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或る深夜

深夜タクシーの料金メーターが繰り上がる度に、朝が近付いていること、逃げられないこと、酩酊の中で考えていた。吐き気と浮遊感、だけど思考だけは澄んでいる。右手に握っていた500mlの空き缶を握ると、夜が潰れるような音がした。誰かに噛み付かれたみたいな三日月。夜風が冷たいと、何となく嬉しい。冬の寒さは誰にも媚びない寒さだから、私は冬が好きだ。

ハッシュタグで本当に繋がりたい人と繋がれる人などいるだろうか。好き放題ハートをばらまけるSNS。嘘ばっかりのSNSで、本当に載せたい生活を載せる人などいるだろうか。上澄みだけのタイムラインを惰性でスクロールしても、現実は過ぎてくれない。私が画面上で見ている誰かの生活が、同じ世界線にあるとは思えない。地続きの時間の上にあるとは思えない。ましてや、この空がどこまでも続いているなんて、信じられるはずがない。

私は今、あなたと話がしたいのに。
話したいことなどなくても、呼び出したいのに。

自宅の前にタクシーが泊まって、料金を支払う。
去り際に初老の運転手が、「今夜は冷えるから、暖かくするんだよ」と言った。私は言葉に詰まって、ようやく「ありがとうございます」と言うのが精一杯だった。それでも手渡しでお釣りをもらう時、一瞬触れた皺のついた手の温もりを、なるべく忘れないでいたいな、と思った。忘れることでしか進めない生き物だとしても、なるべく、できる限り。

玄関で靴を脱いで、揃える気力もないままトイレになだれ込み、二、三回吐いた。涙と鼻水と吐瀉物で顔をぐちゃぐちゃにしながら、ずっと昔のことを思い出していた。もう思い出そうとしなければ思い出せないこと、大切だったはずのこと、忘れてしまいたい、ということだけしっかり覚えていること。消えない黒い染みがブレーキ痕みたいで、切れかけの電球の薄明かりに照らされた私の影が、どんどん肥大化して私を飲み込んでいく感覚。そこから先のことはあまり記憶がない。でも昼頃に目が覚めると、私はちゃんと服を脱いでベッドの上で布団を被って眠っていたようで、残っているのは頭痛だけだった。

窓の外から、自転車のベルの音がする。

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