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映画『ダウントン・アビー』感想 家事使用人考察・ロケ地など

はじめに

全トーマスファンに、捧げる物語です。

あのトーマスが上り詰めたものの、そこから落とされて、また放浪の果てに楽園と出会い、ハッピーな時間を過ごすも短い時間で追放されてしまう物語です。しかし、最後に彼は蜘蛛の糸を手にして登っていきます。

おめでとう。

というのはさておき、私が初めて『ダウントン・アビー』に出会ったのは2010年12月ぐらいの頃です。ちょこちょことAmazon UKでクラシックドラマのDVDを購入する習慣があり、そこで気になった作品の一つでした。実際に映像を見ると、そのオープニングからの家事使用人描写の美しさに圧倒されました。

このドラマは様々なイベントが多すぎ、人が死んだり、傷ついたりする作品でもありました。あまりに色々な出来事がありすぎて、羽海野チカ先生が「ダウントンする」「ダウントンしない」などと表現することもあり、私も「ダウントンしない作品」をご紹介しました。

それとは別に、シーズン6は長かったのかなと思い、個人的にはシーズン1から2が最高峰、3が転換点、6で復帰したと感じています。そんな『ダウントンアビー』シーズン6という長大な物語の「続編」の映画化ということで、「見終えている人がそもそもいるのか?」というところが気になり、Twitterで聞きました。

完走している人は約半分でした。しかし、ここで言いたいのは「完走した人も、完走していない人も」、一度でも『ダウントン・アビー』の世界を見たことがある人、あるいは英国メイドや執事やハウスキーパーやフットマンや屋敷に興味がある人に、今回の劇場版はオススメです。

未見の人も、映画冒頭でコックを演じたパットモア夫人が振り返ってくれますし、Youtubeの方に事前に10分で振り返る動画が上がっているので、こちらを見て備えるだけでも十分楽しめます。

ドラマ版『ダウントン・アビー』の楽しさには、英国の屋敷に住む上流階級の人々やそこで働く家事使用人たちが、外部の世界と関係なく、相続や家族間の人間関係、恋愛、トラブル、イベントなど、何が起こるかわからない展開とそこでのやりとりに面白さがあったと思います。

今回の劇場版は、そうしたドラマの要素を踏まえた方がより楽しめますが、それがなくても「屋敷に国王夫妻を招いてもてなすことで生じる、主人と使用人たちの喜びと混乱」「国王の使用人たちがもたらす階下のトラブルとそこへの戦い」、そして第一次大戦後には潮目が変わっていく「屋敷を維持する難しさが見える未来」に「ダウントン・アビー」がどう向かっていくかの決意が示されているように思います。この点と、以下の動画を見れば、これまでのドラマを見ていなくても大丈夫です。


ネタバレあり

今回は家事使用人研究者としての立場に絞り、見ていきたいと思います。

個人的には、王室の使用人たちがここまで訪問先の屋敷に干渉するのか、というところが気になりました。今回、王室の家事使用人(執事:Page of Backstairs、ハウスキーパー、シェフ、ヴァレット)が同行してきて、特に三名の上級使用人は、ダウントン・アビーの家政を全てコントロールしようとしました。しかし、これまで読んできた本で、あまりそういうエピソードを見ていません。

特に料理周りは慣れていないキッチン(火加減が難しい)で、そうした事情を何も知らないシェフが現地スタッフを動員して料理をすることは困難であると思います。もちろん、私が読んできた本は主にゲスト訪問で、今回のようなヨークシャー全体を巡幸してパレードを伴う訪問では違うかもしれませんし、王室シェフの手記で現地の屋敷(フランス滞在中だったような)で料理をした描写を見た気もします。

食材の調達に関しては、映画にあった通り、王室が全て手配することは可能だったとも思います。実際に各地に領地を持っており、取り寄せることは自在だったからです。ただ、今回の映画でミセス・パットモアが地元の食料品店で手配して、かつそれが地元の名誉として店主たちが誇っている描写はとても良いものだと思いました。

家事使用人としての彼らの態度の不遜さは、「正面玄関の利用」に出ていました。家事使用人のドラマでほとんどと言っていいほど使われるエピソードが、「家事使用人は正面玄関を利用できない」ことです。このルールを、王室使用人たちは無視して、正面から入り込むのも印象的です。

本筋に戻ると、この「王室の家事使用人が、滞在先の屋敷の支配権を握る」という構図は、今回登場したジョージ五世の妻メアリー・オブ・テックの影響かもしれません。同人誌『第二次大戦下の英国カントリーハウス 準備号』で言及したように、第二次大戦時、彼女はボーフォート公爵の屋敷に疎開した際、50人以上使用人を同行して屋敷に君臨しましたので。

この結果、屋敷の主人たる公爵夫妻はわずかな部屋しか使えず、王太后と屋敷のホスト・ゲストの立場が入れ替わってしまいました。「50人以上の使用人を伴う」ことと、「屋敷の主人の方がゲストのように限られた部屋しか使えない状況」は、ある意味、今回の映画で生じた「王室の家事使用人と、訪問先の屋敷の家事使用人」の対立構造と重なっていますので。

日本語の方のwikipediaにはそのあたりのエピソードもありますが、自分では見つけられていないので、ソースに出会ったらアップデートします。

第二次世界大戦中バドミントン・ハウスへ避難していた折、ツタが嫌いだったメアリーは、ツタに覆われた美しい館と有名であったにもかかわらず、自分が連れてきた召使いに命じて勝手に刈らせた。王太后付きの55人の召使いたちは館の右翼に陣取り、ボーフォート公爵家の召使いたちにことあるごとに「我らはメアリー王太后にお仕えしている」と威張るため、両者の召使いたちの仲は険悪となった。ボーフォート公夫妻はその中間に立って右往左往し、避難していた7年もの間ひたすら忍の字で耐えたという。
wikipedia日本版

英語版は、「狭い」と王室使用人たちが不満を漏らしたとの言及のみにて。

Harewood House最高!

