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令和2年7月豪雨

7/4早朝、前日からの豪雨により球磨川が氾濫、球磨川流域では甚大な被害が発生しました。人吉市では約5,000戸の家屋が浸水、多くの死者と行方不明者を出しました。その後、政府ではこの災害を「令和2年7月豪雨」と指定したようです。

私は前日から出張のため鹿児島市内に滞在しており、夜には知人から数件ほど人吉市は大丈夫か?と心配のメールをいただいたのですが、そこまで心配はしておらず、いつもと変わらない梅雨時期の河川を想像していました。

7/4早朝の電話で河川の氾濫を知り、現地から送られてくる写真や動画に息を飲みました。信じられない濁流と一面が茶色に染まった街並み。のどかな流域の街並みは見る影もなく濁流に飲み込まれていました。幸い当社のオフィスは河川から離れていたため被害はありませんでしたが、一部の社員が被災したため安否確認に奔走しました。

取り急ぎ帰路につこうとしたものの、高速道路は通行止め、鹿児島や宮崎も豪雨により主要道路が通行止めになるなど現地にいけないもどかしさで一杯でした。まずは現地スタッフへの指示と社内のSNSへの指示、今後の対応を考慮して復旧を協力いただけるメーカーへの一報などを行い、道路の復旧とともに帰路につきました。
現地へ着いたのは午後6時。市街地は薄暗くはなっていたもののあまりの惨状に言葉が出ませんでした。

翌日からは、被災した知人の事務所の清掃に向かいました。多くの支援者が駆けつけてくれ、まずは荷物を出したり、泥をかきだしたり、文字通り泥だらけになって復旧活動に努めたところでした。ただ、降り続く雨や汚泥に悩まされ、果たしてこれはもとに戻るのだろうかと絶望感にも似た感情が湧き上がってきていたのを覚えています。

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今回の災害では流域で10箇所もの橋が流されたり道路が崩落したりしたため、光ファイバーが切断され、人吉球磨地域の通信ネットワークに大きな障害が出ました。私が使用している携帯のキャリアは不通。当然、会社等のネット環境や電話回線なども不通となりました。しかも高速道路が通行止めとなり、通信会社の専用車両もなかなか現地に入れない状況だったようです。それでもなんとか災害から4日目に復旧し始めましたが、とても苦労しました。

今回、行政のホームページ(HP)が軒並み閲覧できない障害も発生したようです。地元の民間業者のサーバに保管されており、重要な情報の閲覧が出来ないなど多大な影響がありました。一部自治体では災害専用のHPを外部に開設したり、Twitterへ情報発信を一元化したりと対応に追われたようです。このクラウドの時代にBCP対策としてはしっかりと考えて行く必要があるかと思います。






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