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ノストラダムスの大予言が的中すれば、私は生まれないはずだった

ノストラダムスの大予言によれば、1999年の7月に、恐怖の大王とやらが世界を滅ぼしてくれるはずだったのに、その予言は話題性や期待値だけを膨らませ、その全てを台無しにして呆気なく外れた。そしてコロナで始まった2020年が終わり、2021年が始まってしまった。私は今年で、22歳になってしまう。

会いたかった人に会えなかった
行きたかった場所に行けなかった
約束が叶えられなかった
たくさんの不完全燃焼が吹き溜まる2020
ずっと雨が降っている気がする。

少し私の話をします。
私には五年前に文通をしていた友達がいました。
便箋に書かれた名前と住所、はねやはらいの書き方の癖、言葉の選び方。それ以外何も分からない彼女との文通は一年ほど続きました。くだらない話も真面目な話もたくさんしました。今日の夕飯のこと、学校のこと、家族のこと。会ったこともない他人だったからこそ言いやすいこともあったかもしれません。
ある日、彼女から送られてきた手紙の中を見ると、写真が数枚入ってました。なんの変哲もない道路の写真、足元に一輪咲いている花を摘み取ろうとしている写真、そしてその花を栞にするまでの過程が、一枚一枚切り取られていて、最後には完成した栞と、電話番号だけ書かれた紙が入っていました。
思えばその時にはもう既に、友達では言い表せなくなっていたのかもしれません。

「会いたいね」「もう少し痩せたらね」「じゃあ夏くらいかな」「もうちょっと先かも」

そんな会話を何年も繰り返し、お互いに会いに行く勇気が出ないまま2020年になり、緊急事態宣言が出て、もう一生会えないのかもな、なんて思っていました。
しかし七夕の日、「織姫と彦星ですら一年に一回は会えるのに、なんで私たちは会えないの?」という彼女の一言で、私は、今すぐにでも会い行かなきゃと思ったんです。今すぐに会いに行かなければ一生後悔する、そう確信した夜には夜行バスのチケットを予約していました。

初めて顔を合わせる時に何を言おうか。言いたかったこと、文面では到底伝えきれなかった本当のこと、バスに揺られながら何度もリハーサルをしていたのですが、やっぱり無言の抱擁には敵わなくて、言葉は体温には勝てなくて、頭の中で練習していたことは何ひとつ出せず、代わりにちょっとだけ涙が出ました。

言葉って肝心な時に頼りにならなくて、でもその不能感が堪らなく愛おしくて、歯痒い。
そんなことを思った、2020年夏の、私の思い出です。全然思い通りに行かない年だったけれど、それでも何か意味があるのかなと、思えるような、思えないような。

人生は予言通りには行きませんね。
生まれてこないはずだった命が、こんな風に会ったこともない人間に恋したりするし、大災害や疫病、突然襲ってくる不幸に対して、私たちができることなんてほとんどないのかもしれません。
不条理な現実ばかりだけれど、それでも私は、ごく稀に望外な角度で降ってくる幸福や、一生忘れないであろう綺麗な景色を、まだもう少し見ていたいので、2021年も、何とか生き抜こうと思います。
皆さんもどうかご自愛ください。
よい一年になりますように。

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