#1 瘴気を生み出す私の話

ごきげんよう!
ご覧頂きありがとうございます。

なぜ自分の散らかった思考を書き留めておく媒体として、Twitterではなくブログを用いることにしたか。
今回は、#0 の記事で少し話題に挙げた、
この思考についてです。
大したこと書いてないんだからさっさと投稿しろよマジで。
(この記事書き始めてから2ヶ月経った)

ここから余談です。結論が気になる方やお時間がない方は太字まで読み飛ばしてください。

私は昔から、他人のネガティブな思考や感情に触れるのがとても苦手です。
その他人が自分に近しく親しい人であればあるほど、困ってしまいます。

その人が私に話してくれた愚痴やあからさまな態度であればまだ良いのですが、表情や声の調子、言動や会話のテンポなどのさまざまな点において、普段とのギャップを察知すると、なんとなく負のエネルギーを感じてしまうことがあります。
実際にそのギャップが、相手のネガティブさから生じている確信もないのに、勝手にこちらが不安になるということが未だにままあります。
(「今日機嫌悪かった?」と答え合わせをすると私の全くの見当違いということがしばしば…)

そして、その人のネガティブ成分が瘴気のように私の中に流れ込んでくると、私も伝染ったかのようにほんのり悲観的になるのです。

無論、マイナス思考自体が否定されるべきだとは全く思いませんし、誰しも落ち込むことはあるので、ここまでは問題ないと考えています。
実際私も、気分の変化がすぐ表面化するので、
周囲の方に迷惑をかける傾向が強いです。
(迷惑を被った心当たりのある方、本当にその節はごめんなさい。)

にも関わらず、”瘴気”にあてられた後、
「なんで所詮他人の気分に左右されるほど自分の気分が定まらないんだ?」
と自分自身への苛立ちと不信感が募って、
余計に消極的になります。
そして親密な相手であっても、
当たり前のように「所詮は他人」と
切り捨ててしまう自分の思考回路にガッカリするのです。

そして、Twitterを眺めるような高頻度で
そんな”瘴気”にあたり続けていると
精神衛生がぐんぐんと悪くなります。
今でも稀に病みツイでしょんぼりすることがあったりなかったり。

それでは結論です。

私が今回、noteを使っていく理由は、
自身の乱雑な思考をTwitterというアクセス性の高い場で公開することが、
換言するなら、
他人に”瘴気”を撒き散らし得ることが、
とても罪深い行動(であるかのよう)に感じるからです。

結論だけで過不足ありませんでしたね。
与太話要らんかったわ。申し訳なし。

そんなわけで、何度も申し上げている通り、
noteでは稚拙な思考や何かしらのクソデカ感情、
私の残念成分などを書き留めていこうと思います。
読みたい人だけが読んでくれたら、
本当にそれで十分です。
私が喜びます。
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

かちょり

追伸
もう一つ呆れちゃう理由があります。
阿呆で幼稚なとはいえ、
私自身としては至って真面目な思考ないしは踏み込んだ私の内面を覗かれるわけなので、
なんとなくTwitterを流し見ているような状態では見られたくないという、
パーソナルな感覚があるんですよね…
noteで見せびらかしておいて「覗かれる」とは何事か!というご指摘はその通り過ぎるので許して?
「ほえー、なんか面白そうじゃん」
と一度リンクを踏んでここへ来るくらいの手間をかけてくれたらいいな、
という気持ちがあります。
傲慢でお粗末な態度だとは分かっていますし、
情けないとは思うのですが、
そのひと手間の存在が、
私に対して関心を持って下さる人が居るのだと感じられて嬉しくなっちゃうのです。
ここまで読んで「なんやコイツ」と思った方もいらっしゃると思います。
気分を害された場合は本当にごめんなさい。

というわけなので、
もう一度だけ念押しをば!
読みたい人だけが読んでくれたら、
本当にそれで十分です。
私が喜びます。
それでは、またこんど!


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