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第01章

第1章では、意見の対立する二つの立場の解説と筆者の主張の概要が述べられている。

意見対立のせいで問題の解決が難しいこと(pp.23-25)

人類は変化の時期[具体的に?→フランス革命]に差し掛かっているが、その中で大きな問題で意見の対立がある。1つ目は、人間はこれから無限の改善に向かって進歩するだろうというもの、2つ目は、幸せと不幸せの間を無限に往復するのが世の定めであり、どんなに努力してもゴールへはたどり着けないというものである。

皆苦しくて現状の解消を求めているが、この両者は相手の主張を認めようとしない。現状を肯定する側[1つ目?2つ目?→上の2つめの立場、マルサス]は相手を、思索的な哲学者連中は、実のところ現体制を破壊し、自分たちの野心的たくらみを推進したいだけに過ぎないずるがしこい奴ら、もしくは頭のいかれた偏執狂であり、理性的人間の注目に値しないと断じている。対して人間と社会の完成可能性を主張する側[1つ目?2つ目?→上の1つめの立場、ゴドウィンとコンドルセ]は、奴隷の烙印、あるいは市民社会の悪弊の弁護者の烙印を押し、先の見通せない人間としている。

どちらの主張もよい点があるが、両者は相手方の主張に耳を傾ける気はほとんどない。具体的には、現状肯定派は、相手方を政治的な思索は総じて空論である、検証するまでもないとし、思索的な哲学者側は、現状の制度については辛らつにののしるばかりで、恵まれた未来を魅力あふれる姿で描き出すことはしても、現在の悪弊を取り除く最適な方法を考えることはせず、改善に向かう人間の進歩を脅かす障害に気づいていない、としている。

人間と社会の完成可能性に否定的な考え方については、ちゃんとした反論がないこと(pp.26-27)

人間と社会の完成可能性について乗り越え不能の難関が存在する。これのついて述べることが本書の目的である。

筆者が述べる考えは、アダムスミスとヒュームによって説明済みである。また、ウォレスはさらに前進させてこの問題に当てはめている。そして筆者は、従来と異なる観点[どんな観点?]からこの問題をとらえなおす。

乗り越え不能の難関について、人間の完成可能性を説く側は、その存在を無視している。素晴らしい才能と洞察力がありながら、難関は乗り越え不能であるということに気づかないで思索の道を突き進むのである。

人口増加がもたらす問題の性質(pp.28-31)

ここで筆者の主張の前提となる二つの法則について述べられている。

食糧は人間の生存にとって不可欠である。
男女間の性欲は必然であり、ほぼ現状のまま将来も存続する。

p.29

という2点である。二つ目に関して、ゴドウィン氏の推測によれば、男女間の性欲の消滅の可能性がある。しかし、現時点で消滅への進歩は全く見られない。故に例外を法則に組み込むことは出来ないので、上記二つの法則を前提としている。

この前提をもとにすれば、人口が増える力は、土地が人間の食糧を生産する力よりずっと大きい。しかし、自然の法則では、生きるために食糧が必要であるため、結果的に両者のバランスはとれる。その際に生じる生存の困難が人口増加の抑制に働き、人口の多い地域に厳しくのしかかる。

自然の法則、制限の法則のもとで動植物は生きており、人間が理性を持とうと、逃れることはできない。この場合、それは貧困と悪徳という形で現れる。

本書の主張の概要(pp.32)

人口増加力と、土地の生産力の間には不均衡があるが、自然の法則により結果的に均衡となる、これこそが幸福な社会に対する大きな難関[→「乗り越え不能の大きな難関」]であり、理想的な社会に対しての反証となる。したがってその前提に基づけば、人類全体の完成可能性に反対する主張の方が正しいといえる。

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