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欧州旅行記④

後期のオンライン授業が決まった。教師を目指すことをやめた私は好きな授業を取ろうと思う。『withコロナ』これからの我々はコロナと共に歩まなければならない。次、海外旅行に行けるようになるのはいつになるのだろうか。
今じっと耐えるしかない。

私はお昼ご飯を食べようと思い、凱旋門を後にした。
ここで、問題が起こった。日本でも1人でご飯となればファミレス、ラーメン、あとは吉野家だ。1人でお洒落なレストランなんて行ったことがない。ましてやパリで1人飯なんて冷静に考えたら恐ろしいことだ。まず、フランス語読めない。ただ、お腹は減っている。

一つのお店の前の看板を読めないながらにスマホを駆使してメニューを見ていると、店員さんが英語のメニューを見せてくれた。
まだ、読める英語のメニューを見ながらせっかく話しかけてもらったからにお店に入った。
面白いことにバルコニー席は喫煙席なのだ。バルコニーという憧れとタバコが吸える環境、店内は緊張するの理由からバルコニーを選んだ。

Google翻訳を駆使して『アンチョビトマトソースパスタとビール』を注文した。
最初にビールが届いた。喉が乾いていた私は我慢できずに飲んだ。これがヨーロッパ初のビールだ。そして、一服しながら料理を待った。

16€と値段は少々張ったが気にも留めなかった。パリで食べるご飯だ。ちゃんとしたご飯だ。家族ラインに写真を送り、パスタを食べた。なんとも言えないこの濃い味はパンと合う。幸せな時間だった。ご飯を食べているとオーナーらしき人物がひとテーブルごと挨拶に来ていた。何か話しかけられたが、何言ってるのかさっぱり分からなかった。ただ、かっこいいお店だった。

ご飯を食べ終え一服。テーブル会計を終え外へ出た。ここからさきは記憶が曖昧だ。理由は目的地が決まっていなかったからだ。パリをふらつくにながらかホテルに戻ることにした。

オスマン通りを歩いていると「オペラ・ガルニエ」に着いた。不意に着いたので観光客の多さからGoogleマップを見てなんの建物なのかを判断した。

この旅ではあまり地図を見ずに歩いた。無計画且つ一人旅でが故の行動である。目に入ったところに徐に歩いていく。そのスタイルだ。次に目に入ったのは雰囲気が異なった。地図で確認してみると見覚えのある『ノートル・ダム』の文字。「おぉ」っと内心ワクワクしながら近づくとそこは燃えた跡などなく、立派であった。再び地図を確認すると『ノートルダム寺院』であった。なぜか、騙されたと思い悔しく珍しく『ノートルダム大聖堂』を検索して向かい始めた。

向かう途中で駅に着いた。『レ・アル駅』だ。
日本でいう駅ナカが充実している駅だ。駅中に服屋がたくさんあったり、食べ物屋さんもある。駅の周りも知ってるブランド名や靴屋が並んでいた。この旅で一つ決めていたことがある。それは『各地のリーバイスストアを巡る』ことである。理由は単純、私のバイト先だからだ。海外限定も少なからずあり唯一、奥深く知っているブランドである。そして、見つけた。

いつも見ているロゴに安心感を覚えた。


広場で少し休みをとり、また歩く。適当に気になった店に入りつつもまだ、2日目。これからの旅路を考えると荷物は増やしたくないと思い。買うのは控えていた。

疲れもあり適当にふらつきながらホテルに帰ることにした。帰り際にマップを見てみると右手には『ルーブル美術館』だ。疲れもあり、そんなに興味が湧かずさくっと周りを見て歩いた。

ホテルの方角的にも川沿いを歩いて戻った。しかし、パリの川というのに本当に汚い。季節もあるのかとも思いつつも、もう少し穏やかに流れてほしいと心から願った。歩いていると工事中の大きな建物が目に入った。そう。これこそが『ノートルダム大聖堂』なのだ。

工事のしすぎと人集りの多さから上手く写真を撮れなかった。工場の壁にはノートルダム大聖堂の歴史や燃えていた時の写真などが貼ってあった。英語を読む気にはならず写真だけ見て近くの雑貨屋兼お土産屋さんに立ち寄り、ノートルダム大聖堂の裏を通ってホテルへと向かった。

ホテルに着いた頃には日は暮れはじめていた。
長く濃い1日が終わろうとしていた。行きの飛行機の便を変えたこともあり、ホテルでの宿泊日数が増え、その影響で部屋を移ることになった。ロビーに預けていたキャリーケースを持ち4階へと向かった。軋む階段を重いキャリーケースを持ちながら運ぶのはかなり辛かった。
上から降ってくる人に邪魔にならないように避けた。「Can i help you?」と通りすがりの人に言われたが断った。迷惑をかけたくないと思い断ってしまった。

しかし、その声をかけてくれた男性は日本人で実は自分と同い年であった。そして、同部屋であることがわかった。その時の情景は今でも覚えている。ドラマかって言うくらいに狭い階段。しかも、お互いを日本人だと認識したのはすれ違った後の話であった。彼と出逢ったおかげでこの日はもう少し続くのであった。

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