『初版人口論』訳文について

マルサスの『初版人口論』(1798)には、いくつかの訳があるが、入手のしやすさと訳文の平明さから、輪読では『人口論』(斉藤悦則訳、光文社古典試訳文庫、2011)を使用する。個人的には、『初版 人口の原理』(高野岩三郎・大内兵衛訳、岩波文庫、1962)の硬質な訳文も好きだが、品切れである。中公文庫の『人口論』(永井義雄訳、2019、未見)は、1973年版の「改版」だそうだが、後者はさらに『世界の名著シリーズ』に収められたものである。

英文は『マルサス全集』(_The Works of Thomas Robert Malthus_, edited by E. A. Wrigley and D. Souden, London: W. Pickering)の第1巻のものが決定版だが、輪読で原文を確かめたい場合は、インターネット上のもので十分だろう。 

以下は、岩波文庫版に収録されている大内兵衛による解説の一部である。輪読メンバーの参考に供する。

マルサスが今日まで学者として有名なのは「経済学、ことに『人口論』など社会問題に関するすぐれた著作のため」であることは墓碑銘のいう通りである。…この『人口論』の成功とそれに対する世論の反響の大さが彼を一生『人口論』と結びつけ、彼はその添削改版にそのエネルギーの大部分を費し、またその主張を強化するために、経済学の研究に後半生を投じたのである。その問題の書『人口論』は、1798年の作である。このときマルサスは32歳であった。この論文の由来とその議論の性質についてはもういちど後段でのべるけれども、この本が当時のベスト・セラーであり、これによってマルサスがイギリス第一流の学者の地位をえたことは何よりもさきに書いておきたい。『人口論』が問題としたのはピットの救貧法改正であった。当時イギリスはフランス革命の影響をうけ、また同国と戦争をしていたため、物価が騰貴し、とくに食料が不足して、人心が非常に険悪であった。ピットが救貧法を改正して貧民救済の条件をゆるくしようとしたのはこのためであるが、世論は必ずしもそれに賛成でなかった。というのはこの改正は大家族主義を奨励し個人の責任を軽くするもので、またそのために国庫の負担も大きくなると解されたからである。マルサスははじめは必ずしもこのピットに反対であったわけではないが、ピットに賛成する人々のうちにはゴドウィンコンドルセーやの思想に共鳴し社会も人間も一定の理想に従って無限に改善せられ得るという考に立つ人が多いのを見て、とくにそういう人々に向って、救貧法の改正の非を論じる気になったのである。人口増加の原理はこの革新思想批判のためにもちこまれたのである。そしてマルサスのこの本が成功したのは、問題がこのような時局の最大問題であったからであり、それに対する解答がとくに痛切明快であったからである。痛切であったというのは、食料の不足は食料の供給よりもそれを食う人口の方が多いからだといい切ったことであり、明快であったというのはそれを自然の法則として、それを引力の法則を説明するがごとく断定的に表現したということである。いいかえれば、マルサスの議論の立て方は論敵ゴドウィン以上に公式的でまたゴドウィン以上にセンチメンタルであったが、このスタイルは当時のイギリスの知的社会のムードに合っていたらしく、それがこの上もなく科学的であるかのようにうけとられたのである。

岩波文庫版、pp.266–267

以上


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