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生まれた地元で生きていくのが一番幸福なんじゃないかと思う。家もあるし。でもそれができない。いじめられたし親ともあまり上手くできない。昔はとにかく地元では暮らせないという事実が大きかったけど最近はそれは自分がダメだからなのだという考えが大きくなってきて辛い。幼少期の失敗の罰を受けている。逃げれるだけマシでありがたいけど。

就活が辛い。無限にやらないといけないことがある気がするけど全然リストアップできてないし動けてもいない。

本を読むのが前より難しい。前は読むのがただただ楽しくて読んでた。小説が読めなくなった。読んで何になるのかと思ってしまう。研究者が書いた一般向けの本はまだ読める。それでも読んで何になるんだろうと思ってしまう。楽しい気持ちだけで読み切るまでいけない。疲れているのかもしれないし本業が疎かなのに読むことへの罪悪感かもしれない。

本業、頑張りたいという気持ちはあるけどいざ始めると全然頑張れない。知識が足りなさすぎるし難しすぎる。分野が全然整備されてない。分かってるかことと分からないことがぐちゃぐちゃになっている。それでも相当恵まれた環境にいるので頑張りたい。

書けることはもう解決したことだと思う。言葉にできた時点で問題はあらかた解決できてる。少なくても自分の中では。言葉にするまでがもやもやして苦しい。書くことは現在出力してるのに書いてあるのは過去のことだから不思議な感覚がある。

頭がざわざわしてる。もっと静かな頭を手に入れたい。集中したいし無駄を削り落としたい。考えなくていいことは考えないようにしたい。

ずっと家にいるとどこかに出かけたくなる。家の居心地を良くしたいけどどうしたらいいか分からない。おそらく居心地が悪いのは狭いからでもしそうなら解決しようがない。大きなおでかけをドカンとやるより小さなおでかけをたくさんした方がいいのかもしれない。大きいお出かけは楽しい。計画を練るのも楽しいし遠出するのも楽しい。でも行くのに時間がかかるし終わってからも疲れて休む時間が必要になる、東京は広くてどこにでも行ける気がしてしまう。家から一定範囲以内しか行かないようにしたい。自分の中の何かがおかしくて遊びすぎてしまう。辞めたい。

地元では車がないとどこにもいけないからそれを持っていなくてもどこでも行ける東京はすごい。サイコー。身に余ってる気がするから身の振り方は調節したい。

大量生産されるものが持つ合理性から来る美しさみたいなのが好き。アンティークにあまり興味がない。新しい物で生活が良くなるという考えを捨てたい。自分で生活をより良くできる自信がないからまだ知らない物という飛び道具に夢を見てしまうのだと思う。家事とか本業に喜びを感じるようになりたい。自分しか自分の生活を良くする存在はいないのだと自覚したい。美味しいものは前より虚しい。美味しさから来る喜びが全然持続しなくて虚しい。新しい靴の底が前の靴よりふかふかじゃなくて前より散歩に疲れてしまう。いい香りを嗅ぎたいという欲求はあるけどその満たし方が分からない

前は私に必要なものが棚に紛れ込んでてそれを探し出して買うみたいな世界観だった。世界は私のためにあるわけじゃないし本当に欲しいものが棚に並ぶわけじゃない。

私は学生というものに過剰適応を起こしてしまってる気がする。働くことに適応できるか不安だ。

私は誰かを尊敬するということができない。完璧を求めてしまうから。だからロールモデルがいなくてそれはマイナスに働いてる気がする。矢印がないとどこにも進めない。矢印って嘘だと思うし虚構を信じることだと思うけどそうしないと動けない。

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