近い年齢のインフルエンサーたちが死んだ。
別に私とはなんの関係もない人たちだ。2人とも、予兆もなくパッといなくなってしまったのが印象的で、私はそのことについてずっと考え、残された人たちの動向をなんとなく見守っている。

深い悲しみに暮れて、でもその人にはその人の人生があって、どうしても前を向かなければならないから、ちゃんともう一度歩き出すんだろう。


高校生の時に、実家で叔父が死んだ。
その場は見ていない。その時私は、叔父の兄である私のお父さんに学校に迎えにきてもらっていた。何かの賞をもらって、わざわざ学校に行かなければならない日だった。
帰ってくるとおばあちゃんが悲鳴をあげていた。私は妹たちを連れて二階に閉じ籠り、震えながら眠った。叔父はうつ病だった。

普段は東京に住んでいて、少し前から帰省してきていた彼は、明らかに元気がなかった。病気だと聞かされていたはずなのに私は、「なんでそんなに元気ないの?」と聞いてしまったことを、今でも覚えている。叔父は悲しそうな顔をして、何も答えてくれなかった。

葬式の日、一番上の姉が帰って来れず、また気を張らなければいけないことを恨みながら、私は幼い妹たちの手を握っていた。もともと地元にも友達は少なく、死因も死因だったから、人の少ない式だった。
別に特段叔父と仲が良かったわけじゃない。たまにしか帰って来ないし、とっつきづらかったからそんなに思い出もない。それでも私は火葬場で、自分でも意味が分からないくらい泣いた。
両手は妹たちの手で塞がれていたから、涙を止めることができなかった。それに気づいた近所のおばちゃんが「強くね、強く」と声をかけて去っていった。
おばちゃん、違うの、私、自殺が怖いだけ。叔父ちゃんと離れて寂しくて泣いてるわけじゃないの。
自分のことしか考えてないんだよ、私。


それでもその時はやっぱり気持ちを汲み取れたわけじゃなく、私はその後も失敗を繰り返した。
「楽しくて、重たいから辞めたいんだ」と言ってコミュニティを離れてしまった子を何度も引き留めたし、自分が辛いから楽しい写真を見れないという友達の気持ちが分からなかった。今なら分かる、自分がどんな酷いことをしていたかを。

もともとの気質とそんな経験を経て、私のおせっかいはひどくなった。カミングアウトもすぐされるし、私にしか相談できなかったと泣かれることもよくある。私が自分で休職や転職、病気のことを発信するから、そういう人たちから連絡が来る。ありがとう、存在に助けられたと言われるたびに、自分が生きていることを実感する。

頼って話してくれてありがとう、必要としてくれてうれしい、会いに行ってよかった、また遊ぼうね

でも、本気でそう思うのに、知らねえよ、と思う自分もいる。

ねえ、あなたは私がしんどい時、ほんとに助けてくれる?私が死んだら、悲しみに暮れてそのまま死んでしまいたいって思うほど、私の存在って大きいの?私の誕生日に、私のこと思い出した?自分がいなくても、私の周りにはいっぱい人がいるから、いつも楽しそうだなって本当は思ってるよね。

中学生の頃、友情と恋を履き違えて、女の子を好きになったことがある。
それも全部原因は一緒で、彼女が不登校になり、私しか連絡が取れなかったからだ。
この子は私がいないと生きていけない、私が話してあげないと、などと押し付けがましい正義感が、いつしか独占欲になり歪んだ愛と成り代わった。
だけど結局彼女は、顔も知らないネット上の女の子と付き合い、私を拒否し、学校に来れるようになると、私をいじめるグループの一員になっていた。

与えた分は全部返ってくるはずない。嫌なら距離を置いて、自分が大事にしたい人だけを大事にすればいい。与えてなんて誰も頼んでない。きっとみんな本当は、私がいなくても死んだりしない。

すぐパニックを起こすお姉ちゃんも
整形中毒で躁鬱のあの子も
本当は私を利用してるあの子も
夢を追いかけて挫折を繰り返すあの人も

みんな本当は他にも依存先があって、自分の力で立っていて、私は一番じゃない。私が一生懸命答えた答えより、全然知らない男の言葉に導かれて、元気を取り戻したりしている。

でも私は覚えてる。
どんなに無視されても、酷いことをされても、最近連絡取ってないけど大丈夫かなあ、しんどそうにしてるから会いに行こうかなと今でも思う。
どろどろとした支離滅裂の長文のLINEを必死に返すし、呼び出されれば夜中でも会いに行く。自分の体調が悪くても、予定が詰まってても。だって後悔したくないから。もし私だけしか頼れる人がいなくて、明日死んじゃったりしたら、私が死にたくなるから。第一優先はあなただよって、分かって欲しいから。でも本当は、それをそっくりそのまま、自分がやって欲しいだけなの。だから大切にしてしまう人がいっぱいいるの。私が大切にすれば、誰か1人は大切にしてくれると思うから。

そんなこと、誰もしてくれないのにね。

だから私は夜に死にたい波がきても、誰にも助けを求められない。誰も、というけど、みんなのことは信頼している。平等に、もしくは私が返せない以上の愛をもらっていると思う。でも、私の期待や依存、暗い気持ちは重たくて重たくて、相手が逃げ出したくなるほどきっと求めてしまう。毎日会いたい、LINEしたい、電話したい、寂しい、大好き、死にたい時にそばにいて。そんなことは言えないし、困ることは分かっているから、ばかでかい「愛して」をちぎってちぎって小さくして、いろんな人にちょっとずつ投げる。どうしようもない、本当にバカだね。

楽しかった!また今度!とLINEを打った後、これが最後かもしれないと思って泣く。楽しい予定と、友達からのSOS、嫌な仕事の反省、私が、私がやらないと、という思考の先にいつも死がある。

もっと弱そうで、いつか消えてしまいそうな女の子でいたかった。守ってやらないとこいつは死ぬって思ってくれる、いつも私を第一優先にしてくれるパートナーが欲しかった。


叔父はどうやって死んだんだろう。
あの人はPMSかな、あの人は躁鬱の鬱期だったかな。パッと死ねる感覚を全部分かるわけじゃないけど、私もなんの予兆もなく、青い青い海にパッとハンドルを切ってしまう気がする、午後。


直接は言えないけど、見てくれている人がいるのを分かってて公開してる。見られてもいいと思わせてくれるだけで私の甘え。それだけで何にもいらないよ、ごめんね。

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