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一汁一菜

9月に入ってからすこぶる調子のいい日が続く。先月は、思うように身体と心がシンクロせず、早起きすることさえままならない日が続いた。夕飯の支度にも身が入らなくて外食が増えるばかり。夜には、胃もたれと尿意に見舞われてろくすっぽ眠りに集中できない。

しかし、Septemberに突入した今、力配分を調整しつつも、少しずつ今までのどおりの生活を取り戻している。夕飯は一汁一菜を意識するほか、炒飯や丼ものなどの簡単なものを用意するように。やはり、外食よりも遥かに自分でこしらえた飯は上手い。自分の料理の腕前があるという話しではなく、どんなに手抜きの料理であっても人の手を加えられたものは格別だという話。外食では味わうことのできない温かみがある。

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プライベートになると、ワタシは自分に負荷をかけるタスクを課せようとしてしまう。その結果、長続きしないことが多い。以前も、夕飯をこらえるにあたって見栄を張るためにあらゆる小鉢を用意していた。結果、おかずが多すぎて完食できず、無駄なエネルギーを消費するばかり。Instagramに掲載されている夢のように豊かな食卓を実現することはあまりにも難しく、身の丈を知るべきだった。

自分に与えるべきタスクの度合いを調整しながら、現在では「簡単でもいい」という方針をかかげ、夕飯をこしらえている。無理をしないことが目標で、上手ければなおのこと良し。一汁一菜を意識してから、一種類の調理に集中することができ、味へのブレも多少軽減されたように思う。何度も同じことを繰り返すようだけど、やっぱり手作り料理に勝るものはないんだ。

あまりに力尽きた時や気力0のときは、自宅周辺にある飲食店で飯を済ませてしまうこともあるし、それだって悪ではない。ただ、やはり立て続けに外食が続くと身体も徐々にしんどくなってくる。悪いものを食べているわけではないものの、外で食べる飯はマンネリ化しやすい。もちろん、自分でこしらえる献立にも偏りが出てくるが、プロではないので微妙に味が異なることも多い。これは、お母さんの味噌汁理論と同じ。

母親の味噌汁は、毎日少しずつ味が違うそうだ。味見をしている母親自身の体調に合わせ、一日たちとも同じ味はなく、だからこそ飽きずに毎日楽しめる利点があるといった話しを聞いたことがある。

家庭料理だって同じことが言えるのではないだろうか。忙しい毎日の中で練られる365日の献立には、多少なりとも重複したメニューが存在してくる。それでも飽きずに食べ続けられる理由は、微妙に味の差が現れているからであって。飲食店で出される正しい配分の料理とは違い、その絶妙な味加減の差こそ温かみを感じる要因なのかもしれない。

ああ、今日の献立は何を作ろうかな…

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