卒論のミカタⅢ〜テーマ別論文紹介〜

昭和女子大学名誉教授
実践女子大学文芸資料研究所客員研究員
久下裕利(Kuge Hirtoshi)

(1)平安時代の結婚制度について

  NHK大河ドラマ「光る君へ」の放送を見越して、一段と関係書籍の出版が相次いでいる昨今だが、それに伴って新聞のコラムなどでも新書を採り上げて紹介する記事も増している。その中で最近目に止まったのが、朝日新聞の「田中大喜の新書速報」(2024年1月13日(土)朝刊)であって、服藤早苗著『「源氏物語」の時代を生きた女性たち』(NHK出版新書、2023年12刊、1,078円)が紹介されていたのである。その一部を抜き出してみる。

  彼女たちが著した仮名文学では高貴な人々との交流に加えて、自身の経験した喜びや苦悩が客観的に描かれたが、それは一夫多妻妾制にもとづく男優位社会への抵抗の表れだったという

ここで注視したのは「一夫多妻妾制」という管見には入らない用語であった。問題となるのは二点あって、まず一点は服藤氏の前記著書において「多妻妾」と書かれているのかどうかであったが、「第四章 働く女たち」「4 妻の仕事」の小見出しに「一夫多妻制社会における妻」とあり、本文では「貴族社会、とりわけ公卿クラスは、一夫多妻だったから、道綱母の苦悩は、多くの妻たちの苦悩だった。」(184頁)とある以外、「多妻妾」という用語は見出すことができなかったのである。ただ老いた私に見落としがあったにしても、「多妻妾」では嫡妻(正妻)はただ一人であるはずなのに、正式な結婚儀礼を経て正妻となる妻までが多くいたとの誤解を招きかねない表現なのである。

「一夫多妻」とは一人の夫に複数の妻がいても、嫡妻は一人であり、他は妾妻と呼ばれる妾たちで、こちらが複数人いても許容されていたのが平安時代の結婚様態であったということであろう。

 第二点目は、服藤氏が依然として平安時代の結婚制度を「一夫多妻制」として認識していたことへの落胆である。もちろん疑問点は「制」なのかということにある訳だが、高群逸枝『招婿婚の研究』(大日本雄弁会講談社、1953年)以後の批判の中で、国文学の方でも工藤重矩『平安朝の結婚制度と文学』(風間書房、1994年、定価1,545円) によって、律令制下にある平安時代の結婚制度はあくまで一夫一妻制であったことが明らかにされ、既に共通認識になっていたはずの事案だと思っていた。というのも史学からの依頼であろう瀧浪貞子編『源氏物語を読む』(吉川弘文館、2008年、定価2,800円)にも工藤氏が「源氏物語の男と女」を書いていて、これが啓蒙書であるがゆえ、学界レベルの通説を一般的に浸透させる目的であったことが知られよう。にも拘わらず依然として服藤氏が平安時代が「一夫一妻制社会」だとの認識を維持する根拠は分明ではない。
 ただそれとは別に服藤氏が道長の妻である源倫子(源雅信女)を嫡妻とし、源明子(源高明女、国母詮子の養女格)を次妻とする提言を示した中で、『平安朝の母と子』(中公新書、1991年、定価580円)において「第1章 さまざまな結婚のかたち」では平易に述べられ、その見解に賛同したい。道長には妾が数人いて、彼女らと同列に明子(一条天皇の母后であり姉である詮子の媒妁)を扱い得ないし、だからと言って倫子と同格に遇することもできない、二人の間には明らかに格差があり、それは子息たちの叙位、官職や子女たちの結婚相手の身分などに歴然と差が生じていることからも知られる(梅村恵子「摂関家の正妻」『日本古代の政治と文化』吉川弘文館、1987年。増田繁夫『源氏物語と貴族社会』「十世紀後半の貴族社会の婚姻制度」吉川弘文館、2002年)。
明子について現代の研究が「次妻」と位置付け、そう呼ぶに過ぎないのではなく、『大鏡』(兼家伝)には「この殿には北の方二所おはします」と記され、当時の認識においても〈妻〉の概念が拡大していったようである。
道長は長保2(1000)年、定子を皇后、彰子を中宮とする一帝ニ后並立の初例を姉詮子の協力のもと強引な政治手腕で実現した。臣下の道長が自らの家族にもそうした婚姻の許容を促している例に、正室隆姫(具平親王女)がいる嫡男頼通に対して「男は妻は一人のみやは持たる、痴(しれ)のさまや。」(『栄花物語』巻十二「たまのむらぎく」)と、三条天皇からの第二皇女媞子内親王降嫁の意向に従うようすすめている。隆姫に子が生まれない事情はあるものの、道長の結婚観に拠るところであろう。こうした道長から頼通へと平安後期に至る経過の中で、摂関家に「北の方」を二人とする変容が生じてきた歴史上の変化が反映したのか、後期の物語である『狭衣物語』や『夜の寝覚』には「北の方」が二人と設定されている。

  なお、「妻」「妾」の読み方であるが、東海林亜矢子「道長が愛した女性たち」(服藤早苗・高松百香編著『藤原道長を創った女たちー〈望月の世〉を読み直す』明石書店、2020年、定価2,000円)では、「当時は妻・妾ともに読みはツマであり」(61頁)としているが、工藤氏の前掲書(198頁)には『拾芥抄』(服紀部)に「妻妾」を「メヲンナメ」と訓じていることが紹介されている。つまり「妻 」は「メ」と読み、「妾」は古辞書にもある通り「ヲンナメ」との読み方なのであろう。

(2024.4.3.)

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