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講談社版『英国メイドの世界』(2010年)まえがき・あとがきの公開

公開の経緯(2020/03/11)

電子書籍版の『英国メイドの世界』(講談社、2010年11月)を準備するに際して、どのような「まえがき」「あとがき」を書こうかと考えています。その中で最も大きな出版後の変化は、出版から10年が経過したことになるでしょう(そして2019年末に絶版したことも)。

そこで、10年前の自分は「まえがき」「あとがき」に何を書いていたのか、出版に何を託して、その後、どのような歩みをしたのかを振り返る意味で、「まえがき」「あとがき」をnoteにて公開します。

以下、『英国メイドの世界』の情報です。まだ1章から2章までを公開するPDFが残っていますので、興味がある方は是非、ご覧ください。

また『英国メイドの世界』刊行時に準備していつつも入りきらなかった「メイドがいた時代の終わり」については、その後、同人誌として公開していますので、こちらも是非。

『英国メイドの世界』「まえがき」から

 現代日本で「メイド」は随分と知られるようになりました。かわいらしいメイド服を着た女性が働くメイド喫茶を中心にマスメディアに露出して幅広い層に伝わり、さらにメイドは小説・コミックス・アニメ・テレビドラマなど創作表現でも登場機会が増えています。
 メイドと言っても、その存在は多種多様です。「家事使用人としてのメイド」「英国や日本にかつて実在したメイド(女中)」「メイド喫茶の店員としてのメイド」「ファッションとしてのメイド服」「創作で描かれる表現としてのメイド」など、多様に並存していますが、それぞれは独立したものではなく、「メイド服」を軸に相互にイメージを共有して、多面的に広がっているように見えます。
 そこに、私は「吸血鬼」との類似を見出します。吸血鬼は様々な作家が表現を重ねる中でイメージが形成され、やがては19世紀末に英国の作家ブラム・ストーカーによる『吸血鬼ドラキュラ』が生まれました。さらに映画化で吸血鬼のイメージが膨らみ、様々な創作者が設定を使ったり、新しく追加したり、表現様式として広がりを見せました。
 今時点の日本で吸血鬼は創作の世界で定着していますが、日本でのメイドは「創作表現」として、吸血鬼に近づいていると感じています。本書でこれからご紹介するのは、メイドの様々な「イメージ」のひとつ、「英国に実在したメイド」です。


 家事を担うメイドが幅広く雇用され、独自の発展を見せたのは英国ヴィクトリア朝時代(1836-1901)です。この時代には富裕な貴族や地主を中心とした上流階級だけではなく、中流階級も雇用主となりました。
 当時の日々の暮らしは、メイドに代表される「家事使用人」によって支えられていました。家事使用人の労働人口は著しく伸び、最盛期に女性だけで130万人近くが働き、第二次世界大戦の直前まで英国女性最大の職業集団であり続けました。
 英国では今も使用人への関心は強く、研究書の出版も続いています。特徴的なのは、実際に勤めた方たちによる手記や談話などの多さです。たとえば、上流階級で働く使用人を描いたテレビドラマ『Upstairs Downstairs』は、1970年代に放映された当時、その影響力の大きさが、研究の呼び水のひとつとなりました。
 かつて使用人として勤めた人たちは「ドラマはステレオタイプ」「使用人の一部しか描いていない」と、実際の姿を伝えるために歴史研究者のインタビューに応じたり、手記を刊行したりしました。19世紀末、あるいは20世紀前半に生まれた彼らは「最盛期から衰退していく時代の使用人」を体験した生き証人でした。
 彼ら実在した使用人であるメイドや執事の声が記された資料を読むと、その姿が鮮明になります。メイドや執事は代々主人一家に仕えるものと私は思い込んでいましたが、実際には自分の意思で職場を去り、転職を繰り返しました。求人広告へ応募して就職し、仕事を覚え、スキルを高めるキャリア形成や、給与が良い職場を求めての転職など、現代に似た就職事情が存在しました。
 大勢のスタッフがいる裕福な屋敷では分業が進み、組織化されました。主人から直接指示を受ける上級使用人と呼ばれる管理職は、部下を率いて屋敷を運営しました。組織で働く使用人の間では上司や同僚との衝突も起こり、人間関係の悩みがありました。
 働かなければ生きていけない境遇の私は、彼らの手記を読んで、使用人に同僚や友人のような共感を覚えました。
 ある時、ミステリの女王アガサ・クリスティーが使用人について語った言葉と出会いました。彼女の作品『名探偵ポワロ』シリーズを通じて英国貴族や屋敷の生活と、そこで働く使用人に興味を持った私には、運命的な言葉でした。

