適当に聞く・適当に話す

自分の状態を過度にモニタリングし過ぎている気がする。次やる気晴らしを常に考えていてやるべきことが後回しになっている。やるべきことが遅れると落ち込んで悪循環になっている。
恋人は私の話をあまり真剣に聞かない。何かのきっかけで考え事を始めたり興味がないと真剣に聞かなかったりする。聞いてほしい話のときは再度言うしそうでもないなら繰り返さない。そこに何度も救われてきた。外に出すと負担が軽くなるのは不思議だと思う。言わないで耐えていると自分の中でどんどん重くなっていく。私は対人で話を聞くことが少ないので、そういう機会があると張り切って、頑張って聞いてしまう。面白い話を望みすぎたりする。そして相手に粗をみつけると悲しくなったり、良い返答を考え過ぎて疲れたりする。でも私も話を聞いてほしいときに望むのは隣にいてくれることくらいだな〜〜と思う。笑ってくれたり冗談を言ってくれたら最高だ。AIに相談しても虚しくてすぐやめてしまう。どの相談をしても同じフォーマットで帰ってくるのが耐えられない。
過去や未来を考えすぎると病むというのはずっと前から聞いている。その度何も分かってないと思ってた。なぜなら悩みは目の前にあって否応なく向き合わせられるものだからだ。過剰に言えば何も分かってない奴のアドバイスだと思っていた。でも最近これは真実なんじゃないかと思えてきている。きっかけは鬱の本かもしれない。その割り算と掛け算の話がすごく良くてすとんと降りてきた。納得した。確かに過去と未来を考えすぎると病むのかもしれない。ずっと過去のしてきたことに責任を感じてきた。未来が心配でたまらない。そういうことを完全にやめることはできなくてもとりあえずストップすることが前よりできる。これはもう十分やって飽きたからかもしれないし、今余裕があるからかもしれない。一つ思うのは何度同じアドバイスをもらっても受け入れられなかっただろうなということで、準備が整った段階でこれを読めたのが本当によかった。ありがとう点滅者さま。ありがとう執筆者の皆様。割り算と掛け算の他にはゲーテの話もすごくよかったです。
私のことは全て個人的なことでこれを一般化することは私にはできない。だから本を書くってすごいことだなと思う。その一般化がどこまで届くのか知る由もないけど想定の外にまで広がっていくのだろうしそれに耐えうるテキストを生み出せるのがすごい。

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