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「正義の暴走」とは何か-嫌われる正義、正義が悪に陥る時-

他人に暴力を振るい、拘束し、財産を奪い、殺す。
突然ですが、これらの行為は「悪」でしょうか。

恐らく、多くの方が「悪」であると思われたでしょう。

しかし、これらは正義の執行者たる警察官や裁判官、正義のヒーロー達の行いでもあります。
少し驚かれるかも知れませんが、一旦彼らの行動にだけ着目してみてください。

警察官は犯人を力で制圧し、拘束して自由を奪います。
裁判官は罪人に罰金を課して財産を奪い、時には死刑に処します。
そうです、彼らも他人に暴力を振るい、拘束し、財産を奪い、殺しています。

正義のヒーローも、例えばアンパンマンはバイキンマンを殴りますし、
正義の女神は、人を傷付ける剣を振りかざします。

正義とは、行為だけに着目すると悪そのものなのです。
悪人を懲らしめる時に悪が成されますが、その悪が利益をすなわち善をもたらすから、許されているにすぎません。

正義が悪をも内容するのであれば、その悪性は制御される必要があります。
もたらす善性より悪性の方が強い正義を成せば、その正義は悪の結果をもたらすからです。
皆さんが悪人相手だろうと何をしても良い訳ではないと考えるのは、正義が持つ悪性、すなわち他人を傷付ける行為だと心の奥底で気付いているからなのです。

しかし、正義は必ずしも悪性を制御できているとは限りません。

環境保護活動家が自然保護なる正義を訴えて美術品を傷付ける。
熊を殺すなと動物保護を訴え、役所にクレームの電話をし続ける。
悪人を懲らしめる私人逮捕系YouTuberが迷惑者として話題になる。
ロシアが正義のためにと称してウクライナを攻撃し、十字軍や大日本帝国軍は正義の名の下に戦争を起こす。

列挙するとキリがないのですが、世の中には悪性の制御に失敗した正義が溢れています。
そんな、正義が自身の悪性を制御できていない、すなわち暴走した状態が、タイトルにある「正義の暴走」です。
暴走した正義は悪性を振り撒き、災いをもたらしてきたことを、私たちは知っているのです。

では、どんな時に正義は制御を失い暴走するのでしょうか。
それは、正義の悪性を意識できず、その正義が純粋善だと思い込み、善であると疑わなくなった時です。

正義が持つ悪性を理解していれば「アンパンチは正義であっても暴力であるのでやりすぎてはいけない」と制御することができるのですが、「アンパンチは暴力(悪)ではない」などとしてしまうと、相手を殴り続けることこそ善い行いになってしまいます。
「正義の反対は悪」であるかのイメージは本当に危険で、このように正義と悪を切り離しては絶対にいけないのです。
「人が最も残虐になるのは悪に染まった時ではなく正義の側に立った時だ」との指摘がありますが、正義の悪性を忘却した状態の危険性を指している言葉だと言えるでしょう。

とは言え、正義が悪性を持つからと言って行使しない訳にもいきません。
やはり警察官や裁判官には正義を行使して貰わなければ、社会の秩序は乱れ、より大きな悪がのさばってしまうのです。

そのため、私たちは正義の悪性を制御するために、正義の持つその悪性(剣)を行使して本当に良いのか、その悪が本当に利益や善をもたらすのか、正義の女神ではない我々人間は何重にも確認をして、正義を行使します。
正義を行使するために警察は法令に従い、警察だけでなく裁判制度をも用意し、警察だけの判断にはさせません。そして裁判も事前に合意された法律に則して行われ、三審制を採用し、一部の裁判官は国民に審査をされます。
そのようにして正義が持つ悪性は数多もの確認と承認や合意を経て、ようやく正義、ひいては悪を行使することが許されるのです。

正義に最も重要な要素は、自身の正義を疑う力を有していることです。
この自身を疑う能力を欠いた正義は、簡単に暴走することになります。

今やSNS上に自身の正義を信じて疑って居ないような人達を頻繁に見かけます。
彼らの多くにに危うさを感じるのは、正義に最も大切な自身を疑う機能を有しないからです。

正義の悪性を弁え、自身の正義を疑える正義こそ、真の正義を成し得るのです。
正義の天秤は揺れてこそ正常な天秤です。揺れない天秤は、壊れてしまっているのです。

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