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話にならない、話をしようや

まーちゃん🖌️


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SNSのタイムラインや、続々と上がるTOP3の動画、芸人さんたちの雰囲気、なによりガングリオンの表情をみて、「あ~、夏だな」と思う。
めちゃくちゃM-1がはじまってしまった。

私が気にしすぎるとだめだな、と思いつつも、やっぱり無視は難しい。私は本当にできていない大人なので、鬱クワガタになってしまったクボを励ます優しいクワガタになったかと思えば、隣で反旗を翻し、自分も鬱クワガタになって鬱ムシキングバトルを始めてしまったりもする。鬱ムシキングバトル?

そんな芸人さんも、スタッフさんも、ファンの皆さんも気が気でないこの季節も、チームクボは懲りずに主催ライブを打っている。
どれだけ忙しくなっても主催をやめたくない理由はいくつかあるけれど、もっともらしい理由とは別に、私はめちゃくちゃライブが好きだ。クボと企画やコーナーを考えて、準備して、当日は袖や後ろからお客さんが笑っているのを見て、私も笑う。もっと楽しんでもらえるように頑張りたいなと思うし、芸人さんが楽しいライブにもしたいなとも思う。人って、人が楽しい時間を見てる時が、一番楽しいから。

はじめの頃を思い返すと、こんなに楽しんでるのが嘘みたいだな、と思う。ライブをする度に思い出すのはいつだって、最低で最高のあの日だ。
私にとってはじめての主催ライブは、「チームクボ単独ライブ」だった。

あの時はまだまいちさんがいて、あらきがコント中に大喜利をしていて、ガングリオンはまだ全然面白くなかった。
クボの大学、文化財の就活、あらき久々のコント、ふわり春はじめてのABCホール。いろんなことが重なって全員の精神状態が最悪のまま迎えたそのライブは、来て下さったお客さんやゲストの方に申し訳ないくらい、なにも足りてなかった。

2日間のライブが終わって、それぞれが心に引っ掛かりを抱えたまま、「じゃあ」とBAR舞台袖を後にする。
なんかもう、集まれないんじゃないかと思うくらい、良くない感じだった。

「本当に無力だ」と思った。
もっと出来ることがあったんじゃないかと思って、すぐにその想いをかき消す。
誰かを支えるなんておこがましい。私には何もかも、本当に全部、足りてない。

沈んだ気持ちに自分で手を添えながら、家に向かうのとは違う電車に乗り込んだ。
ライブの後、チームクボを手伝うことになる前から、行くと決めていたライブがあった。

ヤバイTシャツ屋さんの大阪城ホール公演。ずっと楽しみにしていた、私がずっと、一番好きなバンドのライブだ。
インディーズからメジャーデビューする時も、小さい箱のライブがだんだん取れなくなってきた時も、コロナで伊勢志摩スペイン村公演が中止になった時も、ずっと見てきた。
ヤバTが売れていく間に、私は高校も大学も卒業して、大人になって、忙しくなった。

バンドを好きになることの良い所は、事情があって熱心に追えなくなっても楽しみ続けられるところだ。曲は、音楽はいつでもそこにあって、好きな時に触れられる。でも、いつでも触れているものだからこそ、やっぱり「生」が、一番良い。

そんな久しぶりの「生」の現場に似つかわしくない重い足取りで、私は大阪城ホールへ向かう。
寝てないから寝たいし、めちゃくちゃ疲れてるし、つらいからふさぎ込んでやりたい。
そんな今だけの欲望は、イヤホンで体の中に押し戻した。
ヤバTは私を、絶対に元気にしてくれるから。

超満員の大阪城ホールで行われた、ワンマンライブ『まだ早い。』。
ファンがみんな心の底から楽しみにしてたそのライブは、本当に本当に最高だった。
かつて数十人でこぶしを突き上げたあの日の熱量が、何倍にも何十倍にもなって会場を包み込んでいる。

ヤバTの曲の歌詞は、くだらなくてばかばかしい。そうでない曲も本当はたくさんあるんだけれど、そのくだらなさに隠された彼らの野心が、少しのダメさが、人を想う心が、葛藤が、愛おしくて美しい。
圧倒的なファンサービス、自分たちのことを好きな人が「欲しい」ことを知り尽くしているふるまい。その隙間から見える“愛”や“感謝”は、弱りきっていたその日の私を救った。

「話にならない、話をしようや。」
初めて見た時から変わり続けているのに変わらない、ヤバTの姿に感極まっていた時に聞こえてきたのは、『サークルバンドに光を』だった。
彼らがずっと歌い続けている、大切な曲。
「何が誰が正しいのか分からへんけど、悔しい思いを忘れへんようにしような」
飾らないそのままの言葉が、優しい声が、楽しそうな姿が、私の全部に突き刺さった。
この曲が、この人たちの曲になった瞬間だ、と思った。

「もうやめられへんところまで来てしまいました」

はじめて聞いた時とは、意味が変わってしまったその言葉を嚙み締める。
「今日をもって売れました!」と高らかに宣言した彼らの、「もうやめられへん」を、大切に心に閉じ込める。
ああ、これを観るために生きてた、と、本気で思った。

何回も何百回も聞いた歌詞に、私は身勝手にも、今日見た彼女たちの姿を重ねてしまう。
あの子たちはいつか、今日の舞台を笑い飛ばせるようになるんだろうか。
「今日をもって売れました」と、笑顔で言い合える日が、来るんだろうか。
そこに、私はいるんだろうか。
どうして、そう思ったんだっけ。

たくさんの良い気持ちと、ちょっとの気恥ずかしさをお土産に、私は大阪城ホールを後にした。

その後しばらくして、私とガングリオンは昼寄席で流す曲の会議をした。
邦ロックが好きな文化財を筆頭に揉めに揉め、難航を極めた会議も終盤。
「歌詞も込みで見て欲しいねんけど」と、私は『サークルバンドに光を』を差し出した。
正直、違う曲になりかけたらごり押ししようと思っていた。今刺さらなくても、いつか二人にこの曲を好きになってもらえる確信があったから。
でもそんな心配をよそに、クボは歌詞が流れる画面をじっと見つめて、「これでいこう。」と一言だけ言った。

その一言で、なんかもう十分だった。
文化財は「今日ヤバTのいい曲めっちゃ知れるや~ん」とエセ関西弁で言っていた。
あの日から、私たちはライブの度に『サークルバンドに光を』を流し続けている。

がらがらの客席も、冷たい視線も、むなしいあの時間も、私たちは知っている。
全部失敗したあのライブでも、「最高だった!」とはじめて言い合えたあのライブでも、東京でのはじめての主催も、毎月お馴染みのあのライブでも、客出しではいつだってあの曲がかかっている。
いつかガングリオンが「もうやめられへん」と本気で言える日が来たとき、あの曲がふたりを支えてくれると、私は勝手に信じている。
そして、願わくばその時を、一緒に迎えたい。

うまくいかない、噛み合わない日もある。起きたくない朝も、死ぬしかない夜もあるけど、いつか必ずその日が来るという確信が、私の光で、希望かもしれない。

いつになるかはわからないけれど、その日が来ても、今日みたいに、あの日みたいに、話にならない話をしような。

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