イタリア語 単語の話 (1)
読んで楽しいイタリア語の話
単語で覚えるイタリア語
Truccoというイタリア語は、日本語では「化粧」という意味だが、同時に「トリック」または「いんちき、ペテン」という意味を持つ事を知った時に、妙に納得してしまったことがある。伊英辞書を引くと、truccoは、ずばりtrickと書いてある。納得したのは、そのほうが化粧という行動の意味が分かりやすいような気がしたからである。
SettembreやOttobre という月の名は、英語でも同じようにSeptember、Octoberであるが、イタリア語を学習するとsetteが「7」、ottoが「8」ということが解る。では、何故これが9月と10月になったのか?という様な疑問に突き当たることになる。また、欧州言語の多くが名詞に性別を持つ。その中で、イタリア語ではほとんどの国名が女性形なのに、何故か日本国は男性形なのだ。これはどうしてか?
他にも他言語を学習していると、それぞれの言語が育ってきた歴史的な背景が見えてきたり、見えないまでも、疑問に思うことが良くある。
イタリア語の疑問詞は何故喉頭音(Qua~〔クア〕、Che〔ケ〕、Chi〔キ〕など)から始まるのだろう?ジャパン(ジャッポーネ)は、いつ頃どういう経緯でそう呼ばれ始めたのだろう?Don Giovanni(ドンファンのこと)、Casanova(カサノバ)のように人の名前が名詞として意味を持つものがある(いずれも放蕩人、女たらしのような意味であまり光栄な命名ではないが)一方、Cicerone(キケロ)やMarcantonio(マルクス・アントニウス)なども、ある意味を持って使われている。
また、イタリア語に触れていると、各単語が母音で終わるために日本語的な響きを感じるものによく出会う。その中には「アッカッパトイオ」のようにカタカナで書くとかなり面白い発音の単語も多くある。学習の本来の目的とはずれるかも知れないが、こういう発音の単語は、なんとなく覚えやすい。「ありとキリギリス」は有名なイソップ物語のひとつだが、ギリシアやイタリアでは「ありとセミ」である。「セミ」が、どうして「キリギリス」になったのかといったような疑問にもぶつかった。
そういったものを集めて、「イタリア語の単語の話」として、エッセイ風に書きあげたのがこの本である。
加えて、イタリア生活時代、突然外国人の我が家に軍隊の召集令状が届いた話や、交通渋滞お構いなく道路の真ん中に車を止めて女性の品定めをする、「嗚呼イタリア人」のことなど、イタリア生活が本当に飽きないことを自分の経験と共に紹介します。
読者には、特にイタリア語の学習に役立つように、単語を通じてイタリア語にもっと興味を持ってもらえたらと思って書いたつもりだが、実際には何にも役に立たないようなことも含まれているかも知れない。いや間違いなく含まれている。従い、ご満足頂けるのかどうかは心もとない。少なくともイタリア語またはイタリアに興味を覚え、いくつかの単語を覚えるきっかけにでもなってくれれば、筆者の目的は十分達せられたとしよう。
1971年から1996年までの間に2度、合計約8年間のイタリア滞在中の経験と、2002年に開校したイタリア語教室(東京都、九段アカデミー)のなかで、書物やイタリア人講師を通して知り得たことをまとめようと思ったのが、この本を書くきっかけでした。読者の皆様の学習にお役に立てれば幸いです。
第一章 「イタリア単語」本当の意味は?
