知らない誰かが見つめている

インターネットを使い始めたのは16歳の頃。まったく知らない世界だったので、父親に説明されるまま「イエローページ」から何かを検索した。どうやら、自分の関心事について調べることができるらしい。個人がホームページを作って設置できるらしい。同じ趣味の人々と、距離の垣根なく繋がれるらしい。

まあね。ハマるまでに時間を要さなかった。

小説を書くのも読むのも大好きだったので、早速小説の個人サイトなんてのを作った。最初は本名で。

「珍しい名前なのでペンネームかと思っていました。本名はやめたほうがいいですよ」

知り合ったオンライン小説家さんから、優しくそう教えてもらい、本名を削除。ペンネームを公開した。

その頃はよかった。公開するのはペンネームと小説と随筆、そして絵だけ。特に害のない、今の時代であれば何の面白みもないウェブサイト。でも当時は黎明期で、個人サイトには訪問者が多く、わたしもまた多くの個人サイトに出入りして、交流はどんどん増えていった。

大学生になると、念願のオフ会を主催。知らない人と知り合うのが楽しくて、何度もオフ会を開いたり参加したりした。でもその一方、小説を読むのも書くのもしなくなっていた。慣れない一人暮らしで、理学部の物理専攻で教職課程を履修していれば、暇はなかった。週に課題を11個もこなさないといけないときもあった。

「文章は毎日書いたほうがいいです」

当時交流のあったプロ小説家が、そんなことを何かで言っていた。小説を書けないわたしは、せめて日記を書こうと思い立った。公開日記。無料の日記CGIを探してきて、設置して、そこに執筆。

でもね、日記って続けるの難しいのね。「そんなに書くことないよ」と、毎日大学と自宅の往復しかしていないわたしの日記は、はじめこそ数行あったものの、すぐに「めんどくさい感あふれる1行日記」に変遷した。

それが、いつからだろう。ちゃんと日記になるようになった。むしろ自分のことを吐露しすぎ。そう、日記って自分暴露帳なのよね。自分のことを語るのが、気持ちよくなっていた。この習慣がついたのが、よくなかった。

あれは、大学院の国際フォーラムだった。

わたしは発表者の1人だった。院の仲間たちに混ざって、席で出番を待っていた。その時、

「Cana。知ってた? アザラシのぬいぐるみかかえた人がCanaのこと探してるらしいよ」

同期が教えてくれたことに、わたしは目を点にした。「ええ?」と驚きを声にするしかなかった。

話には、続きがあった。

「K先生が捕まえて質問したら、○○の発表をする人を見に来たって。Canaのことだよね。京都から来たらしいよ」

大学の所在地、東京。

MAJIKA。

友人たちから「気をつけなよ」と忠告されるも、気をつけようがない。とりあえず独りにならないようにしながら、滞りなくその日の予定は遂行完了。

結局、アザラシの人が接触してくることはなかった。となると、どうしてわたしを見に来たのかわからない。どこでわたしを知ったのか、は、インターネットしか思いつかなかった。インディーズバンドをやっていたことのあるわたしは、顔写真がネットに公開されていた。

ウェブサイトのアクセス解析を見ると、京都のとある研究所から頻繁にアクセスがあった。そこかな、と検討をつけた。けど、それ以上は何もない。そこ止まり。

害はなかった。アザラシの人のことが、皆の記憶に残っただけ。

でも、そのことで、わたしは痛烈に感じることができた。辺境の個人サイトでも、知らない誰かが見つめていることがある。無闇に情報を出してはいけない、と。

インターネットを侮ってはならない。

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