#10 とどけよヘイホー

ごきげんよう!
ご覧いただきありがとうございます。

今回は私が好きな平沢進氏に関する記事になっています。
氏のことについては感情が先んじてしまい、文章にするのが得意でないので、本当にお見苦しいかとは存じますが何卒ご容赦ください。


導入

5月初めに、氏のライブである「HYBRID PHONON 2566+」に参加してきました。
毎度のことながらとても幸せな時間だったのですが、そのライブで披露された「ロケット」という曲がとにかく印象的で、この1ヶ月間毎日聴いていました。
マニアックな話になりますが、同ライブのセトリには1988年のライブぶりに演奏された曲や歌詞が変更された曲なども含まれており、衝撃を受けるべきものは他にもたくさんあるのですが、私にはギターアレンジが追加された最新の「ロケット」が刺さったようです。

本編

まず私が感銘を受けたのはライブ仕様のイントロとギターソロアレンジです。
当然世に出回っている音源ではないのですが、比較的近いアレンジとカバーをなさっていて、とても素敵な動画があるのでこちらもご覧いただければと思います。

シンセサイザーとエレガットギターの音色、エスニックな音階、穏やかな歌声の融合がとても好きです。
なお、音楽理論には一切明るくないため、墓穴を掘る前に端的な感想に留めます。

次に歌詞です。

ヘイホー 君よ今いずこ
はるか二人生きた日の 虚空へロケット
ヘイホー はこべよもろともに
あの日二人後にした 虚空へロケット
 
越えろよ ヘイホー 虚空へロケット
とどけよ ヘイホー 虚空へロケット
 
ヘイホー 君よ今いずこ
はるか二人生きた日の 虚空へロケット
 
ヘイホー 呼べよ声高く
野辺に吹いた笛の音の 無限へロケット
ヘイホー 無心の鹿は行く
君よ家路とあの空の けもの道へロケット
 
越えろよ ヘイホー 虚空へロケット
とどけよ ヘイホー 虚空へロケット
 
ヘイホー 呼べよ声高く
野辺に吹いた笛の音の 無限へロケット
 
越えろよ ヘイホー 虚空へロケット
とどけよ ヘイホー 虚空へロケット
 
ヘイホー 君よまたいつか
父のように打ちすえる 風を切ってロケット
ヘイホー 空よはるか海
母のようにいだかれて おち会おうロケット
 
越えろよ ヘイホー 虚空へロケット
とどけよ ヘイホー 虚空へロケット
 
ヘイホー 星の島ぬけて
よせて消える波の子に 産まれ来ようロケット

「ロケット」作詞・作曲 平沢進
「サイエンスの幽霊」平沢進 (1990)

先ほどご紹介させて頂いたアレンジ動画をご覧になった方には特に分かりやすいかと思いますが、明るくリズミカルな曲調の割に、歌詞は物憂げな印象です。

ここからは一丁前な考察のようなもの(その実は私が歌詞から広げた空想)を述べていきます。
全てデタラメだと思って読んでください。

ご本人も以下のように仰っているので…。

・前置きしておきますけれども、そう簡単に言語化できるものなら音楽にしない、ということですね。
・言語化が容易でないから、音楽という伝達手段を使っているんだと、いうことをまず知っておいてください。
・歌詞を難しいと思う人、何言ってるんだか分かんないと思う人は、普通の文章を読むような文脈で接しているからです。

平沢進 BackSpacePASS 回=回 より 8:00頃~

ヘイホー 君よ今いずこ
はるか二人生きた日の 虚空へロケット
ヘイホー はこべよもろともに
あの日二人後にした 虚空へロケット

「生きた」「後にした」という過去形や「今いずこ」という言葉から、「君」は現在時点において主人公の傍らにはいなさそうです。
ここでの「虚空」はもう戻れない過去のことなのでしょうか。
「ロケット」は「君」のいない過去に何かを託されて飛んでいくのでしょうか。

ヘイホー 呼べよ声高く
野辺に吹いた笛の音の 無限へロケット
ヘイホー 無心の鹿は行く
君よ家路とあの空の けもの道へロケット

ここでは一転、情景が陸地に変わるようです。
「野辺」は通常、野原や草原の意で用いられますが、埋葬地や火葬地の意でもあります。
もちろんどちらの意味かは分かりませんが、「無心」「あの空」などの単語を鑑みると後者の方が親和性がありそうです。

これに関して、野辺送りの風習についても少し調べてみました。(以下若干こじつけ感あり)
野辺送りとは、葬儀が終わった後に故人を埋葬する場所まで、あるいは火葬場まで送る儀式です。
今ではあまり見られることはありませんが、強いて挙げるなら出棺の場面が近いでしょうか。
現代の葬式では出棺のときに、故人が好きだった音楽を流すこともあるので、そこに「笛」要素を見出せるかもしれません。
なお、野辺送りでは「シカ(四華、死華)」と呼ばれる白い紙で作ったレンゲの花を親族が持つそうです。これは考えすぎですね。

そして私個人の問題ですが「鹿」という生き物のイメージが「悲しい」という感情に結びついており、この原因は百人一首にも選ばれた猿丸大夫の歌にあります。

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の
声きく時ぞ 秋は悲しき

猿丸大夫

牡鹿は秋になると雌鹿を求めて鳴くとされていて、この鳴き声から寂しさを感じるというのは当時流行りのテーマでした。

私にはどうしても猿丸大夫の鹿と「無心の鹿」が重なってしまいます。

先述のパートも踏まえると「君」と主人公と死に別れているように思われます。
「君」を亡くした「無心の鹿」は「けもの道」を進みます。
けもの道は「君」がいた家へと続いていますが、マクロな視点からは「君」がいる「あの空」≒野辺の先へと続いているのではないかと解釈しました。
そして先程のパートが過去的であるなら、比して現在的だと言えそうです。