『このような骨の折れる職務にもかかわらず、使用人たちは前向きで幸せだったとわたしは思う、というのはみんな自分たちのことを専門の仕事をする専門家として評価されていることを良く知っていたからである
かりに今わたしが子供だったなら、いちばん淋しく思うのは使用人がいないことだと思う。子供にとって彼らは日々の生活の中でもっともはつらつとした部分なのだ。ばあやはきまり文句を教えてくれ、使用人たちはドラマや慰みを提供してくれるし、特別なことではないが興味あるいろいろな知識も提供してれくれる。彼らは奴隷どころか、しばしば専制君主となる。よくいわれているように、彼らは"自分の立場を心得ている"が、立場を心得ているということはけっして卑屈ということではなくて、専門家としての誇りを持っているということなのだ』
(『アガサ・クリスティー自伝(上)』P.58-59)

 使用人は必ずしも恵まれた労働条件で働いたわけではなく、将来に不安もありましたが、時に愚痴をこぼしながらも、一生懸命に生きました。そしてクリスティーが物語るように、専門家として評価され、己の仕事に誇りを持った人々もいました。

 本書では、彼ら英国に実在した使用人の幅広い職種や仕事の内容、そして働き方などを軸にした解説と、なぜ職業としての使用人が19世紀に社会全体に広く受け入れられたのか、一連の流れを解説するため、次の2つの構成をしています。

■1・使用人の実態
 第1章「英国使用人の世界」では雇用が広がっていく経緯と、ヴィクトリア朝に成立した厳しい上下関係がある職場を扱います。第2章「使用人の人生設計」では就職事情を、第5章「使用人の暮らし」では使用人の衣食住や、日々の過ごし方を描きます。

■2・使用人の仕事と、彼らが見た暮らし
 多くの種類が存在した家事使用人の仕事から、使用人が見た屋敷の生活を描き出すのが、第3章「家政系メイド」、第4章「料理系メイド」、第6章「男性使用人」、第7章「上級使用人」です。職種独自の仕事や働き方や責任の相違、将来進めるキャリアを解説します。

 本書『英国メイドの世界』はメイドや執事などに興味をお持ちの方々にとっての総合的なガイドブックとして、あるいは英文学や『シャーロック・ホームズ』シリーズやクリスティー作品、英国の時代映画などの様々な作品を、「屋敷や使用人を意識した視点」で照らし出し、より作品世界を楽しむための一助となることを願っています。
 そして、かつて英国に存在した日々の暮らしの風景や職業事情、主人と使用人の人間関係など歴史の表舞台に出にくい「英国使用人の世界」に、読者の皆様が関心を持つきっかけとなれば幸いです。

※本書で扱う「英国」は主に19世紀の英国国勢調査におけるイングランド、ウェールズ、スコットランドを中心にしたものです。アイルランドは固有の家事使用人事情がありますので、本書では対象外とします。

おわりに(あとがき)

 さて、ここからは少し余談のようなものとなります。私は使用人を軸に語りえるテーマの広さや接点の多さに驚き、それを多くの方に伝えたいと思いました。
 そのうちの一つが、「仕事」を軸とした切り口です。働かなければ生きていけない立場である私にとって、使用人の世界は、働き生きることと向き合う視点を与えてくれました。
 現代の働く人にとってなじみがある「求人へ応募」し、「スキルを磨き、専門性を高めるキャリア形成」「給与が良い職場を求めての転職」は使用人の世界に存在しましたし、「家族と過ごす時間が欲しい」「使用人以外に選べる仕事はなかったのか」「老後の生活の不安」といった悩みも使用人は抱えていました。
 また、不人気が理由でなり手が減少して衰退した使用人の職業は、何が人にとって働きにくいのかを考える視点にもなります。長時間労働で休日も少ない使用人の労働環境は、遠い昔の話ではないと私は思います。
労働条件改善に雇用主や国家は消極的でした。労働者の待遇が改善されると雇用主にとって不利な状況が生まれるという考え方は、今も雇用関係で見られるものです。もちろん、労働条件や給与の額、社会保険などの環境は今の方が恵まれていますが、サービス残業、消化しにくい有給休暇、そして過労死が問題化する現代日本の会社員像と使用人とは、いくらかの重なりが感じられます。
 使用人不足とその対応も、ある時代の人の認識を考える題材となります。
雇用主は使用人を必要とする暮らしを「伝統」として受け入れ、その「伝統」が続かなくなることを恐れました。この問題を分析した1920年代の心理学者Violet Firthは、その伝統は思い込みに過ぎず、単なる習慣に過ぎないと指摘しました。
 ある習慣は、いつ伝統になるのか。自分の中に染み付いた「伝統」が何に基づくのかを、Firthの言葉は問いかけます。

