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欧州旅行記①

気がつけば春が終わり、コロナも落ち着いていた。書こう書こうと思っていた思い出話もなかなか書く気にならなかった。記憶が薄れる前にと思っていたが誰かに伝えるときにはなかなか思い出せないものである。しかし、ふとした時に頭を過ぎる思いでもある。一つ、頭の中の思い出を整理するためにも文書という形で残したいと思い書くことにする。いわば思い出日記みたいなものである。

今回の旅をしようと決めた経緯を簡単に説明する。元々はバルセロナとマドリードのみの旅行の予定だった。しかし、せっかくなら長期間でいろんな都市に周りたい、他の人と違うことをしたいと思い今回の旅が生まれた。

中国で乗り換える予定でいたがコロナ禍ではそうもいかず、出発のひと月前に変更した。出発日は翌日に到着日は前日にと変更となった。慌てて車を出してくれる友達に連絡を取り、ホテルも追加で1日分増やした。結果的には準備する時間が増えたり、呑む時間も増えた。緊張感は少なく、前日まで特に考えていなかった。当日までをただただカウントしていくだけだった。

出発日の朝、家を出る際の父との会話はいつも通り「行ってくるわ」『ん、行ってらしゃい』だけだった。初めての1人旅、初めて家を1ヶ月間離れる息子に対して特にこれと言った言葉は必要なかったのであろう。たしかに自分も成人しているわけで何かを求めたりはしない。
ただ、準備を手伝ってくれた父には本当に感謝している。

家を出て、友達の車に乗り、羽田空港へと向かった。その友達とは去年、台湾旅行へ行った仲でもあり、空港ではお決まりの『世田谷ラーメン』を食べた。これが旅のルーティーンだ。

換金所でお金を少し家に置いてきたことに気づく。どう考えても取りに行く時間は無く、予定よりも少なめに換金した。カードを2枚持っていたのでなんとかなると考えていたのだ。
案の定、向こうではカードを使う場面が多数あった。

友達と別れ、ロビーへ向かった。あの時が1番、ホームシックになりかけたと思う。寂しさを堪えて、落ち着きを取り戻すためにロビー内の喫煙所へ向かった。日本で吸う最後の一服だった。

エントランスで日記を書きながら待っていた。目の前には荷物を抱えた白人女性がいた。ただ、様子がおかしく、泣いていた。拙い英語を使い、「何かありましたか?」と聞いた。私の中では友人と別れるのが恋しいと言ったそういう部類であると考えていたのだ。しかし、現実は違った。彼女はスマホを空港内で無くしたらしい。受付に行っても届いていないと。【iPhoneを探す】を使ってみてもうまくは行かず、結局彼女は日本にiPhoneを置いて、もしくは、誰かに取られたままパリへ旅立った。
何もできない、自分の無力さを感じた。英語を聞き取るのに精一杯、聞き取れた英語を理解したところで、伝えたい英語が思い浮かばない。これ程までに英語を真面目に取り組まなかったことを後悔することはない。

いざ、飛行に乗ってみると隣は日本人の方だった。飛行機は窓際がいいと思いいつものように窓際にしたがこれが間違いだった。トイレに行こうにも行きづらい。隣が立った瞬間に後を追うようにトイレに行く。出なさそうでも一応、行っておく。他人に自分の生理現象のペースを合わせるのはなかなか酷なものだった。
機内食を食べ、映画を3本見てもまだ寝れるほどに長い時間だった。飛行機が好きな自分にとっては映画を見ているだけで終わってしまうこの時間が映画を見ても時間がある喜びに浸りながらも疲れが溜まっていた。映画を見ながら寝ていたのだ。地図を見るとそろそろヨーロッパに着きそうだった。

ぐっすりと寝たせいか到着直前にテンションが上がっていたがひとつ心配していたことは【ロストパッケージ】に関してだ。ヨーロッパに旅行に行くと少ながらず預けた荷物が届かないというのは聞いたことがあった。あれはランダムでなるものだと思い、自分だけは平気であるよう祈った。

到着してすぐに空港のWi-Fiに繋ぎ、入国審査、荷物を受け取りに行った。自分の荷物も無事に着いていた。

「ジョーカー」と「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を機内で鑑賞していたのだが、どちらもタバコを吸いすぎている映画だ。その影響もあり、1番に喫煙所に向かった。世界共通して喫煙所のマークは似ていることを知った。

ここで、準備不足が露呈した。

ホテルまでどうやって行こうか全く考えていなかった。Uberを使おうかとも思ったが電車の方が安いことに気づき、パリシャルル・ド・ゴールド空港から電車で自分の泊まるホテルの最寄りまで向かった。
空港で切符をなんとか買えた。家族にも無事に到着したことをLINEで送った。父からは「気を緩めすぎないように」と来たが、電車に乗っている自分からしたら1番緊張してきて気を張っているタイミングであった。Googleを駆使しながら自分の泊まるホテル最寄りで降りた。駅は地下にありなんとも言えない雰囲気だった。

地上に出た私は、パリの街並みに驚いた。この旅行期間中、最もテンションが高かったのは間違いない。『よく見るやつ!!!』と思い1人、ニヤニヤとしていた。冷静に考えると日本人がパリの街に1人でカメラ片手にニヤついているのは不自然で気持ちが悪いが当時の自分からしたら周りの目なんか気にしていなかった。それほど、興奮状態にあったのだ。

あまりにテンションが上がり、とにかくこの街並みを一つで多く写真に納めなければと思いシャッターを切った。この時は画角とかなにを写したいとかそんなことを考えている余裕はなかった。とにかく、今この一瞬を記録に残したいと思い行動に移した。その結果、ブレッブレの写真になった。ただ、この1枚の写真は今でも旅の始まりを思い出させるものになる。

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