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Innovationは主要貿易物産だ!


2021年5月21日モデルナ社製とアストラゼネカ社製の新型コロナウイルスワクチン製剤の販売が承認された。モデルナのワクチンはファイザーと同じくSARS-CoV2タンパク質の一部をRNAの状態でリポソームを使って細胞に送り届けるものだ。一方のアストラゼネカ(AZ)のワクチンはアデノウイルスベクターを使用して二本鎖DNAの状態で細胞に送り届ける。

報道では「ワクチン供給が遅い」とか「接種順番の不公平」と言うニュースが多いが、いくつかあるのが「なぜ日本製がないのか?」というところだ。

多くバイオビジネス関係者はこの状況を「やっぱり…」とか「その理由はね…」と述べてくれるのだが、私も業界関係者の一人として「しったかぶり」を承知で現状の知識を記録し、おそらくこの現状が及ぼす思った以上に大きなインパクトについて述べる。そして、イノベーションやイノベーションの種そのものが経済的なインパクトをもたらし、さらに国際関係に影響を及ぼすことについて記載する。


I. ワクチン開発国と日本のワクチン接種率と、国際関係

これらのワクチンの研究開発から製造販売までにはいくつかの科学的な挑戦とビジネス面での評価、そして経済的、政治的な結果が入り組んでいる。これについては別記事で書こうと思うが、今回はなぜ日本のワクチン接種率がまだ2.43%にとどまり(OECD統計データ、2021年5月27日時点、2回目まで終了のデータ)主要先進国の間でも極めて低い状況にあることを見ながら日本が進んでいくべき方向性について考えてみたいと思う。ちなみにここ一月ほどの間に出ている記事や統計を見ると日本のワクチン接種率は主要先進国の中では韓国と並んで最も遅いグループに入っている(各国でデータの出てくるタイミングがずれているので、参照データにより若干ばらつきがある)。ちなみにワクチン接種の実数については、意外にもヨーロッパ各国とあまり変わらないので、Logisticsについてはそこそこ頑張っている状況だと統計データからは見える。

さて、現実的にワクチンを開発したアメリカ(ファイザー、モデルナ)、イギリス(AZ)、中国、ロシアについてはそれぞれ39.7%、35.42%、46.9%、7.89%(中国については1回目、2回めの種別のないデータ)となっている。

統計データ全体を見ていると、イスラエルや一部の裕福な小国も上位に名を連ねているが、失礼ながらもチリが41.13%と突出している。これは中国のいわゆるワクチン外交に乗って中国製ワクチンを早期に導入しているという背景があるが、この高い接種率への気の緩みと、効果がファイザー、モデルナ、AZ製のワクチンと比べると低いと言われる有効性のためか、チリ自体は感染拡大に頭を悩ませている。


ちなみにファイザーが開発したワクチン創出者であるBioNTech社はドイツ企業なのだが、ドイツ自身は自国開発の影響力をファイザー社に対しては直接講師せずにワクチンの確保をEUにまかせてしまったため、16.32%という低いワクチン接種終了率と、他の西ヨーロッパ諸国と同等だ。

日本のワクチン確保はスタートダッシュは遅れたけれども、おそらく数ヶ月遅れで主要先進国の後ろになんとか食いついていきそうな状況と思われる(東京オリンピックには間に合わないが)。しかし現時点で(1)日本はワクチン確保に時間がかかっている、(2)日本はワクチンを金で買っている、という状況であり、基本的に「待ち」であり「製品、サービスの買い手」だ。これに対してワクチン供給国は特許の放棄など、人道的な支援で頭を悩ませるほど、諸外国への貢献のレベルの話をしており、パンデミック後もワクチンの供給をした相手国に対して少なくとも「借り」を作ることができるだけでなく、そもそも全世界を救う側にいるという「尊敬」という代えがたい地位を手に入れることになる。イノベーションへの先行投資が、外交上でなかなか得難い心情的にも有利な立場の確保につながっていると考えられる(当然これは後から何らかの指標で見直す必要がある)。

II. COVID-19ワクチンというイノベーションにつながった技術と社会的背景

話をイノベーションに戻そう。ワクチン開発から製造販売に至るプロセスのステップを(A)基礎研究からの新しい技術導入、(B)製造技術、(C)臨床試験、の3つに分けた上で、(D)日本の課題、を振り返って見てみる。


