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KUBOKAKE STORY #2

さて幼少期に行こうか。
僕は、海と山に恵まれた富山県富山市に生まれた。まあど田舎。でも大好きな場所である。
サッカーをやっていた父親と母親の影響で気づけば僕もサッカーをやっていた。わからないので一応5歳から始めたということにしている。

まあこの頃の記憶というものはほとんどないものである。
最初は、富山北FCというチームに入った。富山県ではプロも輩出してる有名なチームだった。
まあそんなことを知る由もなくただボールを追いかけていた…

記憶がない中でもサッカーをやっていた5歳の頃、今でも覚えているセリフがある。

「カケルは、敵だと思ってプレーしろ。」

ハーフタイムに僕らのチームに対してコーチから出された指示である。
そう僕は、敵だった。味方のボールにプレスをひたすらかけていた。相手にももちろんプレスをかけていた。そして自分のゴールにも攻めていた。右も左も分からずサッカーをやっていた。もはやサッカーといえるものをやっていなかったのかもしれない。

(写真 左から2人目)敵と言われるほどのプレイヤーがイキッている。やめとけ笑笑

そんな5歳から1年が経ち6歳になった頃にはチームの中心になった。その年代の1年の成長スピードは、異次元である。桜木花道くらい早い。今その成長スピードがほしい。

6歳の年長の頃はドリブルで交わしてゴールをたくさん決めていた。そこからだろう。サッカーが本当に楽しいと思えたのは。足手まといというか敵だった5歳から1年でチームの中心になっていた。楽しかった。
いつも何かしらの大会の決勝で現国士舘大の松岡大智と対戦していた記憶がある。

でもとりあえず負けず嫌いだった。試合中に泣くし出ていくし負けたら泣き止まない。仲間には罵詈雑言を浴びせていた。たちが悪すぎる。
親やコーチには迷惑をかけた。でもそんな負けず嫌いな性格が今でも生きていると考える。

まあ幼少期のことなんて本当に覚えていない。

あと唯一覚えてることといえば机の角に前歯をぶつけて乳歯時代の前歯を神経が死んだ状態で過ごしたことくらいだろう。

幼少期の話は、この辺にしといてパパッと先に行こう。

続いて小学生

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