 ところで、家事使用人の雇用は英国に限られたものではなく、日本の歴史も家事使用人と無縁ではありません。江戸時代からの奉公の延長で花嫁修業的な独自性がありつつ、英国同様に産業発展の過程で生まれた新しい中間層によって雇用が進みました。
 家事使用人は職業として成立し、最盛期には数十万人の労働人口になりました。明治後期、そして大正時代には待遇の悪さから「なり手不足」が生じ、第一次世界大戦後は物価の騰貴が進むことで住み込みの女中の雇用を見直す動きが起こるなど、英国と類似した構図が見受けられます。
 英国でなり手不足が目立った第二次大戦後に「家事使用人」から「家事労働者」へと呼称が変わったように、日本でも「下女」「女中」から「お手伝いさん」に変化した点も類似しているでしょう。(日本の雇用事情は『<女中>イメージの家庭文化史』が詳しいです)
 偶然ですが、1925年に刊行された使用人問題を扱った資料『The Psychology of the Servant Problem』を私は大阪の図書館で見つけました。この本は大正15年(1926年)に図書館に蔵書されました。英国で刊行された翌年に同書が日本にあったことは、同時代の日本で使用人問題を意識していた方がいたと物語るようです。

 メイドの雇用は、過去のものではありません。海外では今も多くの家事使用人も存在しています。中国、香港、シンガポール、サウジアラビアや中東諸国、そしてブラジルやアルゼンチンなどの国々では、メイドの雇用が進んでいます。
 かつて「地方から都市」に見られた労働力の移動が、グローバリゼーションによって貧しい国から豊かな国へと移動する事態も生じ、メイドにまつわる問題は、経済発展に支えられる産業社会を見る視点となります。
 世界各国に広がる家事使用人を巡る問題は、労働条件だけではなく、人種偏見、児童労働や虐待などの人権問題も孕み、この状況は新しい「使用人問題」と呼ばれています。
 加えて、家事使用人の時代が終わったはずの英国では、家事労働に従事する人々が増加しています。共働きや長時間労働による家事サービスの利用や育児や介護の手伝いなど、家事を巡る需要が生じたからです。
本書では扱いませんでしたが、現代に繋がる家事労働雇用の歴史を振り返るためにも、英国で使用人雇用が衰退する歴史の詳細と復活の経緯を、取り上げていくつもりです。
 私たちは今、メイドがいる時代を生きています。

 日本で英国のメイドを扱う本書が出版されることは、日本の「メイドブーム」の影響を抜きには語れません。メディアに露出するメイド喫茶の店員、メイドを扱ったマンガや小説で表現されたメイド、そして英国に実在したメイドなどが混ざり合い、「メイド」にまつわるイメージはブームを生み、そして日本で定着したように感じられます。 
 私はあるとき、新宿駅で中学生ぐらいの女の子たちがメイド服を着ている姿を見て、日本は幸せだと感じました。ファッションとしてメイド服が成立しえるのは、家事使用人がいた時代が終わり、便利に暮らせる社会を映すように思えたからです。
 私は日本におけるメイドブームや、そこで描かれるメイドについての論考を専門としませんが、日本でのメイドの受け入れられ方は、メイドの歴史的に稀であると考えます。
 メイドが照らしえるテーマに比べれば、私が語りえる範囲は小さなものです。本書で扱った屋敷での暮らしにも、研究の余地は多く残っています。
 主人と使用人の人間関係、貴族の屋敷の財政事情、お金や物資の流れや在籍した使用人の変遷、領地を中心にした生活圏などは、この出版を契機に屋敷訪問を訪問して調べたい領域です。本書で言及し切れなかったメイドオブオールワークや大勢のメイドの実態も、今後に残された宿題です。
 とても一冊の本では収まりませんので、本書の補足や、参考資料やエピソードなどは私のウェブサイト(英国ヴィクトリア朝の暮らし[SPQR]:http://spqr.sakura.ne.jp/wp/)を軸にご紹介していきますので、関心がある方は是非、お付き合いください。歴史的なメイド情報の普及と、創作表現の増加に繋がる情報インフラを目指します。