知らない単語は辞書を引けば意味が書いてあるが、その出典を探るともっと深い意味を知ることもある。また実際には辞書に書いている意味では会話では使われない単語も。
1.trucco (ツルッコ): “お化粧はトリックのこと”
私が面白いと思うイタリア語のひとつにこの“trucco”がある。これはお化粧のことを言う。しかし、もうひとつの意味はトリックである。英語ではメークアップ(make up=より良く見せる)などとうまく言いくるめようとしているが、イタリア語では、ずばりトリックだと言っているわけだ。ちなみに辞書を引くと、トリック以外にペテンとかいんちきとも書いてある。こうなると、メークアップに騙されて結婚したが、化粧を落とした顔をみてこれはペテンだと歯軋りすることはイタリアではないことになる。もともと、ペテンだと言っているわけだから「騙された貴方が悪いのよ」ということになる。尚、この名詞の動詞形はtruccareである。この動詞の意味は、「(人に対して)いんちきをする」「(人に対して)トリックをかける」という意味である。日本語では、もともと化ける(化粧)と言っているわけだから、イタリア語に近いのではないか。最近は電車の中でお化粧に忙しい女性を見るたびに、トリックのネタをこんなところでバラしていいのかなどと思っている。
truccareを使った熟語として、partita truccataがある。この意味は「八百長試合」である。truccoと似ている言葉に、truffaという言葉があるが、こちらの意味はずばり、「詐欺」である。動詞は、そのままtruffare(詐欺する、ペテンする)となる。ちなみに「オレオレ詐欺」は io io truffa とは言わない。これはイタリア語では、truffa telefonica という。「電話詐欺」ですね。
2.candidato (カンディーダート):“選挙の候補者は、穢(けが)れていない”
英語ではcandidate(候補者)といいます。candidoには、「純粋な」「真っ白な」という意味があります。これからcandidatoという単語が生まれたそうです。ローマ時代、立候補者は真っ白な服を着ていたからだという説があります。つまり、「俺は穢れていない、純粋です」という意味だったのでしょう。そう考えればこの言葉はなかなか意味深いと思わざるを得ません。まあ、逆にそれだけ純粋さを要求するほど、選挙違反があったのじゃないか、と邪推することも出来ますが。
candidareは「候補者を立てる」という動詞です。また、candeggiareは「漂白をする」candeggioまたはcandeggiaturaが、染色における「さらし工程」の意味です。この工程は夾雑物を除去する結果白っぽくなるということですから、白というよりも純粋な色にすることを言います。かつてドッキリカメラという番組がありましたね。それを英語でcandid cameraと言いますが、candidはこのイタリア語のcandidoから出たもので、本来は「正直な」「ありのままの」と言う意味です。それが、段々「露骨な」「無遠慮な」というような意味にもなりました。イタリア語の方は、そこまで発展しておらず、まだ「無垢な、無邪気な」と言う意味に留まっているようです。
候補者(candidato)といえば、日本は安倍首相で明治以来62人目の首相です(複数選出回は除く)。首相の任期が短いのが日本の特徴のようですが、イタリアも結構短いはず、と思って調べてみると、王政時代(1861年から第二次世界大戦終了まで)に30人、共和制になってから2015年のRenzi首相まで26人、合計56人でした。イタリアは一度やめて、他の人が首相に成った後にまた返り咲くということが多く、Andreottiは3回、Fanfaniに至ってはなんと5回も首相になっています。まあ、首相の数と政権の長さに関しては、イタリアと日本はよく似ているというところでしょうか。
尚、投票は、votoと言いますが、学校の成績のこともこう言います。bei votiは良い成績です。投票する人は、選ぶ候補者が成績を上げて貰いたいと思って、投票するのでしょうから、candidatoになって、たくさんvotiを集めた人は、決して brutti voti(悪い成績)は上げないようにして欲しいと思いますね。
3.coperto (コペルト):“コペルト(テーブルチャージ)はテーブルクロスの洗濯代?”