II-(A)基礎研究からの新しい技術導入 

まず既に記載したとおりファイザーとモデルナはまだ実績のなかったmRNAをリポソームという、実験室レベルでは使い古されているものの、生体への応用はあまり考えられてこなかった遺伝子送達技術で細胞に届けている。ちなみにAZの製品はアデノウイルスベクターという、既に遺伝子治療では承認例があるものの、大規模な感染症に対するワクチンとしては極めて新規性が高い技術を使っている。そして双方に共通するのが、ヒトの細胞にSARS-CoV2の遺伝子の一部を入れて、そのウイルスタンパク質の一部を生産させるという画期的なものだということだ。この時点で(1)遺伝子送達のベクターの開発、(2)ヒトの細胞に外来遺伝子を作らせる(遺伝子治療の手法)、という2つの大きな挑戦を行っているという点だ。細かく見ると個別にはいくつかの小規模の試験実績はあるが、今回の事例では「十億人を超える対象者」という未曾有の挑戦が掛け算されている点で極めて異例だ。

II-(B)製造技術

次に、製造技術としてこれまではインフルエンザワクチンなどでは、鶏卵を用いてウイルスを培養し、それを弱毒化して摂取する体制が取られてきた。このインフルエンザワクチンの普及率は日本は非常に高い。ここ20年ほどの技術の進歩により、鶏卵だったウイルスの培養系がVero細胞などの哺乳動物由来の培養細胞を使ったバイオリアクターでの製造へと変化してきている。これは技術としては抗体医薬、エリスロポエチンなどのタンパク質製剤の生産と類似している。これらの抗体医薬、生物製剤については日本は基礎技術では非常に先進的なモノを持っていたものの、国内での先進的な製品開発が諸外国に比べて盛んではなくかつ、国外での生産のほうが効率的かつ技術的にもメリットが有るために国内には生産工場は少なく、技術者の育成も実はそれほど多くない。全国でも化学工学、醗酵工学を背景とする研究者達が生物製剤の生産手法についても研究開発を進めている。

しかし、ビジネス上では欧米やインド、韓国の大手企業に遅れを取っていると言われて久しい。昨今では単純に研究開発の課題だけではなく、製造のノウハウのところも日本は遅れを取っている状況にもつながっている。韓国やインドの企業は国外の生物製剤のジェネリック(バイオシミラーという)の開発に注力しており、インドではおそらくこの技術が国産ワクチン生産に結びついている。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/kokusaitenkai/kokusaiiyaku_wg_dai1/siryou3-2.pdf

(2017年 内閣府健康医療推進本部 第1回 国際医薬パートナーシップ推進会議 富士フイルム戸田氏 発表資料)

さらに、日本では過去にヒトパピローマウイルスへの社会的な強い拒否反応に代表される、ワクチンへの不信感からワクチン開発自体が難しくなってきているために、企業や政府関係者ですら、ワクチン開発には及び腰となっているので、ワクチン製造の新規技術を開発する動機が薄い。さらに過去10年ほどの間に起こった製造現場でのデータ改ざんを始めとする生産能力の減退と言う状況まで至っている。

この状況で、極めて革新的な製品を、ノウハウをそれほど持っていない生産体制で1年以内に数千万本単位での製造を実現することは大きなチャレンジだ。

ちなみに、今回ファイザー社から日本向けに提供されるワクチンはベルギーで生産が行われている。ベルギーではこういった先進的な生産設備だけでなく、ヨーロッパでも先進的な研究開発を実施することを優遇し、産業誘致を積極的に行ってきた。ワクチン自体がEUの一括調達なので接種終了者は15.9%(5月26日時点)と多くないが、間違いなく日本人の記憶に「ワクチン供給国」として刻まれるだろう。



II-(C)臨床試験

最後に臨床開発だが、数万人単位(ファイザーの場合は米国、ドイツ、トルコ、ブラジル、アルゼンチン、南アフリカ、の6カ国で約4万人を対象)で行われている。ワクチン自体はリスクを共有する一群の対象者に対して、免疫を獲得することを確認する必要があるため、通常大規模での治験を行い、「予防効果」を確認する必要がある(下記「感染症予防ワクチンの臨床試験ガイドライン」参照)

https://www.pmda.go.jp/files/000208196.pdf

ファイザー社の今回の治験でも大規模な対象者の中で実際にSARS-CoV2に感染しCOVID-19を発症したか否かについて追跡試験が行われている。具体的にはコロナ様症状を呈し、CR検査で陽性となった対象者の数で比較している。

https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa2034577

(ファイザー社の治験についてのNEJMの論文)

