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メイヤとココジャンボとFMラジオ

先週末の話です。
散髪しようと地元のQBハウスに。
店内のBGMはFM横浜から流れるのは、メイヤの『How Crazy Are You?』。

当時はJ-WAVEでイヤと言うほど流れてましたが、25年ぶりくらい?に改めて聴いたら、全然イヤじゃない良い曲ではないか。

1990〜2000年は日本の音楽シーンにおけるFMラジオ全盛期。
全国のFM局でパワープレイを獲って、アルバムが売れて、コンピレーションCDに入れて、そのコンピも売れる・・・と言う「洋楽二毛作」時代。
当時 ワーナーで洋楽の販売促進と予算の進捗管理を預かる身であった僕は、なぜソニーとBMGとEMIはパワープレイを獲って、おまけにコンピまであんなに売れるのか?って事を真剣に考えていた時でした。

ワーナーは、メイヤのような「今まで知名度がないアーティスト」の「キャッチーな曲を日本で仕掛けてヒットにする」ことが苦手なレーベルでした。
なぜならそんなことより、毎月アメリカで大きなリリースがあり、それを本国からのプレッシャーのもと日本でも売ることに必死だったからです。

しかしながら、90年代はだんだん日本とアメリカの洋楽の嗜好性に乖離がデキ始めてきた時代で、実際アメリカで売れるビッグタイトルでも、日本でどれほど頑張っても「まぁそこそこ売れました・・・」程度で終わり、予算の穴埋めに苦労することも多く、ワーナーはあまりに「アメリカの洋楽の大物・王道」ばかりで、あんまり日本のラジオ・オリエンテッドじゃなくなってるのか?・・・とか。
大物のリリースがあるわりには、予算をクリアしていかないジレンマとともに、「大物がない分、新人を仕掛けて、大きな売上を作っている」他のレーベルの自由さを少しうらやましく思っており、日本のワーナーも日本人好みの作品を独自に仕掛けて売った方が大きな売上が獲れるのに・・・とずっと悩んでおりました。

んで、メイヤがヒットした1996年の年末。

販売計画を立てていると、洋楽の販売予算は大きいのに、年明けは海外からのリリース予定が全くないことが発覚。予算達成へのレスキュー策が必要となり、「ついにワーナーも洋楽の一発モノを仕掛けるべき時が来たのか?!」と、焦りが1/3、不安が1/3、ワクワクが1/3・・・という気持ちで「日本で新人を売りましょう!」と。
で、その時にワーナーのドイツから定期的に送られてくる音源の中から、たまたま面白いモノを見つけたのが「Mr.President」の『ココ・ジャンボ』。

『ココ・ジャンボ』は一発屋の臭いがプンプンするヘンな楽曲でしたが、当時の洋楽部のマネージャーだったMさんと宣伝担当のOさんが一度聴いた瞬間から「これオカシイよね」「売れるんじゃない?」と大はしゃぎ。

しかし、上のレベルの人たちはそうでもなかったのですが、洋楽部の現場で何となく、少し引き気味の人もいて「ワーナーが一発屋を手掛けるなんて・・・」的な雰囲気も感じました。
営業と数字の管理を預かる身としては、翌年2月発売の作品として編成したいと主張。
「そもそも来年の2月は他に売るものが何もないよ。休憩でもするつもりか?」
「しかもこれは頑張ったら売れると思うぞ」
「他社がやっているように全国のラジオのパワープレイを獲りに行けばいい話」
「そうすれば営業はガッツリと(大きい数字の初回出荷を)受注させる」
・・・と、けしかけ、
「こんな一発屋はJ-WAVEでは絶対にオンエアされない。東京で売れると思うか?」
との意見が洋楽部内から出れば、
「だったらJ-WAVEはいらん。北関東で売ればよいだろう?」
と社内でバトルがあったりして
「ホントにワーナーってまともにいい音楽しか売ろうとしないレーベルなんだな」・・・とイライラすることもありました。

そんなわけで若干無理やりではありましたが、訳の分からない訊いたこともないドイツの怪しげなグループを翌年の2月のイチオシにして受注を進めていくのですが、社内にも鼻の効くスタッフは何人もいて「おい、訳が分からんが、これ店の評判もいいぞ」とのレポートも現場から上がってきたりしてザワツいた状態で、年末に入り年を越しました。

で、1997年の明けたあたりに、当時、名古屋の宣伝担当のW氏から、ZIP-FMで『ココ・ジャンボ』のサンプル盤を配り始めたところ
「みんなが面白がってオンエアしてくれる」と嬉しいレポートが。
「いや、まだ早いよ。一応発売日が2月10日なのでその週がラジオのオンエア回数のピークになるように、今はまだ抑えて欲しい」
と話をしたところ、数日後
「すまん、ダメだ。オンエアを抑えられない。抑えようにも方々で勝手にこの曲を流し始めている」
「『まだ曲をかけるな』なんて宣伝するのは入社以来初めてだが、そんなの誰もきいてくれない・・・」
「もう名古屋はどこもかしこも『ココ・ジャンボ』だ!」
とレポートがあり、発売日付近には、J-WAVE以外の全国のFM局で『ココ・ジャンボ』が流れまくって、発売したらアルバムは40万枚近く売れてしまい「Mr.President」はとてもいい人たちで日本で売れたことを喜んでくれて、テレビ出演が決まるたびに何度も来日してくれました。
「日本発の洋楽ヒット」って、どんなものなんだろう?ってずっと思ってましたが、新人の一発屋を売ったのは100%日本の力で、やりがいあったよなぁ・・・と、これはいい経験になったのでした。

売れたら売れたで今まで様子見だった人たちも乗っかってきて、それはそれで社内は大騒ぎとなり、当時販促担当だった僕はそれほど苦労はしませんでしたが、制作や宣伝などの洋楽部のスタッフの方々は、なかなかタフな仕事だったと思います。

今はもう洋楽はほとんど配信だけになり、CDという「モノ」がリリースされなくなりました。モノが出ないと、プロモーションが目に見えないものになってしまいがちで、売り出しにくくなります。
今ならTikTokなどで使ってもらう・・・などのプロモーションもありましょうが、いかんせんどれくらいの売上になるのか?が見えづらく、大きなマーケティング予算を組みにくくなります。
やはり、音楽を形にして売るということが出来た時代って、わかりやすくて楽しくてよかったな・・・と思うこの頃です。

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