机上で随想「イメージ」
ラーメン屋を想像したとき、皆さんの頭の中では“あの喋り方”が浮かぶと思います。
でも、実際“あの喋り方”だったら「こいつやってんな」ってなりませんか?
なんなら恥ずかしくなる。求めてないし。味だけでいい。終日ライス無料とか。
パブリックイメージばかり先行して、ちょっとした弊害が生まれているのかもしれない。腕組みとかもラーメン屋のステータスになりすぎてる。
そういう職業ってたくさんあると思います。
そんな中で、車掌って“あの喋り方”じゃないとしっくり来ないの凄くないですか?
田舎住んでたときから車掌は“あの喋り方”だって知ってたし。コントとかの垣根を越えて、実際“あの喋り方”だと知ったときも感動しなかった気がする。なぜならそういうものと知っていたから。
寄せてんな〜って思われないの何なんだろう。誰が始めたんだろう。
「お前それ本気でやってんの?笑」とか言われなかったんだろうか。
むしろラーメン屋とかはそう言われて辞めていく中で、車掌には確固たる信念があったのかもしれない。
続けていくことで受け入れられるケースはあるけど、それの最たる例が車掌なんじゃないだろうか。
本人にそのつもりがあったかはさておき、すっかり1つの記号にまでなった“あの喋り方”は発明だし功績だ。
今新しくやろうとしても絶対どこかからストップかかるもんなー。
やり続けるにもエネルギーが要るし。尊敬しちゃうよね。
俺なんてその時々で変わるもん。未だに自分のスタイル分かんないもん。
車掌になりたいね。いやなりたくないけど。でも今習字するなら車掌って書くかもな。
車掌の大喜利見てみたいなあ。ラーメン屋の大喜利も気になるなあ。
“あの喋り方”で言われたらなに言われても笑っちゃうかもなあ。
俺も喋り方では苦労してるからコツとか聞きたいもんな。
俺勢いつけて喋ろうとすると関西弁になってしまう変な癖があるんですけど車掌さん何かアドバイスとかありますかね?
“あの喋り方”のプロとして聞いてみたいな。
あとR-1の田上よしえはなんで“あの喋り方”のバーテンダーだったんだろう
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