治験の中身だが、約2万人ずつくらいに治験薬(今回は新型コロナウイルスワクチン)とプラセボ(ワクチンが入っていない液体だけの無害な偽薬)を打っており、部分的な盲目検定(二重盲目ではなく"Obserber-Blinded")で実施している。現実的にプラセボ群の方々で169人発症したのに対して、治験薬投与群は9人しか発症していない。これがいわゆる「約95%の予防効果」の根拠だ。ちなみに、日本ではこの手の治験は行わずにワクチン接種群116人、プラセボ投与群40人の抗SARS-CoV2抗体測定で済ませている。極めて少数であり発症まで待たず、かつプラセボが少ない。

この、日本が後から小規模の治験で済ませている状況については、関係者がなんとなく実感しておりかつ、いくつか現実にも影響を及ぼしている、いくつかの日本人の見えない声が関係していると思われる。つまり、1)得体のしれない「何か」が体に入るということの嫌悪感、2)それを正当化する副反応への過剰反応、3)他者の利益のために自分がワクチン接種をするという「集団免疫」の理解不足と、社会集団の一部として免疫獲得の重要性の理解の欠如、の3つだ。これまでは子宮頸がん予防を主目的とした若年層女性へのヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンの接種がターゲットとなり1)と2)が大きな問題となり実害が出ている。さらに今回のパンデミックでは3)が課題となっており、ワクチンへの不安だけでなく「社会の一員としての責任」を果たすという、集団防疫の意味、価値、責任が足りていない。今回、上述の6カ国で治験に参加した方はボランティアとして実験に参加したわけで、そのうちプラセボ群に分けられた約2万人の方々はワクチン投与を受けていないことと同じでSARS-CoV2感染のリスクは下がらず、実際に200人近くの方々が罹患している。この4万人の方々が種々の課題を乗り越え自らの意思での参加協力がなければ、ワクチン開発は出来なかったわけだ。当然、国際治験のデータを見た上とはいえ、日本も156名の方々の貴重な協力が欠かせなかった。ただ、科学的なデータがあったとはいえ、日本が国際共同治験に参加し、数千人規模のボランティアを短期間で集めることが出来ただろうか?たまたまこの治験の時期には日本は流行のピークではなかったので現実問題として参加の可能性は低かったかもしれないが、少なくとも昨年3−4月の時点で筆者が動いた限りでは、海外からのリクエストに対して動いてくれた国内機関はゼロだった。

II-(D)日本の課題

基礎技術の実用化、生産、臨床試験と、いずれのポイントでも日本は立ち遅れている理由を述べてきた。これらはいずれも「出来ない理由付け」であり、イノベーションを阻害する一番大きな要因でもあるわけだが、これらの課題は「日本人の心理的なハードル」「知りうる限りでの経済的な合理性」に縛られており、「新しいことを生み出すことへの理由付け」ができていない。一部では「国防」「軍事技術」として日本の危機感の欠如を述べる論調もあるが、上述のABCの3点の課題は同じであり、要は「開発する動機に欠けている」ということだと理解している。

筆者は医薬品開発を説明する際に、ロケットなどの宇宙関連技術開発と、アポロ計画になぞらえることがある。すべての技術や部品は可能な限り何万回という使用実績と、あらゆる環境での耐性を備えたものが使用されると聞く。小さい試験でも数10億円、大きな試験だと数千億円の資金を要する医薬品の開発にも類似している点があり、既に製品化されて陳腐化されている技術に基本的には頼り、ほんの少しだけ新しい挑戦を行うことで新製品を開発している。特に開発初期の技術に複数の新規技術を入れてしまうと、その技術が抱える未知のリスクを持ったまま開発を進めることになる。たとえ失敗するリスクが10%まで下げられたとしても、数千億円の投資が抱える10%のリスクがいかに大きいかは想像できるだろう。今回のワクチン開発に対する日本人の安心安全神話や、日本企業の経済合理性の呪縛はこれらの技術的な信頼性と、経済的なリスクの理解については、この宇宙開発のストーリーにも合致しており、ある意味では正常な反応なのだろう。

