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よく言うよ

こんばんは。クボです。
noteをあげる日にも関わらず、なんだか、言葉にすると正しくなってしまうから、言葉にしたくない日です。
正しくないことも、正当化し放題なのが文章なんですね。今日気がつきました。
自分の話を書く元気があまりないので、今日は私が元気出すために調べたことを皆さんに共有します。まあ座りなよ。お茶とか入れてさ。

最近、めちゃくちゃイライラしてしまいます。
前までは許せていたことが許せない。
本当に些細な話ね。電車で順番抜かされたとか、レジが混んでいるとか、人のSNSを見てとか。そんなレベルの話です。

イライラすると、エネルギーめちゃくちゃ使うじゃないですか。生きにくい。分かります?
人にイライラするってことは揚げ足取られない人にならんとあかんし、エネルギーを失うと落ち込みやすくなっちゃうし。

泣くことも最近増えました。
なんで感情が高まると涙が流れるのかって前話しましたけど、脳の器みたいなもんが溢れる、言うたらキャパオーバーしてしまうと涙が流れてしまうんやって。
すべての感情は脳にかかるストレスで、緊張状態。やから泣きたい時とか感情の制御がわかんなくなってるときは一回泣いたらいいらしいよ。泣くの我慢するの、余計脳にストレスかかってまうから。まあわざと泣くのが癖になると、本当に自分がパンパンになってる時がわかんなくなって、誰も助けてくれなくなっちゃうかも、とも思うけど。1人でわんわん泣くのが意外といい。

さて、クボさんはなんでイライラしてしまうのか。
そもそも、イライラするってなんなのか。
感情っていうのは第一感情と第二感情があるんですって。
ここからは、「意識高い系(アドラー)」の見解なので、アド嫌(アドラー嫌悪)の方はすみません。
怒りは、先ほどの第一感情、第二感情で行くと、ネガティブな第二感情らしいです。
第一感情にあるものは、悲しみや虚しさ、苦しみ、心配、寂しさ。これらのものが複合されて、第二感情である怒りに変わる。
アンガーマネジメントみたいな話はここですね。(みたいな話?)
怒り、第二感情が来る前に第一感情である悲しみであったり虚しさであったりがあるはずだから、先にそれを探せ、みたいなことなんでしょうね。まあ「その先にある感情見つけてなんやねん」と思ってしまいますが(もう怒っている)。
つまり、怒りというものは、不安や悲しみをカモフラージュする感情でしかないわけです。
そう言われてみればそうですね。

この、第一感情、第二感情の話から発展して、
ロバート・プルチックという方が提唱した「感情の輪」の話をさせてください。ほんま調べただけなんで間違ってたらスマンゴオンデマンド。

感情というものは、先ほど話した第一感情から派生して、第二感情が生まれていく。

信じられない雑さ
裏にカルーアのプロット書いててより汚い。すみません。

こんな感じ。汚すぎて恥ずかしくなってきたので猫の写真も載せます。

かわい〜〜
でもここだけでも机汚いの分かりますね

私が書いたのは二重の輪しかないですが、こっからまだまだ細分化されていく。
自分の感情がどれなのかを把握することってきっと結構大事で、分解していった先にあるものは意外としょうもなくて、「なーんだ」かも。
まあ悩みなんて全部しょうもないしね。絶対。
地球に比べたら全部しょうもないし、宇宙に比べたら地球もしょうもないしね。

でも何しても報われない日は多分、そうやって考えるしかないと思うんですよ。

本を読もう、と思って読めていなかった小説に手をかけても、思考が邪魔して文字が入ってこない日もあるし

映画を見ようと思っても「しゃらくせぇな」と思ってみれない日もあるし

ワンピースは、いつだって面白いし
でもワンピースが面白く感じられない日が来たらと思うと、怖いし。

自分で選んで生きているんだから、と思うことは、かなり自分の精神状態にいいと思うんです。
もしそれが、誰かに強いられたことだとしても、最終決定権は必ず私にあって、そのために体を動かしたのも、ご飯を食べるのも、生きる選択を取ったのも、全部私なんですよ。
誰かにさせられている、と思うことは辛いでしょう
選んだ先の嫌悪感よりも、誰かに縛られている、と言う思いの方が、よっぽど心に悪いと思う。
自分で選び抜きたいもんですよね。

自転車を漕ぎながら、何を言おうか、何を話そうか考えてみる。

何が辛いのか、何が怖いのか考えてみる。

とりあえず、なんか食うか。
生きる選択を取ろう。
死ぬ方がめんどくさいし。

自分の不安や心配が、怒りに飲み込まれる前に自分で見つけ出したいもんですよね。

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