見出し画像

2014年春 石巻市立大川小学校 訪問記

もう間もなく、東日本大震災から丸10年━━━

震災時、自分は横浜に住んでいましたが、その1年後に地元広島に戻りUターン生活。2014年の4月、久々に長い休みが取れたので、仙台にいる友達を訪ねるため、久々の東北へ。

ちょうど角館の桜が見頃、そして盛岡のじゃじゃ麺を食べたくなり、友人とレンタカー借りて1泊2日の旅。2日目は、被災地の光景を目に焼き付けたいと思い、花巻温泉から遠野経由で大槌町に出て、三陸を南下して仙台に戻るという行程で車を走らせました。

この日は酷い雨と霧で、少し肌寒く。大槌町に入ると当時は仮設住宅、そして段々と震災の痕跡が見えるようになりました。国道を走っていても山道の至る所に「ここまで津波が到達しました」という看板が多く、しばし驚くばかり。

大船渡では復興市場のようなところで美味しい豚丼を堪能、そして南三陸の庁舎や気仙沼のシャークミュージアム、陸前高田の”奇跡の一本松”を見学。いつもは馬鹿話ばかりしている友達とも、車内で真剣な話をたくさんした。

そして、絶対にこの目で見てみたかったのが石巻市立大川小学校。ここで今でも忘れられないのが・・空。石巻に入ると、震災の影響か、ガタガタ道が多く、乗り物酔いとは無縁の自分でも酔いそうでしたが、なぜか空が急に晴れ渡り。時間も夕方5時頃だったと思いますが、小学校に着くと、降っていた雨が嘘のように。

大川小学校を見た感想としては・・今もあるかわかりませんが、その時は当時の児童たちが使っていたと思われるランドセルが積まれたままになっており、本当に言葉が出なかった。北上川より低いところに校舎はありましたが、ここから津波が「降りてくる感覚」って考えたらゾッとしたし、かといって、裏山にも逃げ道がないように思えました。

霊感もないし、オカルト的な話も信じないし、自分が特別な人間でもないので、空が晴れたのはたまたまだと思っているけど、当時、震災から3年は経過したとは言え、「他所者」の自分がこういう所に足を運ぶことに少し罪悪感もありました。「来てくれてありがとう」━━━主語が誰かは分かりませんが、そう言われたような気がして、すっきりした気分で旅を終えることができた。

東京戻ってきてこの4月で5年。実はこの旅以来、東北は行ってないんだけど、コロナ終わったら次は心置きなく、三陸に行こう。三陸鉄道乗って、美味い魚食って、お酒飲んで、また7年前とは違った三陸を味わいたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?