ただ、宇宙開発と異なり、ヘルスケアの課題は放置すると明らかに我々の健康だけでなく生活を制限する。このことは今回のロックダウン等で全人類が同時に認識している。ワクチン開発を完遂した国はこのリスクと、開発のリスクの「リスクvsリスク」の評価のバランスを評価し、投資し、開発に至っている。最近、いくつかの規制制度の議論のところで見聞きした話だが、日本人は「リスクvsノーリスク(安全)」を求めて運用できないガチガチのルールを作ってしまうという議論がある。我々はこの議論と同様に「ワクチン開発を行うリスクvs何もしない場合のリスク」を基本として議論を行うべきではないだろうか?つまり、ワクチン開発についても、日本が製品開発が出来なかった事実に向き合って分析し、開発することのリスクとUpside、しなかったことによるリスクとDownsideについて評価し、これを変えるための施策を講じる必要がある。

III. イノベーションを牽引する動機づくり

III-(A)SDGs

本稿の前半でワクチン供給国は国際関係において「尊敬」という得難いものを得るだろう、と曖昧な表現をしたが、具体的に想定される経済的なインパクトは存在すると考えている。最もわかりやすいのはSDGsだ。

ヘルスケアに関するこの目標 3については、多くのヘルスケア企業がSDGsの活動の一部として自らの貢献を主張している。しかし、この目標3には13のターゲットがありその中身を見て頂きたい。いわゆるアンメットメディカルニーズと言われる、先進国の特に製薬企業が開発の標的としている項目は殆どない。ぜひ細かく見ていただきたいが、今回のパンデミックについては、以下の4つの項目が当てはまる。

3.3 2030年までに、エイズ、結核、マラリアおよび顧みられない熱帯病といった伝染病を根絶するとともに肝炎、水系感染症およびその他の感染症に対処する。
3.8 すべての人々に対する財政保障、質の高い基礎的なヘルスケア・サービスへのアクセス、および安全で効果的、かつ質が高く安価な必須医薬品とワクチンのアクセス提供を含む、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)を達成する。
3.b 主に開発途上国に影響を及ぼしている感染性および非感染性疾患のワクチンおよび医薬品の研究開発を支援する。また、ドーハ宣言に従い安価な必須医薬品およびワクチンへのアクセスを提供する。同宣言は公衆衛生保護およびすべての人々への医薬品のアクセス提供にかかわる「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)」の柔軟性に関する規定を完全に行使する開発途上国の権利を確約したものである。
3.d すべての国々、特に開発途上国の国家・世界規模な健康リスクの早期警告、リスク緩和およびリスク管理のための能力を強化する。

ワクチン供給国はこれらのTargetに挑戦しており、これを実現するために以下の2つの目標にも貢献していることになる。

目標9 レジリエントなインフラを整備し、包摂的で持続可能な産業化を推進するとともに、イノベーションの拡大を図る
目標17 持続可能な開発に向けて実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活性化する

これが一番わかり易い国際的な「尊敬」と考える。

III-(B)防衛戦略の中のバイオ

次にバイオテロを含む防衛という観点がある。2020年2月、横浜港にダイヤモンドプリンセス号が到着したときのことを思い出してほしい。まだその素性がわからない新型感染症の罹患患者および、潜在患者群を抱えた大型客船の入港は日本の行政と医療体制に混乱をきたしたが、当時は東アジアの地域安定化に責任のある日本が、水際対策だとしても入国を拒否できるほど世論も国際環境も整っていなかったと思われる。ただ実際にはこの手の未知の感染症を抱えた旅行者の渡航が、受け入れ国の医療、行政だけでなく経済状況へもこれだけ大きな影響を与えることができると端的に示した事例となってしまった。その後、この感染症はアメリカでも劇的な感染拡大を見せ、第一次世界大戦、第二次世界大戦、ベトナム戦争での戦死者数を上回る死者を出し、疾病構造を変えてしまっている。

