見出し画像

評価とニート

まあニートを自称していますが、学生なので厳密にニートでは無いんですけど。精神病で不登校なので実質ニートみたいな生活をしております。どうも、くぼさんです。
今回は僕の考える評価というものについてお話をしたいなと、思いまして筆を取った次第ですが、なんと酒を飲んでおりますので多少支離滅裂になるかもしれません、謝りはしませんが先に宣言しておくことで免罪符とさせていただきます。

引きこもりクソニートなので人から評価をもらう機会がめっぽう少なくなり、最近少し褒められるだけでとんでもなく嬉しく感じてしまいます。
例えばこのサイト、noteや、youtube、Twitter等のSNSやリアルで少なからず関係を持ってくれる友人や親族、お医者さんやお役所で働いている公僕の皆さん(決して悪く言っているつもりは無いです)。なんだかんだ色々応援してくれるのである意味現状への評価だと思っているのですが、学生や社会人は成績という目に見える数字で評価されていると考えるとシビアな世界で生きてるんだなと感じます。

最近の私の話をさせてもらうのですが、noteやyoutubeの閲覧数が一番目に見える評価に感じます。いや別に大きくバズる(閲覧が伸びる)閲覧が伸びることは無いんですが少なくとも一定数見て頂けているというのが心の支えになっております。私はかなり承認欲求というものが高いと感じていて、常に誰かに私自身の存在を肯定してもらえないと生きている実感がありません。最近は有難いことにnoteやyoutubeの閲覧が無くても恋人が慰めるというか肯定してくれるので生きていけているのですが、多分こういう存在がいなくなったら私はこの世に存在していません。現実的な話をすると自害というものは少なからず誰かに迷惑をかけるので、そういった事はしないのですが、生きていく活力は失われると思います。

と、綴っておりましたが書く気力を失い気が付けば年を越しておりました。あけましておめでとうございます。本年も拙い物ですが記事を読んで頂けると励みになります。

何を書きたかったのか分からなくて読み直したのですが、何を言いたいのか分からなかったのでYouTubeにあけおめ動画として私の考えをまとめたお話を編集中ですので、チャンネル登録、通知登録してお待ち頂けますかね(露骨な宣伝)

多分一言にまとめると、ニートやけど応援してくれる人がいるから創作活動頑張るでみたいな話だと思います。またね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?