは「わかりやすく伝えること」が作者の技術だとしたら、当然の帰着だと思う。
いきつくところ、佐渡島さんいわく、「文章とは、読者の脳みその想像力を借りながら、作者と読者が"二人で作っていくもの"」らしい。たしかに、小説や漫画にしても、作者には伝えたいメッセージや主張がある。それを漫画家は絵、作家は文章を使って、相手と世界観をシェアしていくものだ。その際に大事なのはやはり、「階段の歩幅」なのだろう。
じわりじわりと、置いてけぼりにしないように、階段をあがっていく。そして気づけば読者が気づかないレベルの高さに到着していた。本来の意味でいう「文章がうまい」というのは、こういうことなのだろう。
この観点でいうならば、そもそも、エジソンという「天才を主人公にしたビジネス文学」というのは、構造的に矛盾をかかえることになる。というのも2つの理由からだ。
①天才が物語中に成長するためには、キャラクターが、極めて抽象度の高い概念にたどり着く必要があるが、そのためにはどうしてもコンセプト自体が抽象的で難しくなる必要がある(=ビジネス書である宿命)
②一方で、天才を主人公にするがゆえに、「段階的な解説」をあまりに丁寧に入れすぎると、キャラクターのリアリティがなくなってしまう(=小説である宿命)
ということだ。これが分断を生むエジソンを作品として成り立たせるために最大で僕が本来乗り越えるべき難しさだったのだったのだと理解した。だから、本来はやはり「仲介役」となる、普通の人を出すべきだったのかもしれない。何が言いたいのか?それは2つある。
①改めて「文章がうまくなりたい」と思った、ということ。だからNoteを書いている。
②特に自分が鍛えるべきは、相手の脳みその想像力を意識しながら、文章を書けるか?だということ。
だ。
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