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サラリーマンの持つべきプロ意識~大学部活経験を経て思うこと~

オリンピックを見ていて感じたこと、それはプロ意識について。
特にサッカー代表、久保建英選手の3決敗戦後のインタビューが秀逸だった。

◯インタビュー(伝われニュアンス!)
・記者「勝負できる手応えは得たと思います」
・久保選手「負けたら何の意味もありません」

これには全サッカーファンが溜飲を下げたと思う。

その通り。

プロとして、所属チームでプレシーズンマッチに参加せずチーム内の序列が下がるリスクを受け入れて、国と自身の為にオリンピックに臨んでいる以上、結果(※)が必要なのであって、それ以外は「国民に感動を与えた」などの美辞麗句にデコレーションされたとて意味が無い。

※もっと言えば金メダルにしか意味が無く、本人達は3決に意味は見出だせなかったのではないか。それでも彼らを突き動かしていたのはチームへの忠誠心だと思う。

勿論、日本サッカーの歴史とこれからにとって大きな一歩となったし、チーム全員の情熱と団結力は眩しく誇らしかった。
とは言え、久保選手曰く「手ぶらで家に帰ることになった」ことは、紛れもない事実である。
久保選手の結果に拘る姿勢、物言いに底知れぬプロ意識を感じ、自分なんかは何よりもそれが嬉しかった。
(関係無いけど、久保選手の言い回しは凄くカッコいい。海外生活が長いからシャレてるのか?本人の地頭の良さなのか?いずれにせよ、二十歳でこのコメント力は素直に尊敬します)

協議レベルは全然異なるが、自身も大学アメフト部の経験を通して、プロとアマチュアの違いについて深く考えたことがある。

別記事で触れたいので、ダイジェストでお届けしたい。
(と言いつつクソ長くなってしまったので、お時間無い方は、★まで読み飛ばして下さい)

とある夏、飲酒事故によって公式戦出場辞退を余儀なくされたチームにおいて、自身は4年生でチームを引っ張る立場だったが、それまで部活を堪え忍んできた同期11人の内、半分の5人が部活を去ることを目の当たりにした。そして、自身も一度部活を休部し復部した。

あの時の部活に対するモチベーションは何だったかと言うと、飲酒事故による活動自粛に至る(※)までは、「全国優勝を目指したい」だった。うーん、シンプル。

※勿論、飲酒事故については大変反省しています。問題が起きた春から夏にかけて、防止策(当たり前ですが、未成年には飲酒させない)の徹底に加え、献血や清掃など社会活動に勤しむことで、何とか、アメフト協会から、公式戦へのオープン参加と、一部と二部との入れ替え戦に公式に出場する権利を頂きました。特に入れ替え戦に出場する権利が、後輩たちの代の部活を一部に残留させる、という点で同時の自分たちに取っては大きな意味がありました。

一方、活動自粛が決定した後は、部活を続ける意義を自身の中に見出だす作業が必要になった。なぜなら「全国優勝の道が閉ざされた」からである。

部活に残る判断基準は、その年で公式戦が終わってしまう我々4年生に取っては「勝利以外の価値が部活に有るか否か」だったと思う。自分以外の全員が、理系で大学院進学を目指す院試の時期だったこともあり、「勝利以外の価値」を部活に見出だせなかった(勿論、部活は楽しい一面もあるものの、時間と体力を大量に消費する為、優先順位を下げざるを得なかった)メンバーは部を離れた。

逆に、責任感やチームへの帰属意識が強いメンバーは、「勝利以外の価値」を「自身の責任感そのもの」や「チームの継続」に見出だし部に残った。

自分だけが一番中途半端で、どちらの立場も示せないまま、緊張の糸が切れ、ただ部活を1ヶ月半休み続けた。
その間、深く深く考え続けた。
そして、出した結論が「4年間やり遂げた達成感」と「チームを一部に残すことによる後輩たちへの貢献」という半分は自分自身、もう半分は組織の為と言いつつ結局は自分自身への、詰まるところ100%自己満足に意味を見出だし、部活に戻った。そして、この経験は今でも自分の価値基準の一つになっている。

★長くなりました。
言いたかったのは、アマチュアの行動原理は、結局「自己満足」だと自分は考えています。
対して、プロとは、行為に対してお金を貰っている人は全てプロだと考えていますが、プロは「結果に責任を追う」と言うことです。

サラリーマンは、一部は評価給付もあれど、多くは定額給付であり、結果が見えにくい人もいると思う。特に自身も所属している様な、いわゆる日本の大企業は良くも悪くも結果が短期的には反映されにくい。(長期的には出世などに反映される、勿論全ての物事には良し悪しがあるので此処では議論しない)

そうなると結果に責任を追わず、経緯だけみて頑張ったから自分はよくやった、みたいな顔をしてお役所仕事で安穏としていることになる。よしんば事務作業だけをしたい人なら良いかも知れないが、ブルシットな仕事はしたくないと訴えているにも関わらず自分の果たすべき役割や成果が分からないのなら、その人は付加価値を出す仕事には向いていない。

プロである以上、自身の役割において結果を導くプロセスを明確化し、リスクを吟味しつつ、日々目標達成に向け自身や周囲とワークすることは当たり前のこと。結果が良ければ更なる改善点を探せば良いし、悪ければ自ずと改善点が見つかるだろうから一つ一つ潰し込めば良い。
そこに通底する考え方は、スポーツ選手もサラリーマンも全く一緒であり、たまたま別の種目をしているだけだと信じる。

例えば、居酒屋で大谷選手や久保選手とバッタリ会っても、リスペクトこそすれ、萎縮することなく、自身の業務(種目)成果を堂々と語れるようになりたいし、なって欲しい。これは自省も込めて書いてます。

誰からも評価されない大学アメフトの活動を、アマチュアとして最大級の自己満足を味わい完結させた自分に取っては(それは勿論、自己肯定感に多いに寄与してくれましたが)、むしろ他人から評価されてお金まで貰える、プロであるサラリーマンは非常に分かりやすく納得感のある世界です。

だからこそ卑下せず、誇りを持って、おのが領分で一人一人がプロ意識を持って欲しいと思う、今日この頃

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