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生きるためのがん日記

2021年2月20日(土) 

昨日「子宮頸癌です」と言われた。

まあ、もちろん突然言われたわけではなく、わずかな自覚症状で婦人科クリニックを受診して、それなりに検査してもらった結果昨日の告知に至ったわけだけど。

私は今までのこととこれからのことを日記に残そうと思った。これまでもこの手の日記は大量に書かれたことだろうし、特別なことを書き残すつもりはない。でも、私には娘がいて、どんな結末を迎えても何か彼女の生きる糧になるようなものを残したいから、私も私の体験を書き留めておくことにした。

まずは「自分ががんと言われて感じたこと」
そんなに大きなショックは来なかった。看護師をしていて、年齢も51歳とそれなりで、自分の人生にもこんなことは起こりえるだろうなぁと常々漠然と思っていたせいかもしれない。でもやっぱり「思ってるより早く人生が終わっちゃうかも?」と胸の奥の方が少しだけ重くなった。
そのときに一番心の容量を占めていたことは「娘」だった。
彼女はまだ9歳で、私はひとり親である。何かあったときに備えてそれなりに貯金はしてあるし、いますぐ全てを失うわけでもない。でも、私がこの病によって例えば来年死んでしまうとか、死なないまでも仕事ができなくなったら彼女の生活をどうしていったらいいのだろう。
なんとかしてあげたくてもなんともならない日が来るかもしれない。
それが恐怖。
ただ、このあと私がどう生きるかで彼女に「困難の乗り越え方」や「人生の進め方」を伝えてあげられるかもしれないとは思っている。
大好きな漫画「エースをねらえ」の宗方コーチは自分の命が限られていることを含めて岡ひろみをどう育てるかを考えていた。親友の桂に「俺が死んだら岡は慟哭に落ちるだろう。しかしそこから這い上がった者は強くなれる。岡が俺の死をそんなふうに思えるように導いて欲しい」と告げていた。
私は今回のこの病気で100%死ぬとは思っていない。まあ、死ぬこともありえるな、くらいの感覚。それでもそんな病気になったとき、そしてそんな病気の人間の家族になったとき、人はどう生きていくのか。
私は私がいなくても娘には幸せに生きていって欲しいと思っている。例え今回の病がなくても「その日」は順当に行けば確実に訪れるわけで。今、「ママ、ママ」と言っている彼女が私なしでも幸せに生きられるように手助けがしたい。
彼女には感謝しかない。寂しかった私の人生に参加してくれて、本当に感謝しかない。彼女が悲しむ姿を見ることは辛い。でも、そこを乗り越えて生きていけるように手助けすることしかできなくて、それも私が先にいなくなる前提でそれをしていかなくちゃいけないんだなって、今思ってる。

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