友達失くすぞ、これ。
今回は攻めます。
そう広くない私の生活範囲においても、なぜそうするのかを考えない操り人形をよく見ます。その中には結構なお年を召された方もいます。手段と目的が逆転しているのを見る度に、「自分はこうじゃないよな…?」と内省しています。
例えばマニュアル。
丁寧な接客は、トラブルを起こさないという目的の下で行われます。
その手段の一つとしてマニュアルがあります。
ですが、その流れを理解せずにマニュアルを厳守した結果、トラブルを起こします。
マナーも同様です。
マナーの場合は手段と目的が逆転しているというより、形骸化しているものが多々あります。
例えば、目上の人の前では帽子を取ったりコートを脱ぐというのがありますが、それはなぜでしょうか。
答えは、江戸時代に武士が兜や鎧を外すことで敵意がないことを表していたためです。
現代において武士はいません。
それを知らずに「マナーだから。」と嫌々覚え、何年かすれば、今度は自分が、しない相手に「失礼だ!」と言うようになります。
(これは馬鹿にしない方が良い。
ほとんどの大人がそうですから。
きっとそうなるんでしょう…。)
あと、手段と目的が逆転しているケースで多いのが、努力。
結果を出すという目的の、手段として努力があります。
それなのに努力をすることが目的になって、楽して結果を出している人を責めます。
他にもマスク、文字数、遅刻、ゲームの選び方、いっぱいあります。
一つ一つの手段と目的を言いたいのですが、
諄いようなのでここではやめておきます。
えらいひとにとっては操り人形が多い方がやりやすいでしょうし、私は割となぜかを考えるのが好きなので問題ありませんが、この投稿を見てくださった人が操られるのは気が気でないのでこの機会に是非。(タイトル回収)
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