今回の映画で一番嬉しかったのは、実在の屋敷Harewood Houseが登場したことです。ここはジョージ五世夫妻の娘メアリ王女が住む屋敷でした。私はこの屋敷のインテリアがロバート・アダムの手によるものだと知り、2016年に訪問しました。以下、旅行記です。

「ドラマの訪問地へ行く聖地巡礼」的なことをよくしていましたが、訪問した大好きな場所(Harewood House)が「ドラマの舞台」になるとは思いませんでした。大変残念なことに映画では、最も美しい天井がほとんど映りませんでしたが、本当に良い場所です。

ここは屋敷のキッチンも残っていて、『女王ヴィクトリア』の撮影にも使われたと記憶しています。屋敷からの眺めも、カントリーハウスの庭園造形で知らぬ人がいないランスロット・"ケイパビリティ"・ブラウンが担っており、広大な領地の風景が人によって作られたものだということに圧倒されます。

英国貴族のその後や副読本やナニーのエプロンやフットマンの制服

面白かったのは長女メアリー・クローリーが、屋敷を巡る環境の変化と未来の認識を示しているところです。このままの暮らしが続かないと、彼女は認識しており、屋敷を手放し、小さな屋敷に住むことも考えていました。

この時代(1920年代、あるいは第一次世界大戦などを含めた時代)に屋敷を所有する英国貴族に何が起こっていたかは、『英国メイドがいた時代』に書いたので、こちらもご参照いただけると彼女の危機感がわかります。

また、映画の副読本は英書で出ていますので、こちらもどうぞ。Kindle版とハードカバーのいずれかにて。エピソードとキャラクターメインで、作品を深掘りして楽しめます(資料性はこれまでの類書より高くないです)。これまでのいくつかは日本語版があとで出版されていますので、映画の人気次第、というところでしょうか。

余談ですが、ナニーのエプロンがダウントン・アビーと、Harewood Houseで違っていました。前者はオーソドックスな肩紐エプロン、後者は貫頭衣的な覆うエプロンでした。

同人誌"『名探偵ポワロ』が出会った「働く人たち」ガイド 上巻"で解説したメイド服なので、こちらも興味ある方は是非。

あと、フットマンの制服が王室仕様で今回は本当に美しかったですね。State livery(儀式用のお仕着せ)はダウントンはグリーンを基調、王室は緋色を基調の設定とのことにて。

映画の撮影地

「ダウントン・アビー」として使われている屋敷Highclere Castleは残念なことに階下がそのまま残っていません。階下の使用人エリアはかつての伯爵が持ち帰った古代エジプトのコレクション展示エリアとなっているからです。このため、階下はセット撮影です。

一方、Harewood Houseはキッチンを含めた階下がそのまま残って見学できるので、家事使用人大好きな人も満足できる屋敷です。

ただ、このHarewood Houseも「そんなに広い部屋あったっけ?」と思う舞踏会のシーンは、Wentworth Woodhouseで撮影とのことにて。この屋敷も外観が美しすぎるので、いつか行きたいです。

この記事によると、バッキンガム宮殿内部はWrotham Park とWentworth Woodhouseで撮影とのこと。本物の宮殿内部は撮影に使えないので、別の場所で代替することはよくあります。

終わりに

個人的には、ドラマとして見所も多く、ハッピーエンドで、バイオレットおばあちゃまを中心とした「ダウントン・アビー」という屋敷は存続してくように見えましたし、その中心には長女メアリーがあり続けるのではないかと思います。

あまりに良いキャストばかりで、全員をあげるのが困難ですが、あまり本編でカッコいいところが見られなかったベイツが、アンナとタッグを組んで一緒に王室使用人たちと立場を逆転させていくところは、素晴らしかったです。

あと本当に、ラストの方ですね。バイオレットがメアリーに自分に死期が迫っていることを打ち明けた後、メアリーが祖母が亡くなっても「屋敷のどこにでも本の中にでもおばあさまがいる(声が聞こえる?)」というようなことを言ったのに対して、「安らかに眠らせて」と応じるところも、何かこう、強い絆を感じました。

そして最後に、執事カーソンと、ハウスキーパーのヒューズ夫妻が屋敷を出ていくところも良かったです。

また現代的な価値観の反映では、イーディスが社交界よりも仕事が楽しかったことを語ったり、妊娠したイーディスの出産が見込まれる時期に夫が王子に同行して公務で外遊させられそうになった際に出産への立会いを優先したりなど、というところがあったと思います。

何回も繰り返し見たい作品です。

もしも、屋敷のドラマに興味があれば、『ダウントン・アビー』製作のジュリアン・フェローズの原点とも言える『ゴスフォード・パーク』を是非。なぜビデオ配信されていないかわかりませんが、最高です。

あるいは、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの『日の名残り』も英国執事の作品として最高ですのでお勧めします。映画化もしています。


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