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鬼八とヒメヒコ制について


鬼八についてヒメヒコ制という視点から考察していきたいと思う。

ヒメヒコ制とは。

【ヒメ・ヒコ制】より

…男首長への支配権の一元化を通じて古代国家の形成がすすむにつれ,この体制は急速に消滅していった。ヒメ・ヒコ制を廃するために,宗教権をもったヒメを召し上げる制度として実施されたのが采女(うねめ)制であった。一方沖縄では,各家から国家のレベルに至るまで,ピラミッド型の二重支配体制ができ上がり,女性が長く宗教権を握り続けた。…

※ 世界大百科事典内の采女の言及より引用

古来、日本にはヒメヒコ制というものが存在しており、男は力、そして、女は呪術。

それが合わさって国を統治していたものと思われる。

ただし、ヒメヒコは男女というわけでもなく、また夫婦、というわけでもなく、兄弟、姉妹でもヒメヒコというものに当てはまるようだ。

神武天皇が東征する時、宇陀の兄猾(えうかし)弟猾(おとうかし)がいた。

兄猾は神武天皇を殺そうと企むのだが、弟猾は裏切り、神武天皇に密告し、兄を死に追いやるであった。

それこそが、ヒメヒコ制が無くなっていく背景を物語っているというのだ。

これは、兄弟と見られるが、兄猾は男、弟猾は女であり、力の兄猾に対し、呪術によって、国を占う力があった弟猾。

本来なら2人合わさる事で統治されていた宇陀が、神武天皇にひれ伏すということである。

これが鬼八伝説にも当てはまるのではないかと考えた。

鬼八は元からいた豪族。

荒立神社付近にある、王の宮はこの鬼八の宮ではなかったかと考える。

そして、妻であった鵜の目姫はこの荒立神社をお祀りする山氏興梠一族。

鵜の目姫と鬼八は夫婦であったかは、とりあえず置いといて、力の鬼八、呪術の鵜の目と考えた。

それによって、この辺り一帯、昔は三田井地区ではなく、熊白と言った。

この地区にある神代川も昔は熊白川と言った。

しかし、高千穂十社大明神とされる神武天皇の兄、三毛入野命が入ってくることによって、鬼八は敗れた。

それは、鵜の目が裏切ったのか、もしくは国譲り的なもので、後から入ってきた三毛入野命と共に鬼八を破ったことで、三毛入野命は鵜の目を妻とし、婚姻関係を結び、新たな世を作るために、興梠一族とも協力していったのではないかと考える。

また、采女という役職があり、大和朝廷に従うという意思の元に豪族の娘もしくは妹を采女として朝廷に仕えさせたという。

地方豪族からとった采女は、娘ではなく妹の例が多いようで、鬼八と鵜の目姫は兄弟だったのかもしれない。

うねめ【采=女】

宮中の女官の一。天皇・皇后の側近に仕え、日常の雑事に従った者。律令制以前からあったとみられるが、律令制では諸国の郡司一族の子女のうちから容姿端麗な者を出仕させて、宮内省采女司(うねめのつかさ)が管理した。名目的には江戸時代まで存続した。

※ デジタル大辞泉 『采女』の解説より引用


今現在でも行われている『ししかけ祭り』は以前人身御供により鬼八の霊を鎮めたというが、(武将甲斐宗摂によりそれは廃止され猪にしたとされる)人身御供とは一種の人質として服従するということではないか!?

しかしながら、三毛入野命である十社様に従ったのであって直接の天皇ではないので、祭祀を司る巫女として仕えたのが、本当のところではないだろうか?と考える。

鵜の目姫は采女から字がいつの頃か変わっていったのかと思う。

また、鵜の目姫の別名『阿佐羅姫』と言い、采女とも通づる名前の似た役職も存在する。

あさめ‐もとり【阿佐女主水】

〘名〙 (「もとり」は「もいとり(主水)」の変化したもの) 大嘗会(だいじょうえ)に際して、供膳(きょうぜん)に奉仕する采女(うねめ)。

※ 精選版 日本国語大辞典「阿佐女主水」の解説より引用


世界の王朝と日本とは違い、相手を倒しても、完全に滅ぼす事はせず、新たに盛り込んでいくのが古来からの日本人の精神であるので、興梠一族との関係はこういう事ではないか。それで、のちの高千穂を統治した三毛入野命の末裔とされる三田井氏と荒立神社との関係がより深いものになったのだと思う。

大神氏が高千穂へ入ってきたのは950年頃とされており、平安時代に采女に対する立場が変わってきた頃とも関連があるのかもしれない。

現に沢山の奉納品が残されている。

鬼八は興梠一族の頭領で鵜の目姫の関係は妻、もしくは兄弟、もしくは娘で、同じ興梠一族であった可能性もあるのではないかと思う。

この本組地区は縄文土器も発見されており、神代川もあることから、古くから生活していた人たちがいて、そこに人が生活していることで、山の神様を祀り暮らしていた。この辺一帯の発祥の地であるのだ。

後に土着民ということで、土着の神【猿田彦大神】を祭神としたのではないだろうか?

この辺りは、興梠の内裏といわれており、興梠一族がいかに大きな勢力であったのかと思われる、非常に興味深い氏族である。

余談だが、ししかけ祭りの人身御供を廃止した甲斐宗摂は、主君を裏切り殺害している。天正年間に、乙女の人身御供から猪に変えたというのも、三田井氏が人身御供として、巫女を献上させていたものを廃止させた。高橋元種に脅迫されて村人を守る為に、主君を裏切ったという説もあるが、三田井氏に対して反発もあったのかもしれない。

これは私の勝手な考えであることはご了承いただきたい。

【参考文献】
采女 献上された豪族の娘たち 門脇禎ニ著 昭和49年版

日本書紀(上) 宇治谷 孟 全現代語訳 2015年発行

天皇の国史 竹田恒泰著2020年発行

世界大百科事典内の采女の言及より

デジタル大辞泉 『采女』の解説より

精選版 日本国語大辞典「阿佐女主水」の解説より






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平井俊徳
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