テーブルチャージまたはカバーチャージのことをcopertoといいます。日本語では「席料」と言うのだろうか。要するに座っただけでかかる料金で、場合によっては不要(または不当)に感じるものである。これは、通常はpane(パン)代のようなもの。イタリアのpane は外側が硬い。人によっては外側が硬ければ硬いほど良いという人もいる。確かに、中がそんなに硬くなければ外はある程度硬いほうがイタリアのパンらしい。しかし、あまり硬いと口の中を切ってしまうので、程々が良い。これを輪切りか、もしくは半分にして2~3cmの厚さに切った物をテーブルの上においてあって、これが一般にはcopertoとなっている。
copertoは、その昔レストランには客が食べ物持参で行っていたことがあり、その時の使用料(場所代)に由来するとの説がある。その場所が、posto aperto(野外の、開けっ放しの場所)ではなく、posto coperto(屋根つきの場所)であった事によるそうである。
一方copertoにはcoprire(覆う)の過去分詞で、覆われたもの、つまりテーブルクロスの意味がある。普通のレストランだと、客が代るとテーブルクロスを必ず交換する。Trattoria(一般にはレストランよりもカジュアルな店)だと、一度はたいて裏返しにして使うところもあるが、基本的には交換する。従いcopertoはテーブルクロスの洗濯代ではないかと思う。そう思えば、何故テーブルチャージを払うのかが納得できるのである。
さてpaneの食べ方だが、テーブルクロスがかかっているところは、自分の左脇において、ちぎって食べる。パンくずが落ちるのは気にしなくて良い。テーブルクロスは交換するのだから。中国での話だが、食事のときはテーブルクロスを出来るだけ汚して食べる方が、おいしく食べたという意味だと聞いたことがある。本当かどうかは知らないが。テーブルの上を、鳥の骨や、魚の骨などで一杯にして、客が去ると、テーブルの上に乗った食べかすをテーブルクロスでぐるっと包んで片付けるのが中国式。なるほどさっと片付くので便利だとは思う。尚、copertaと女性形にすれば、毛布や掛け布団の意味になる。
4.Così fan tutte (コジファンツッテ):.“モーツァルトのオペラの本当の意味は”
イタリアの芸術を語るのは門外漢だが、作曲家としてのVerdi、Puccini、 Rossini、Cimagori そしてVivaldiなど、有名な名前を数え上げればきりがない。このことが、イタリアを学びイタリアを訪れイタリア好きを多くしているひとつの大きな理由でもあろう。そして、芸術家の中にもイタリア好きは沢山いる。
ゲーテは「イタリア紀行」を書き、スタンダールは大半をイタリアで過ごした(彼にも「イタリア紀行」がある)。トーマス・マンは「ヴェニスに死す」を書き、ヘミングウエイの「武器よさらば」は北イタリアを舞台にしている。ヘッセの小説にもイタリアが出てくる。パリの事はあまりよく書いていないが、イタリアはどうも好きらしい。他にもイタリアを訪れた芸術家は数知れない(詳しくは、「ヴェネツィアと芸術家たち」(山下史路著)に書いてある)。
そんな中で、イタリアが好きだったのかどうか知らないが、天才モーツァルトは、オーストリア人であるにもかかわらず多くのイタリア語のオペラを多く残している。彼のイタリア語のオペラは、“Così fan tutte”、“Don Giovanni”、“Le Nozze di Figaro”など所謂オペラBUFFA(フッファ)である。そして、ドイツ語で作ったオペラも、「魔笛」「後宮への逃走」などがある。比較してみるとイタリア語で作ったオペラの方が多い。そして、全てがそうではないが、イタリア語のは、ブッファ(喜劇)が多く、上にあげた3つは、代表作であるとともに、いずれも男女間の浮気や放蕩な人物を描いたものであり、察するにそういうオペラが作られる背景がイタリアにあったものと思われる。上述山下女史の本にも、ベネチアは貿易の町で娼婦が多く、16世紀初頭には人口の一割が娼婦だったとある(なんと女性の5人に一人)。従い、捨て子も多く孤児院も多かったとある。モーツァルトの生きた時代は18世紀ゆえ、時代は少し違うが、そのような雰囲気はあったのかも知れないと考える。奔放な時代に作られたオペラだが、音楽の楽しさと相まって、これらのオペラはとても無邪気な感じがする。
