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十月について

メッセージを打っては消してを繰り返して、結局送信ボタンを押せずに下書きとして保存する夜が、もうどうでもいいと豪語して、それが一晩の堕落の免罪符になると思い込んでいた夜が、かつて好きだった人の手を握っていた手は、今ではスマートフォンを握りしめるしかなかった夜が、高揚も抱擁も体温も、あの人がどうやって笑っていたかも忘れてしまったのに、もらった言葉だけが呪いみたいにこべりついている夜が、君にもありましたか。

金木犀の香り。六条一間の間取り。捨ててしまった君からの便り。

気が付けばもう、今年の十月も終わる。
毎年この頃になると、君が最後に言った「永遠なんて何処にもなかったんだよ」という言葉が、それこそ私を永遠に縛り付けているような気がしてくる。504号室のベランダから見る夕焼けが未だに私の中で一番の景色で、もうそれも思い出さなければ思い出せないことが少しだけ愛しくて、こんなこと書いたって君には一切届かないことが痛くて嬉しい。

でも私は、君との記憶を四分半で歌われる安っぽいラブソングとか、十数万文字で語られる小説とか、九十分のお涙頂戴映画とか、そんな風にはしたくない。

愛なんていつか終わる。その事実を、いっそ私だけで抱えていたい。それが終わってしまったものに対しての、唯一の誠意な気がするから。言葉では証明できなかった青さに対しての、唯一の抵抗な気がするから。

だから君は私のことなんて忘れてください。出会えてよかったとか、思い出を美化して脚色するために私を使わないでください。私を置き去りにして勝手に幸せになってください。そしたらいつか私のことを笑ってください。なんて強がりぐらいは、せめて許してください。私が終わりを一人で背負おうとする甘さくらいは、甘んじて受け入れてください。

何が言いたいのかと言うと、一言で言えば、「愛していた、ということだけを今は愛している」ということ。それ以上に私の口から話すべき言葉は、もうありません。またいつか、お互い別々の世界線で幸せになったら、その時はくそ安い居酒屋のくそまずいハイボールで乾杯しましょう。では、また、その日まで。

さよなら十月

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