私の人生の中での隊員生活3年の意味。
4月に地域おこし協力隊として赴任して早くももうすぐ2カ月。
以前は埼玉で会社員をしていました。
リフォームを専門に、創業34年、全国で北は宮城から南は福岡まで79店舗を展開する、それなりに大きな会社でした。
現在は、地域おこし協力隊として、町から委託を受けつつ、隊員それぞれが受け入れ先となる会社・団体にデスクを構えて仕事をしてる状態です。
私の受け入れ先は会社設立からもうすぐ1年、社員数は…?(ほとんどのメンバーが副業的な立場で携わっているので正確な社員数というのがよくわからない状態です。)の会社です。
気付けばまさに創業期に携われているという状態で、主要メンバーの想いを練り合わせながら会社の理念、会社の事業を作っていく段階に関われているのはとても面白い経験です。
大学在学中の私は、友人たちが大手企業にエントリーシートを提出するのを横目に見ながら、なんとなく「大量生産」の仕事がしたくなくて、前述のリフォーム会社に落ち着きました。
そこでの仕事は私が望んだオーダーメイドに近い形のものでしたが、リフォームのために壊されたゴミの山が積み上げられる「大量消費」の現場でもありました。
「大量生産」「大量消費」の社会を目の前にモヤモヤしてる私の前に現れたのが今の受け入れ先の社長でした。
彼は「社会を変える」「社会をより良くする」を躊躇なく言い放つ。
そんな人には今まで出会ったことがなかった。
そして今私は、社会を変えようと奮闘してる社長の下で、社会を変えるために何をするか?どうやってするか?暗中模索の毎日です。
この地域おこし協力隊としての3年は、私はこの後の人生をどう生きたいか?自分の生きる社会をどう変えたいか?私はそれのために何をするか?を考える3年にしたい。
そしてそのために手段を学び取る。
その舞台として、ここ大槌町は素晴らしい場所です。
眠っている資源、磨かれていない魅力がたくさんある、だけど若い人、やる気のある人、能力のある人が流出していく中で、その魅力を十分に表に出すことができていない、そうして人口減少に歯止めがかからないまちがきっと日本中にたくさんあるのだろう。
私は、人の営みというものは結局のところ食べて出す、食べて出すことなのだと思う。
それには自分たちの食べるものを育て・獲る場所、自分たちの出したものを土に戻す場所がどうしても必要なのだ。
都市ではどうしてもその場所が不足してしまう。
結果、食べるものを運び込む、出したものを運び出す不自然な動きが発生してしまう。
不自然な動きの分だけ、地球に負荷をかけてしまっているんじゃないだろうか。
であれば、目指す形は都市一極集中ではなく、地方ごとでの自立した暮らしじゃないだろうか。
その仮説のもと、目指す一つの形は、ここ大槌のような海と山が豊かな町に人が集まって営まれる生活。
ここ大槌町で、まちを活き活きさせるために何ができるか、まずは3年、腰を据えて考えて取り組んでいきたい。
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