ヘイホー 君よまたいつか
父のように打ちすえる 風を切ってロケット
ヘイホー 空よはるか海
母のようにいだかれて おち会おうロケット
(中略)
ヘイホー 星の島ぬけて
よせて消える波の子に 産まれ来ようロケット

さて。分かりません。
どうやらここで「普通の文章を読むような」感覚を捨てなければなりません。

「またいつか」の言葉からは少なくとも将来的なニュアンスが感じ取れます。
父性の持つ強さや力で「ロケット」は打ち上げられます。
その対比たる母性は、広大な優しさや、ここから転じて救いを示しているのでしょうか。
打ち上げられた「ロケット」は、島のようにポツポツと存在する星の間を抜けて飛んでいきます。
そして主人公と「君」は生物の根源たる海に「波の子」として回帰します。

これをさらに感覚的に飛躍させると、
主人公もいつかは「空」に行くことになるのでしょうが、先んじて「空」に行ってしまった「君」とは、いずれ「海」で再会したい/できるというメッセージになるのではないかと思います。

余談ですが、別の楽曲にもこのような節が。

「出会いの場所は そも この フローズン・ビーチ」「あといくつの現を思いながら 溶けた海の底で君に会えるか」

「フローズン・ビーチ」作詞・作曲 平沢進
「時空の水」平沢進 (1989) /「SCUBA」P-MODEL (1984)

「海」で「君」との出会いが観念されています。
この曲もとても美しいので大好きです。

越えろよ ヘイホー 虚空へロケット
とどけよ ヘイホー 虚空へロケット

最後にこのリフレインに触れておこうと思います。
「ロケット」は何を越えて、何を届けるのでしょうか。
「虚空」は何を指すのでしょうか。
最初のパートで「虚空」は過去のことかもしれないと言いましたが、曲全体を通しては過去→現在→未来への変遷が見られるため、過去に限定するのは思慮が浅いようにも思います。

私なりに頭を悩ませた現状の結論としては、
「君」のいるところが「虚空」ではないかと考えました。
もし「君」と死に別れているのであれば、「君」には今は何も伝えられず、会うことも叶いません。
つまり、画期的な「ロケット」を使ったとしても、この世とあの世を越えることはできず、こちらの思いを届けることもできません。
「ロケット」を「虚空」へ飛ばすのはまさに徒労であり、それが分かっていてもなお「ロケット」に託して「君」とのコミュニケーションを図っているのではないかと思います。

総括

さて、ここまで書いて、
「君」と主人公が死に別れていると限定するべきではないかも…
と思い始めました。

主人公が「ロケット」を通して「君」との意思疎通を願っているとするならば、「君」とコミュニケーションが取れなくなったという状況で必要十分です。
主人公と「君」は共に生きてきましたが、あるタイミングで「君」が主人公とは異なる生き方を選択した場面や、決別してしまった場面でも同様のことが言えるかもしれません。
主人公が伝えたかったことを伝えきれないまま、「君」と意思疎通ができなくなってしまったことに心を痛めつつ、それでもいつかまた転機が訪れてほしいという願いと、「君」とのコミュニケーションを放棄したり諦めたりしない愛情の姿勢が表現されていると感じました。

そして、現在の私に「ロケット」が刺さったのは、私自信が不特定多数の「君」との決別やフェードアウトを迎えているからかもしれません。
ほんの一例ですが、私が関西で学生を続けている一方で、これまでの友人たちは様々な場所で社会人として頑張っています。
もちろん、私を取り巻く人間関係も常に新しくなっており、おかげで毎日を楽しく過ごしています。
しかし、旧友らと今までのように顔を合わせることができず、私だけが取り残されているような感覚が確実に芽生えているのもまた事実です。

しかし、私なりに「ロケット」を聴き込んだことをきっかけに「無心の鹿」に少なからず共鳴していたことに気付きました。
そして、現在疎遠になってしまった「君」ともいつかどこかで「波の子」として出会いたいな、と前向きな気持ちになりました。
なんとも余韻が長く心地よいライブでした。

「ロケット」と「フローズン・ビーチ」の両方が収録されているアルバムは以下になります。

時空の水(「フローズン・ビーチ」収録)

サイエンスの幽霊(「ロケット」収録)

今回は特に文章がとっ散らかっており、感情的で申し訳ありません。
読みにくい記事でしたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。

かちょり


追記

先日、日本全国でオーロラが観測できたということで、X(旧Twitter)では盛り上がりを見せていました。
Xでも少し触れていたのですが、氏は「オーロラ」という曲も制作しています。

あー 窓に あー オーロラ
目をみはれ 今は 夜が歌う時

「オーロラ」作詞・作曲 平沢進
「Aurora」平沢進 (1994)

この曲を聴きながら、各地で観測されたオーロラの写真を見ていたのですが、カラフルで視覚的な現象に「目をみはれ」と言いながら、即座に聴覚的な「歌う」と言葉をあてがう才が凄まじく、改めて敬服しました。
もしご興味がある方は一度お試しください。

Aurora(「オーロラ」収録)

さて、noteの筆がノッているときは大概ヤバいタスクに追われているときです…現実逃避してしまいました…4000字超えてるのに1日で書ききったのヤバすぎる…
次回は夏休み頃にまた更新したいです。

それでは、またこんど!


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