さて、オペラ「Così fan tutte」は日本語に訳されず、この題名のまま「コシファンツッテ」として上演されることが多い。日本語に訳しにくいからなのだろうか。いずれにしろ、この題名は、tutteと女性複数になっているところが肝心である。tutteはtutti(皆)の女性形であるが、これは「みんな」と訳すのではなく、「女とは」と訳される。つまり「女はみなそうするのだ」という題名のオペラである。何をするのかは、オペラを見れば分かるが、見ない人の為に説明すると、「浮気」のようである。
5.domenica (ドメニカ):“曜日の話”
日曜日である。カリブ海にドミニカ(Dominica)共和国があるが、あれは日曜日という意味だろうか。おまけに首都がサントドミンゴである。Domingoはスペイン語で日曜日のこと。だが、ほとんど日曜日の国、ということではない。
日本で、曜日のことを月・火・水・木・金・土・日と呼ぶのはいつからだろうか?正式には、明治かららしいが、実際は平安時代ころから呼んでいたらしい。ただ、江戸時代には曜日はあまり使われなかったようだ。テレビのドラマをみても、確かにあまり曜日が出てこない。「来週の金曜日の虎の刻に云々」とはあまり聞かない。日本に入ってきたのは、中国からだろうが、中国では、月曜日を星期一、火曜日を星期二、のように番号で呼ぶ。それでは、英語から取ったと思うかも知れないが、英語は、Monday、Tuesday、Wednesdayと続いて、MondayとSaturday(Saturn=土星)以外は星とは関係がない。火星はMars、水星はMercuryである。これらの英語(火曜日~金曜日)は北欧やギリシア神話の神から取っている。
ここでイタリア語の登場。イタリア語は、日本語と近い。月曜日(lunedì =Luna=月)、火曜日(martedì=Marte=火星、または軍神マルス)、水曜日(mercoledì=Mercurio=水星またはマーキュリー)、木曜日(giovedì =Giove=木星または天の神ジュピター)、金曜日(venderdì=Venere=金星または愛の神ヴィーナス)となる。土曜日はちょっとやっかいだ。イタリア語で土星は、Saturnoという。sabato(土曜)とは近いが、同じなのはsaだけだ。実はイタリア語のsabatoは、ユダヤ教の安息日を意味する言葉Shabbatohから来ている。ユダヤ教では従い、土曜日は働かない。
イタリアが、現在の曜日を採用したのは、ローマ帝国がキリスト教を国教と定めた後の382年頃とされる。土曜日になぜ、ユダヤ教の安息日の名前を持ってきたのかはわからないが、当時すでに週休2日の考えがあったのだろうか?カトリック教では、日曜日を安息日と定めた。従い、日曜日の名前を、Domineの日とした。Domineとはラテン語で「主」「神」の意味である。つまり、日曜日(domenica)は神の日という意味である。そうすると、日本語は、日曜日だけ英語(Sunday)から取ったのだろう。いや、土曜日もそうだ。日本の曜日は月~金はカトリックに従い、土日はプロテスタントに従ったのだろう。中国語では、日曜日のことは星期天(神の日)、または星期日(太陽の日)というから、実はどちら側の表現にも当てはまる。
いずれにしろ、ドミニカ共和国は、日曜日の国ではない。
6.erba (エルバ):“ハーブはハーブでなくただの草”
副詞や形容詞の外国語は、日本語と必ずしもイメージが一致しているわけではないが、名詞であれば指すものが同じだから同じものと考えることができる。と思うのは早計で、名詞でもところ変われば同じものだとは限らない。
昔英語で ナシはpearだと習ったが、西洋のpear(イタリア語ではpera)は、日本の梨とは全く違うものだった。最近は西洋ナシとか、ラフランス(これも違うのかもしれませんが)とかつけられて区別されているようではあるが。