 最後に、本書は2008年に私が刊行した同人誌『英国メイドの世界 ヴィクトリア朝の暮らし総集編』(総集編)を講談社BOX編集部と共に発展させたものです。
 私は屋敷を舞台にした創作を書くために、会社勤めの傍らで研究を始め、私と同じくこの分野に興味を持つ人がいると考えて、研究成果を同人誌にしてきました。
 同人は、日本における英国メイド研究の先駆けといえます。書店に並ぶ出版物に総合的な使用人の資料が存在せず、自分で調べるしかなかった時期から、メイドの歴史を調べるサークル(同人誌を発行する人たちの集まり)がいくつかありました。
 好きを追求した「同人」という場と、そこに集まった方々に支えられて私の活動が続き、本書が生まれました。今回のご縁から同人の世界の幅広さや自由さを感じて興味をお持ちいただければ、同人活動に育てられた立場として嬉しいです。
メイドに出会って、ある意味、私の人生は変わりました。
 私が持ち込んだ同人誌の出版を決定し、ご担当いただいた講談社BOX編集部の柴山佑紀様に感謝いたします。出版決定から2年間、大幅な書き直しや資料の増強などの膨大な作業を支え、的確なアドバイスを下さった柴山様の情熱と根気が無ければ、この本は出版まで漕ぎつけませんでした。
 出版の環境を整えてご支援下さった講談社BOX編集部の秋元直樹部長と講談社BOX編集部を生み出した太田克司様には、表現する場と読者との出会いの場、そして柴山様との仕事の場を与えていただけましたこと、感謝しております。
 本書を彩るイラストレーター・デザイナーの方々、校正にて正確性と多様な視点を提供くださった講談社と関係者の皆様、そして同人活動を支えてくれた大学時代からの仲間たち、同人イベントでお会いした皆様にもこの場を借りて、御礼申し上げます。
 そして、2010年07月に逝去された田中亮三先生に、本書を捧げます。英国のカントリーハウスを愛された田中先生の著作を通じて、私は屋敷への関心をより高め、多くの作品や資料に出会いました。2009年に柴山様を通じて田中先生とお会いでき、その後はオープンカレッジでの先生の授業に通いました。時々授業の帰り道に同行させていただき、屋敷にまつわるエピソードや先生の研究活動や資料についてのお話をうかがいました。
 本書を読んでいただくことは叶いませんでしたが、暖かく接してくださった田中先生との時間は私にとって忘れえぬもので、お会いできたことを深く感謝しております。

 本書は多くの方々に支えられて、ようやく世に出ました。読者の皆様にとって本書が何かのプラスになることを、そしてよき出会いとなれば幸いです。
 ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。

2010年11月 
久我 真樹

まえがき・あとがきを振り返る

 懐かしいです。

 この「まえがき」や「あとがき」を読む限り、英国のメイドの本でありつつも、「日本でのメイドの描かれ方」への関心も強く、またそこを起点に読者との出会い、同人活動の継続、出版の機会を得ているので、2010年からの10年で「日本のメイドイメージ・メイドブーム研究」へと向かうのは必然的だったのかと思います。

 2020年の年始に以下、これまでの研究生活を振り返りましたが、この10年の日本のメイドブーム研究(そして執事ブーム研究)をできたことは、とても良かったことだと思います。

 とはいえ、あとがきで言及しつつもできていないことが多いので、そこは今年から計画的に着手していく所存です。


いただいたサポートは、英国メイド研究や、そのイメージを広げる創作の支援情報の発信、同一領域の方への依頼などに使っていきます。