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日記

つらいことはいっぱいあるけど自覚されるつらさは一定量を超えない。全ての傷口が開いて全部いっぺんに対峙すると処理できないので一つの傷口が開いている間は他の傷口は閉じているのだと思う。一つが大丈夫になれば待っていましたとばかりに他の口が開く。先は長くて遠い。
つらい出来事との距離が空くと主観的な色が薄れて自分がだんだん他人になる。そうすると自分の粗もわかってきて別のつらさが生じる。完全な一人称の被害者だったのが加害者でもあったことがわかってくる。
つらいことの説明を過去に求めてそれが失敗しつづけている。答えがなくて手応えもなくて徒労なのにやめられない。解釈すれば飲み込めるだろうという見込みがあるけど、解釈は必ず嘘や脚色を含むのでそれは救いになるはずがないと思ってしまう。記憶がそもそも曖昧なのでどんな解釈も曖昧な記憶に基づくとして自分が棄却する。

やりたくないのにまた検索しまくってしまった。前より検索を引いて見ながら検索していいてそれが進歩なのか、別に進歩でもないのかわからない。早くやめたい。

スピッツをとにかく聞いている。スピッツは最高。スピッツばかり聞いてる。歌詞が非自明なのと、最近の曲はそうでもないけど世界が自分だけか自分と君だけで閉じてるのが良い。

本当に基本的なことがわかってなくてセミナーのたびに先生をびっくりさせてしまう。基本的なことが書いてある本があるなら欲しい。

自分の書く言葉に自信がない。言葉を使って自分の思ってることを正確に描写できていないと感じるし、自分の書いたことを批判されるんじゃないかみたいな恐怖がある。自分の書いたことが後から正当な読解であれそうじゃないものであれ、将来において自分が不利な立場に立たせられたらどうしようみたいなのがある。この恐怖はいつも出るわけじゃなくて、自分が思ってる無難な言説の範囲の外の言及をしようとすると感じる気がする。


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