日本で豚と呼ぶものは、中国語では猪と書く。一方イノシシは野猪と書くらしい。手紙は中国語ではトイレットペーパーのことになるそうだ。
erbaに話を戻すと、この単語の英語はherbとなるが、herbはerbaの正しい英訳とはならない。正しい訳はgrassであろう。つまり、erbaとは単に「草」のことで、日本語でいうハーブのことではない。香草のことはerba armaticaというがこれは料理に使う香草という意味。つまり、erbaは、ローズマリーや、セージなどのようなハーブの意味では特になく、全ての「草」のことをいう。
Parsley、sage、rosemary and thyme (スカボロフェアの歌詞に出てくる)の順に、イタリア語では、prezzemolo、salvia、rosmarino、timoと言う。日本語でサルビアと呼ぶ春から秋にかけて大変長い間咲いてくれる花があるが、あれはイタリア語そのままです。ハーブではないが、イタリア語の花の名としてはviola(ヴィオラ)もそうだ。ちなみに、violaに接尾辞をつけたVioletta(ヴイオレッタ)は女性の名前で、オペラのTraviata(椿姫)の主人公の名前で有名である。
7.farfalla (ファルファッラ):“過ちを犯させるのが「蝶々」?“
これの意味は、「蝶々」です。そしてfarfallaには、「浮気者」の意味があります。この意味では、モーツァルトのオペラ”Le nozze di Figaro(フィガロの結婚)”で、しっかり使われています。ケルビーニという若者が女性にもてて困るので、彼を軍隊にやってしまおうという画策が行われ、その時の歌が「もう飛ぶまい蝶々よ」といいます。これは、「恋する色男さん、これで浮気はおしまいね」と言う意味の歌です。イタリア語歌詞は、Non più andrai farfallone amoroso. で、farfallaには拡大を意味する接尾辞の“-one”がついて、「大浮気者(大色男)」となっています。
また、この単語の見方を変えると、fare-fallaとも見ることができます。fallaはfalloと同じく「過ち」「罪」「間違い」「ファール」などの意味があります。fareは使役動詞の「させる」としたら、fare-fallaは「過ちをさせる」ということで、ひょっとしたら「浮気」の事かも知れません。そうなると「蝶々」は昆虫の名前が先か、浮気者が先か分からなくなりますが、、。
8.fidanzato (フィダンザート):“もともとは婚約者だが婚約はしていない”
女性はfidanzata(フィダンザータ)となる。辞書を引くと、「婚約者」と書いてある。また fidanzareは婚約させる、fiddanzarsiは婚約するという動詞である。しかし、この名詞は、実際にはボーイフレンド、ガールフレンド、恋人の意味で使われており、婚約者という意味はほとんどない。イタリア人同士が使っているとしたら、まず本来の意味はないと思って良い。
では、婚約者はなんと言うのか?古い言い方にpromesso sposo(promessa sposa)というのがある。Alessandro Manzoniの代表作”I Promessi Sposi"でご存知の方も多いだろうが、この言葉は現在では使われないが、意味は「婚約者」または「許婚者」である。つまり、これは男女の関係が婚約をしているのかどうか、でつきあいの真剣さを問うような古い考え(?)がすたれていることを表わしているように思う。一般に、男女がそれぞれの恋人を紹介するときに、この言葉を使う。
また、la mia ragazza(マイガール)とかil mio ragazzo(マイボーイ)という言い方もガール(ボーイ)フレンドという意味で用いるが、これは本人がいないときに使うようだ。本人がいるときに、Lei è la mia ragazza. 「彼女は僕の女だ」などと言うと、後で一悶着起きるかも知れない。尚、sposo、sposaは花婿、花嫁のことである。
9.gennaio (ジェナイオ)、febbraio (フェブライオ): “月の順番が違う?”