現在ワクチン接種での感染封じ込めで感染者数が減ってきているとはいえ、未だに新規感染者は21,821人であり日本の3,704人と比べると人口差を鑑みてもまだその負担は大きいはずだ(2021年5月28日、ロイターWebsiteより)。この国家的な危機に対して出してきた切り札がファイザーとモデルナのワクチンであることを考えると、国家を救ったイノベーションはこれ以上国民の命を脅かす脅威に対する戦闘機や空母、ミサイル、宇宙防衛システム、サイバーアタックへの対策と比較しても引けを取らない、あるいはより重要な国家事業とも言える。軍事的な表現なので非常に攻撃的に聞こえるが、米国でもDARPAの予算が多くの感染症予防技術へと転化され貢献している事実は大きい。インターネットの基盤技術であるTCP/IPも軍関連の技術から誕生し、既に全人類がその恩恵を受けている。文民統制は絶対であるし、積極的にミサイルや戦車などの軍事技術の開発を行うことは慎重になるべきだが、サイバーアタック、バイオテロ、宇宙開発等々、一般的な技術開発と軍事技術との境界がクリアでなくなってきたここ30年ほどの状況と、この先100年以上この状況が続くことを考えると、「軍事技術=忌避すべきもの」というこれまでに持っていた概念はもはや形骸化していることについて我々日本人は改めて認識し、新たに平和的に発展するためのルールを構築する必要がある。これはある意味現行の憲法9条という制限のもとで議論を繰り返してきた日本社会だからこそ成し得ることだと信じている。

III-(C)ESG投資への期待

三つ目に、企業や様々な経済活動と、気候変動、フェアトレード、社会貢献と言った、SDGsと協調して出て来たESG投資のような概念がある。企業活動に対しても社会的貢献への目標達成が投資の指標となっていることを考えると、パンデミック対策に貢献する企業は経済的なメリットが得られるはずだ。ただ、この仮説については多少慎重になる必要がある。

モデルナ株は最近まではうなぎのぼりだったが、その高い期待から逆に下振れの要素が増えてきているようだ。

また、ファイザーについては母体が既に大きいためか、現時点ではワクチンの承認が株価にあまり影響していない。ワクチン開発状況が逐次報告されていて織り込み済みだったということと、ワクチン事業自体がそれほど収益性が高くなくかつ、今後新興国での特許権を主張しないなどの人道的配慮を考えると、直接売上や利益でのメリットが見込めないということなのかもしれない。

本質的には巨大ヘルスケア企業がターゲットとして来た「がん」を始めとする「アンメットメディカルニーズ」の巨大マーケットと今回対象としている感染症対策では、対象とする市場も違えば、戦略も異なる。しかし、今回のパンデミックでファイザー、アストラゼネカ、モデルナ、ジョンソンアンドジョンソンといった企業は広くあまねくその名を知られることとなりマーケティングとしても抜群の効果をもたらした。さらに新興国に対しても感染状況の改善に貢献できるので、この国際的なインパクトを鑑みると今後全く異なる観点での投資家の活動が始まってもおかしくない。

III-(D)アグレッシブな新規事業投資の理由

ただ、これだけだと数字に現れてきていないESG投資への期待、というだけではなしがおわってしまうので、ヘルスケアから少し引いて俯瞰的に投資市場の状況から見てみる。当然私は経済の専門家ではないので、例えばESG投資にある意味期待を持ち、再生可能エネルギーを始めとする異なる価値観への投資へのシフトを始めていた石油資本の事例を参考にしてみる。2020年8−9月、COVID-19の影響が本格化し始めた時点で、BPは本業である石油需要に依存するビジネスモデルから脱却するという決意を表明している。

巨大資本といえども既存のビジネスが大きく変遷しつつあるこの現実を受け入れ、競合である再生可能エネルギーの提供という、一見カニバリズムを起こす行動に出ている。この、一見競合に見える新技術への積極的な関与について、ワクチンを始めとする製薬産業に当てはめてみてみると、

量子コンピューター開発でのベーリンガー・インゲルハイム社がGoogleと提携

製造から物流まで、NovartsがAmazon Web Serviceと提携

心房細動の検出でJohnson & JohnsonがAppleと提携

と、世界のトップメーカーはことごとくGAFAと呼ばれる巨大IT企業(というか既に社会インフラ企業といえる)と手を組んでいる。特徴は「自社の既存事業の収益を最大化するための新規技術」というわけではなく、「明らか製薬・ヘルスケア産業が変革するので、その先鞭をつける」戦略だということだ。トップ企業であればあるほど、既存事業と最先端の技術、それも自らでは判断できないほどの別分野の技術にアプローチし、自社の基盤との掛け算で新規事業を立ち上げている。彼らは事業上自らの事業の見直しを進めなければならないことを強く認識している。実際、Johnson & Johnsonは2020年のAnnual Reportでこう述べている。

Now is the time to shift the focus in healthcare away from just effectiveness and cost to sustainability, resiliency, and value. (今こそ、我々のヘルスケアへの焦点を、効果やコストだけではなく、持続可能性、回復力、価値へとシフトさせる時です。)

