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コインランドリーと春

昔よく使っていたコインランドリーで、たまに鉢合わせる髪の長い女性のことをたまに思い出す。

彼女は黒の服を好んでよく着ていて、病的なほど白い肌とのコントラストが特徴的で、そして耳には補聴器を付けていた。
彼女とは、会うと軽く会釈をするくらいの仲で、それ以下でもそれ以上でもない。
その日も、私が備え付けられた椅子に座ってスマホを触っていると彼女が現れて、数秒私と目が合うと、少し微笑みながら頭を下げて私の前を通り過ぎて、洗濯の準備を静かに始める。

洗濯機の蓋を開けて、衣類を入れ、スタートボタンを押す。その一連の所作に無駄がなくて、やけに洗練されていたことを、私はよく覚えている。

いつ頃からか彼女の姿を見なくなってしまったが、彼女と会った最後の日は、確か桜が蕾をつけだす季節だった。

もうすぐまた、桜が嬉々として咲き誇る春がやってくる。誰かにとっては出会いの春で、誰かにとっては別れの春かもしれないし、何かから逃げてきた春だったり、もう二度と会えないことを惜しむ春かもしれない。あなたにとって、春ってなんですか。

私は春と、コインランドリーで出会った彼女のような関係でいたい。お互いの存在は認知しているけれど、お互いの世界には踏み込まない。友達でもなくて、知り合いでもなくて、顔見知りともちょっと違う、そんな曖昧な距離間でいたい。その関係性にきっと、名前はいらない。

私が春に対してただならぬ恋慕を寄せていることを、春は知らなくていい。そして、同時に同じくらいの熱量で嫌悪していることもまた、春には知ってほしくない

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