論破のハイウェイを逆走する

論破という言葉は辞書においては「議論して相手の説を破ること。言い負かすこと。」などと説明されているが、最近では「敵対者を閉口させる」ための手段として、半ば政治化している。今後、論破の手段はさらに共有され、論破術のようなものが広く流布するようになると予想されるが、お笑いを含めてコミュニケーションに付加価値が生まれるような場面では論破術はむしろ反面教師となる。他人の口が半永久的に開いたほうがよいのだから、論破術の逆を実践する必要がある。論破して人が喋らなくなるなんて、お笑いでは事故だ。

羽生善治がかつていった言葉にこんなものがある。

「ITとインターネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています」

橋下徹、ひろゆき、石丸伸二……いわゆる「論客」が一世を風靡するたびに論破のテクニックが広まっていく。まさに論破の高速道路が敷かれ、同じくその先は渋滞し、もはや論理の操作ではなく支持者をつかったパワーゲームが行われている。我々はそんな論破のハイウェイを逆走し、永久に終わらない議論、非建設的で不要不急の会話を楽しまなければならない。

「はい」か「いいえ」で答えなくてもよい

ひろゆきのよく使うテクニックに「「はい」か「いいえ」で答えてください」と迫るものがある。一見論理的ではあるが、このようなジョークがある。

判事「全ての問いは『はい』か『いいえ』で答えられる筈だ」
被告人「一つ質問してよいですか?」
判事「どうぞ」
被告人「判事殿は毎晩奥様を殴るのをやめましたか?」

「Aか?」という質問には答えることができる。しかし「AかつBか?」については、論理的には4通りの答えがありうる。よってこの論破術はそもそも普遍性がないのだが、一見論理的に見える。論理的に見える必要などない。「もし俺が謝ってこられてきてたとしたら絶対に認められてたと思うか?」は疑問文であるが、これに「はい」「いいえ」で答えるのはナンセンスだ。漫才が終わってしまう。質問に質問で返したっていい。我々は裁判をやっているのではない。

なんかそういうデータとかなくてもいい

Wikipediaには、編集についての議論を行うための「ノート」というページがある(それについての記事を書いたこともあるのでよければ)。以下は「腰パン」という項目のノートにある議論。

現在の本項は出典の明記がないため独自研究的であり、さらに日本中心であるため内容の精度に問題があります。本項をより良い記事にするために執筆協力者を広く求めています。--オクラ煎餅 2010年3月25日 (木) 14:46 (UTC)

ご自身で見た事がないんですか?--220.100.67.11 2010年12月19日 (日) 04:59 (UTC)

220.100.67.11さんこんにちは。見たことがあるとかの問題ではないんです。この記事の現状では、例えばブラジルや南アフリカやロシアにおける腰パンの状況が何一つわかりません。さらに出典が少なくWikipedia:中立的な観点が担保されていないということです。--オクラ煎餅 2010年12月19日 (日) 05:09 (UTC)

ノート:腰パン - Wikipedia

腰パンについて、一般化された中立な出典がないという主張だ。ひろゆきの有名な「なんかそういうデータとかあるんですか?」を思い出す。確かにWikipediaの規則に則ると、オクラ煎餅氏の主張は妥当なように見える。しかし、根拠となるデータを無限に要求し続けるといつかは行き詰まってしまうだろう。腰パンが存在するのは紛れもない事実なのに、議論としては「出典のない腰パン情報は認めない」が勝ってしまう。

我々はデータも何もなくしゃべってよい。

言葉の意味を厳密にすり合わせて勝ち名乗りをしなくてもよい

いわゆる「石丸構文」として有名になったひとつで、「〇〇という言葉は□□という意味であって、あなたが言った意味ではない」という議論をどんどんミクロなスケールに当てはめていくと、どこかで議論が止まる。これは先のデータ要求と同じで、「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」のどんつきまで行ってから一方的に勝ち名乗りを挙げると論破したことになるらしい。我々は言語ゲームの限界まで行かなくてよい。

「りんご」は「りんご」で、あなたとわたしが想像しているものはきっと一緒だろう。そう信じて歩いていくしかない。いちいちその確認作業をしなくてもよい。

オッカムの剃刀を捨ててヒゲボーボーになってよい

オッカムの剃刀という概念がある。「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」というものだ。簡潔に議論を終わらせるより、もっと多くの頓珍漢な仮定をつけると話が終わらなくなる。素敵じゃないか。

スーパーで鶏むね肉が安く大量に売っていたので買ってきた。いや、「スーパーの店員がみんな筋トレをしているせいか知らないが鶏むね肉が安く大量に売っていたので買ってきた。」と言うべきだろう。

それってあなたの感想でいい

何らかの意見、とくに公共性の高い話題については主観を極力省くべきで、私見が含まれるものは論ずるに値しない、という姿勢の人を見る。「それってあなたの感想ですよね?」は今や小学生でも知っていることわざになっているが、我々はまさに感想の獣である。私はあなたの感想が聞きたくてたまらない。

非論理的な空白をどんどん作って、パテで埋めるようにそこに感想各々の感想を入れていけば、我々は永遠に話し続けることができるはずだ。

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