COVID-19のパンデミックで活躍した企業群は既に単純な投資活動や売上、利益といった指標だけでなく、今後の事業継続性を見据えて過去数十年間維持してきたビジネスモデルと投資方針を大きく変え、自らの基盤事業を脅かすまだ見えていないブラック・スワンのようなものさえ追い求め始めたようにも見える。

ちなみに同書の著者であるタレフ氏はCOVID-19は「ブラック・スワンではない」(つまり、予測し得た)と言っているが、氏の主張する無秩序を歓迎する「反脆弱性」はCOVID-19に望む企業や組織にとっても重要なコンセプトだと考える。

詳細は氏の著作等を御覧いただきたいが、劇的に変動しつつある現代社会において、社会生活から疾病構造に至るまで、ヘルスケアを取り巻く環境がわずか1年のうちにこれだけ変わってしまったことを考えると、「ブラック・スワン」はいつか発見されるものであり、それに備えた上述のグローバル企業の動きは極めて理にかなっている。

IV. Innnovationの種を持つものと持たざるもの

本稿のタイトルで「Innovationは主要貿易物産だ」と記載した。例えばmRNAワクチン技術は、それそのものではCOVID-19の治療や予防には使えない。しかし一旦米国を始めとするリスクを適正に認識し、評価する仕組みを使うと、今回のように莫大な社会的インパクトをもたらす技術となりうる。5年ほど前までは米国のアクセラレータなどが、その仕組を日本に売り込むことで日本企業からのコンサル料を受け取ったり、米国流の仕組みで日本のベンチャーを鍛える、という文脈のプログラムがいくつか始まった。しかし今、この「新しい手法を見せ玉にコンサル料で稼ぐ」モデルから、「日本から欧米にないユニークなベンチャーを探す」というモードに変わりつつある。これは、今までは欧米の大手企業が直接案件の発掘に動いていた状況から変化が起こっており、欧米のアクセラレータが大手の技術発掘の部門に変わって全世界の技術へのアプローチする方向に切り替わりつつあるように見える。ベンチャーの発掘すらも外注されつつあるというわけだ。

この状況では意外かもしれないが「ベンチャー企業のリスト」や、「ベンチャー企業の技術紹介資料」「ベンチャー企業のネットワークを持つ人材」に多くの声がかかる。いわば、ゴールドラッシュのときに金鉱掘りの職人を束ねていたり、金鉱堀向けのサービスをしている人たちから情報を得ようとする動きに似ている。そしてゴールドラッシュで一番儲けたのは人員の輸送手段の鉄道であり(セントラル・パシフィック鉄道、Leland Stanford)、作業服を提供したデニム屋さんであり(Levis)、流通をにない、資金を融通した金融業(American Express、Wells Fargo)だった。

では今、イノベーションの種の情報を持っていることが勝ちにつながっているだろうか?現時点ではこれはYesとは言えない。掘ってみないとわからない金鉱のように、イノベーションの種も育ててみないと使えるかどうかわからない。「目利き」と称していくら御託を並べても、日本ではmRNAワクチン技術に投資できた人はいない。やらないければならないことはピンポイントで次のイノベーションを探すのではなく、いかにその確率を上げる仕組みを作るか?にかかっている。したがって上述の「ベンチャー企業のリスト」や、「ベンチャー企業の技術紹介資料」「ベンチャー企業のネットワークを持つ人材」に価値がある。これらは日本国内ではまだマネタイズで来ていないが、ベンチャーの情報をそのものを流通させ、売り買いする「市場」の形成が必要だ。例えば「シリコンバレーのY-CombinatorのアクセラレーションプログラムのDemoDayに日本企業が殺到するように、国内でもアクセラレータを運営し、投資活動をリードする」「ボストンのLabCentralに製薬企業のアライアンス責任者が足繁く通うように、国内でもインキュベーターを運営し、情報のハブとなることで投資の成功確率を上げる」といった具合だ。

イノベーションの種を見つけ、育てる場を作る。

前者は国をまたげるので貿易産物であり、後者は加工工場と思えばいい。課題は山積しているしこんなに単純ではないが、ごく単純に言えばこうなるし、ここまで単純化しないと説明はかんたんではない。あとは、誰がイノベーションの種を持っていて、どうやって育てるかにかかっている。長年加工貿易で産業を回してきたと教育されている日本人には、わかりやすいのではないだろうか?






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