イタリア語を勉強した方は、sette-mbre,otto-bre,nove-mbre,dice-mbreが夫々、7-8-9-10を表わす月であるにも拘わらず、9月、10月、11月、12月と2ケ月ずれた月を表わすということに気付いていますね。これは、昔のローマ暦では、1年が10ケ月(304日)しかなく、しかも年の始まりが現在の3月からだったことに由来するといわれています。つまり3月から数えて7番目の月が9月だったわけです。そして、現在の7月、8月も、もともとは夫々3月から始まって第5、第6の月と呼ばれていたのだそうですが、LuglioとAgostoという名前に、ローマ帝国初代皇帝のAugusto(アウグストス)のときに変えられました。LugioはGiulio Cesare(シーザー)、Agostoは自分のことです。そして、1年も12ケ月に変えられました。
何故1年が10ケ月304日で回っていたのか不思議に思いますね。現在の暦だとあと61日ほど足りませんが、当時の冬は寒いので、単にこの61日間を「冬」と言っていただけかどうか解りませんが、月としてカウントしてなかったようです。そして、1年が365日では合わないということも薄々感じていたようで、冬の長さ(61日)を4年に一度調整(62日)していたようですね。
12ヶ月に変更した時に、最初の月をgennaioと名づけました。これはローマ神話のGianoという神の名で、ドア(入り口)の神様です。1月は1年の入り口だということで、この名前をつけたそうです。2月はfebbraio、これはラテン語のfebruareから来ています。この意味は、魂を清める、慰霊する、贖罪する月と言う意味です。もともと3月から1年が始まることになっていましたから、その前に全てを贖罪し新しい年に入ると言う意味だったのでしょう。日本の除夜の鐘(108の煩悩を年の最後に清める)の考え方と似ていますね。そして、何故2月が28日だったり29日だったりするかもこれで分かります。1年の最後の月なので、この月で調整しようとしていたのです。
10.manifesto (マニフェスト):“「政権公約」ではないって、ほんと?”
これはイタリア語では張り紙、掲示のこと。この言葉は、日本では政党が「政権公約」の意味で使って一般的になりましたが、恐らくこの言葉の出もとであろうイタリア語にはそういう意味はありません。強いて言うなら、マルクスの共産党宣言のことを、"Manifesto del partito comunista" と言うので、「宣言」と言う意味では使われます。公約とはちょっとニュアンスが異なります。
民主党が政権を奪取する前に「マニフェストはイギリスで始まりました。書いてあることは命懸けで実行するが、書いてない事はやらない。それがルールです」というマニフェストの説明が入った演説があった(野田元首相)ので、日本語のマニュフェストの語源は、イギリス=英語なのでしょうね。英語の辞書を引くと「宣言、声明書、布告文、告示、政権発表」などとあり、政権公約とは書いてないが、、。
ちなみに、manifestareという動詞には、「デモに参加する」という意味があり、manifestazioneは、「示威行動」つまりデモの事を意味する。また、manifestoは、張り紙を意味することから、manifestino(マニュフェスティーノ)と言えば、「ビラ」のことを意味する。日本語のマニュフェスト、つまり「政権(党)公約」は、イタリア語では“pragramma elettrale”となります。
日本語では「パブリシティ」と「広告」とは、マーケティング用語としては分けるようです。簡単に言うとパブリシティは、無料の宣伝活動で広告は有料のそれである。英語では、publicityとadvertising(advertisement)になる。英語のpublicityが日本語のパブリシティと意味が同じかどうか知らないが、ここでイタリア語を見てみよう。これは、“pubblicità”と“avvertimento”が語源であろう。pubblicitàは、「宣伝」「広告」で、agenzia di pubblicitàといえば「広告代理店」、“film pubblicitario”は「コマーシャルフイルム」のことで、これはパブリシティ(無料の)ではなく「広告」(有料)に相当する。pubblicitàの語源は、pubblico(大衆、公の)であり、動詞のpubblicareは、「公表する」「出版する」という意味を持つ。つまり、もともと公共性のある告示をするという意味。一方、avvertimentoの方は、「通告」「警告」「ビラ」などの意味を持つ。動詞は、avvertireで、「通告する、警告する」という意味だ。英語だとwarnの意味になる。つまり、もともとは「警告する」ほどの意味が、「広告」という柔らかい言葉に変わったものだ。尚、イタリア語で「広告」は、“pubblicità”の方を使います。また、propagandaという言葉もある。これも広告の一種で英語も同じ言葉だが、「主義,信念の宣伝、宣伝活動」を言い、イタリア語とほぼ同じ意味です。
言葉は、変化する。特にカタカナになったものは、日本でさらに意味が変化したと考えた方が良いかも知れない。海外で使うカタカナ外国語には注意!
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